若いうちにうまくいかなくても大丈夫
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外国では修士、博士に進むのが当たり前の時代に日本人の学歴は短期間過ぎるし、18歳時点でのペーパーテストに偏していて22歳になると会社員の枠にはめられるというのは不幸で、そもそも10代半ばは反抗期で不安定なのが当たり前だし、23歳くらいはデカルトだろうがポール・ヴァレリーだろうがステファヌ・マラルメだろうが精神の危機に陥いるくらいの年代で、そこから立ち直ってナンボなのに、いちいち勘所を妨害しているとしか思えない。戦前の帝大生などはミドルティーンで旧制高校に入って25歳くらいまで帝大にいるわけだから、修学期間も今より長かったんだよな。 いったん落ちこぼれたらもう回復できない、そう考えているとしたら、勉強を定期バスのように思っているのではないか。勉強というのは本来、森かげの散道のようなものだ。暑いので木かげで昼寝する人間もあるかもしれないが、目がさめてから歩きだしたってかまわない。(p34-35) その人の時間単価が上がる。機会費用があがっちゃうので、色々なことへの試行回数が減ってしまう そもそも「脱線」とは「本線」を前提とした言い方だ。(…)しかし、常に本線が見えているとは限らない。だいたい人生からして、本線などありはしない。本線がないところに脱線はないのだとすれば、そこにあるのはなにか。試しに行ってみること、そんな言葉はないかもしれないが、試線だけがある。試線を進んでゆくとき、予め何がどう役に立つかは分からない。受験や会社での仕事のように、目的を狭く限定した状態とは違うからだ。そうした限定した目的に邁進するのを悪いとは思わない。ただ、目的に合わせて物事を部分最適化しすぎると、その他のことがお留守になってしまう。(…) 僕もそうだったけど、20代というのは、そんなに楽しいもんじゃなかった。今の方がよっぽど楽しい。