不動点が必要
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ex: その観点から、
悲劇の共有が共同身体性と共通感覚common senseを与える。逆に制度(システム)への只乗りが共通感覚の忘却を生む。現にいつも民主政は戦争と共にあった。だから戦争の代替物を模索する共通感覚醸成・継続の実践が必要になる。平和惚けによるクズ(言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシン)化が今日の元凶だ。 うーんそうなのかな、、。受け入れがたくはあるggkkiwat.icon
三島由紀夫.icon ぼくは天皇制の本質というのを前からいろんなことを言っているんですけど、文化の全体性というものを保証する最終的根拠であるというふうに言っている。というのは、天皇制という真ん中に かなめ がなければ、日本文化というのはどっちへいってしまうかわからないですよ。昔からそういう性質を持っているんです。(…)どの時代の政治形態も、政治形態というのは文化の全体性を腐食するような方向にいくんです。だからぼくは政治はきらいなんです。政治はきらいですが、ぼくにとって最終的な理念というのは、文化の全体性を保証するような原理そのためなら命を捨ててもよろしいということをぼくはいつもいっているんです。保証する原理というのは、この世の地上の政治形態の上にはないですよ。 現時点では日本はどこよりもアニミスティックな感受性が劣化しているというふうにほぼ断定していいと思います。 その理由は三島由紀夫的に言うと、日本には価値観がないからなんですね。価値っていうのは社会システム理論でいうと、貫徹ですね。価値を貫徹する。貫徹への思考、オリエンテーションのことです。日本は価値、つまり貫徹への志向がなく、適応、つまり学習への志向が有意しすぎているんですね。それゆえに、これだけは絶対失えないという固執が存在しないので、どこよりも早く地域社会も崩壊していくし。どこよりも早く人々は孤独になっていくってことが起こるわけですよね。 なので、日本のアニミスティックな感受性は、詳しく言うとアニミスティックな感受性が近代になっても残っていることと、価値貫徹への志向がないことは、実は同じことなんですね。アニミスティックの感受性は、見られることによってちゃんとする、という構えです。したがって、見る存在がいなくなれば、我々はちゃんとしなくなるんですね。