リベラル
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リベラリズム
上/下で考える
リベラリズムの下敷きは正義論で、無知のヴェール的に、あらゆる人の立場や視点を入れ替えても成立するルールが、今日的なリベラリズムが構想する正しさの基準
リベラリズムの法哲学なんて形容矛盾じゃない?しかし、この疑問は誤解に基づいています。
第一に、リベラリズムの根本原理は自由ではなく正義です。第二に、法は個人の自由よりむしろ権力を「法の支配」によって縛り、個人が自己の自由だけでなく他者の自由も等しく尊重するような、公正な共生の枠組を提供することが法の存在理由です。
だから「自由主義」は誤訳、だと井上達夫.icon
憲法は統治権力へ、法律は市民へだと思っていた。「法」はどこを指すかggkkiwat.icon
そのような法の原理的基礎となる価値理念と制度構想を探究するのが、私が考える法哲学の任務です。正義とは、自分の利益や権力を合理化するためのイデオロギーなどではなく、自己と利害や人生観を異にする様々な他者との公正な共生の枠組の原理です。法は「正義への企て」であり、自己と異なる他者との公正な共生の原理としての正義に根ざすリベラリズムの哲学と、根本においてつながっているのです。
東京大学広報誌 淡青 vol.32 2016.03
中島岳志のリベラル/保守整理
16世紀の宗教改革以降、カトリックとプロテスタントの対立で、ヨーロッパは二分される。両者の価値観をめぐる対立から、三十年戦争が起きる。
三十年戦争をした結果、決着がつかなかった。その末に1648年、ウェストファリア条約が結ばれる。
これは初めての近代的な国際法で、これで主権国家体制が確立し、戦わないための秩序が作られた。「リベラル」はそういう中で生まれた概念
気に入らない人や自分と考えが違う人はいる、その前提で社会を考えよう
価値の問題で争っていると、血で血を洗う悲惨なことになる。だから、お互いに相手の価値観に寛容になろう、と。そして、自分自身の自由、とりわけ内面的な価値観については国家から干渉されない、という考え方。つまり、「リベラル」の基本は「寛容」と「自由」がセット。
積極的自由と消極的自由
積極的自由:権力が積極的に関わることで、真の自由に到達する
福祉国家の実現とか、カール・マルクスの革命とかにつながる
自由のパラドックス:リベラルが行き過ぎて、「これが正しい自由だ」というパターナルな態度になってしまい、他者の自由を抑圧していく
消極的自由は「権力からの自由」:権力が個人の内面とか人権とか財産権とかに土足で踏み込んで制約をするのはよくない
小さな政府、新自由主義やリバタリアンへ
自由のパラドックス:また孤独になった人たちは権威主義・パターナリズムに陥ってしまう
彼はこの積極的自由と消極的自由の中庸の「リベラル保守」の立場を主張
リベラルの対義語は保守ではなく「パターナリズム・権威主義」