「フロイトとラカンだけじゃない現場の精神分析」第2部講義メモ
第2期第2回 「フロイトとラカンだけじゃない現場の精神分析──間主体的できごととしての『まちがい』」(2024-03-16)
- 「フロイトとラカンだけじゃない現場の精神分析」第1部講義メモ
01:46:47 第2部開始
後半といいながらこれからが本編ですかね?(住本)
がんばっていきたいと思います!(山崎)
01:47:02 転移 transference
山崎孝明『精神分析の歩き方』の中で転移の使い方が人によって違って混乱したと書いた(山崎)
本によって色々なので、ここではざっくりした解説
フロイトは無意識について想起したり考えることができないから行動として出てくると言った
「反復」という概念
通常の人間関係でも起こっていること
第1部での「お母さん」の言い間違い
その人にとっての「人/男・女/人間関係とはこういうもの」という鋳型が投影される
ブランクスクリーンモデルの意味
治療者の人格をブランクスクリーンにしておくことで、患者の空想を扱える設定にしたのがフロイトのやり方
治療者はしゃべらず指図や教育もせず、空想から患者の鋳型(転移)を純粋に抽出する
01:48:53 転移、たとえば
患者が「自分は人から疎まれている」と思っている
→だから治療者にも「どうせお前も」と不信感を向けられ続ける
→すると実際に治療者は患者を疎ましく思ってしまう
どちらか加害者か
患者の心の中の「自分を疎ましく思う対象」が治療者に転移する
治療者側が疎ましく思うように、患者が動かしているともいえなくもない
本人は被害者だと思っているが、その人がそうさせているところがある…
これをたとえばレイプ被害の文脈で言ったらアウト。もちろん基本そうなのだが、繊細に議論しなければならないこともあるという話を後でしたい(山崎)
治療者が患者に転移を向けられていることに明確に気付けないことがある
→気付かないでいろいろと言っていても患者が反応してこないし、患者にとっていいことがない
→治療者側が自分がだめなんじゃないかと感じ、患者に疎まれているように感じてしまう
→治療者が患者の拒絶されて排除されている部分になってしまう
これは「なってしまう」ということが重要。転移について知的に知っていても、実際体験することは違う(山崎)
自分が他人に疎まれる人間だと自覚して、 それを他人に投影していることに自覚することも可能だと思うんですが、それと無意識の関係はどうなるんでしょうか?(住本)
意識的な転移と無意識的な転移は複層的に起こる(山崎)
自分が疎まれていると自覚していても、自分が相手にそうさせているということはわかっていない
その無意識の部分を言語的に解釈することで意識の側にもってくることでコントロールできるようにするのが精神分析のやり方
患者のこころが治療者のなかに生きていく、それを通じて患者のこころを扱うのが精神分析
患者の話を聞きながら、自分の体験なども使いながら患者を理解していく(山崎)
身体感覚を通じて理解することもある
そのように設定された空間
01:57:22 治療者の機能
患者の持ち込んでくることを情緒的に考え、必要に応じて解釈する
そんなことはふつうの人間関係でもやっていることでは?
そうでもない(山崎)
分析設定では「大丈夫だよ」「つらいよね、よくわかるよ」「こうしたら…」というようなことは言わない
「あなたは、私に、よくわかるよ、というふうに言ってほしい気持ちを強く持っているけれども、それが私に伝わっていないのではと心配なんでしょうね」などと言う
これが「空想を言語化して扱う」ということ(山崎)
満足させることではなく、欲求不満を理解することで自分が何を欲しているかを理解することが治療
満足はこころの栄養なのでそれを提供する、というタイプの治療もある(山崎)
コフート
こういうのは「精神分析らしくない」考え方とされる
治療者はこころを動かす(が行動しない)
心のなかではいろいろなことを思っているが、実際に行動(求愛、命令、叱咤…)しない
思っていることと向き合い、そこから解釈を生み出す
それによって解決するとしても、行動しないのが倫理
心の発達(患者と治療者の恋愛関係など)は扱うのがすごく難しいが、それを安全な形で扱うために洗練されてきたのが精神分析(山崎)
そもそも扱わなきゃ安全。認知行動療法やオープンダイアローグはそういう難しいところは扱わずに整えるというものだと自分は思っている
研究会に斎藤環さんを呼んだときの話
2023年度ありふれた臨床研究会オープンセミナー心理学と社会――その先兵/しんがりとしての心の専門家
情緒(患者・治療者双方の)はすごく危ないものなので、必ず45分で終わる、という外部の制約で守られている必要がある
時間がかかる。早めることは危険
02:05:35 sion「しなやかな方が折れない」
01:59:11 qpp「精神分析とカウンセリングは違うのかな」
この質問わかりやすく答えると、助言をするかしないかということになりますか?(住本)
精神分析的にやっているときは助言はしない(山崎)
解釈が患者に助言や正解だと思われることはある。それはそれで「あなたはそれが正解だと思ったんですね」などと言う
日常会話だったら嫌味な人みたいな解釈を真剣に受け取るような空間がつくられている
02:07:40 すると、何が起こるのか
人は情緒に持ちこたえきれないと、行動や現実を歪曲する形でごまかす
誰かを憎いと思うことが罪悪感をかき立てるとき
→自分の憎さを相手に投影して、相手を悪いと思うことで処理する
自分の「憎い」という情緒に責任を持てない人は、誰かが悪いということを言い出す
責任
自分の情緒、感覚、感情にできるだけ責任を持てるようにしていく
自分の体験の著者は自分であるという感覚を増大させる
藤山直樹先生の著書より
02:09:59 kinako_「どこまで責任持てばいいんかが分からんのよなあ」
その通りで、これは時代によっても変わる。いまは責任を社会に帰属させようという風潮(山崎)
責任の個人モデルというスキーム自体が抑圧的であるという批判があることは承知している
第2期キックオフ「「まちがい」の本質──ゲンロン・セミナー第2期キックオフ」で自己責任の話になったのと関係している
自分の人生に責任を持てるようになるのが幸福で、それが精神分析の目指すもの?(住本)
みんなに強要しようとは思っていないが、僕はそれがいいことだと思う(山崎)
前回(松本俊彦×井上祐紀×山崎孝明「ほんとうの精神分析とは――責任と依存の療法」) 精神分析のよさを伝えられなかったのは、山崎孝明『精神分析の歩き方』でカルトの問題を扱ったので、自分の考えを押し付けることについての不安が強かった
02:13:57 ohimiro「でもその逡巡が伝わって誠実さを感じました」
自分の人生に責任を持てるようになりたいと思っている人にとっては精神分析はいいプラクティスだと思っている
02:08:49 na-ya「転移と投影は同じ意味なんでしょうか」
同じではない。投影は患者が心を寄生させることで、転移はそういう関係性のこと(山崎)
投影の結果として転移が起こる
02:10:41 na-ya「別水準!投影の結果として転移が起こる、ありがとうございます」
02:13:53 何が起こるのか、たとえば
自分の問題は全部親のせいにするのは精神分析とは全く逆
精神分析に関するよくある誤解
信田さよ子さんによればアダルトチルドレン(AC)もそういう誤解を受けているらしい(山崎)
自分の問題が親に起因することを認めた人のことをACという
親が原因かもしれないが、責任があるとは言ってない
個人モデルと社会モデルの振り子
東畑開人 斎藤環『臨床のフリコラージュ: 心の支援の現在地』
原因と責任を分ける
原因は加害者にある、しかし前に進むには責任をもたなければならない
熊谷晋一郎 國分功一郎『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』
精神分析のなかで責任についてそんなに言われているわけではないが、自分は外とどう接続するかということを考えているので、責任ということを蝶番にすると精神分析の意義について言えるのではと思っている(山崎)
02:20:59 na-ya「とある問題の当事者ですが自助会などで思うことがあり、原因と責任について納得するものがあります」
誰かのせいにするのではなく、自分がもっと自分の主人になる
誰かのせいではなく、自分が何かをしているのである
これは本当にデンジャラスな言説。口封じにも使えるので(山崎)
罪悪感を生みすぎてしまったら治療をやめることになる
自分のものだと考えるのが耐えがたいから人のものにしているのであって、押し返せばいいわけではない
正論は人を変えない
東浩紀「困難と面倒」(東浩紀『ゆるく考える』)
時間をかけて、ゆっくりゆっくりやっていかねばならない過程
オープンエンドで定期的に会うという設定
家族
いっしょに住まないといけない、ブロックできない
02:21:04 治療者/親はプロセスを予見できるか
この人にセラピーをすればよいことが起きるだろうと考えて治療者/親はセラピーをするわけなので、ある程度はそう
しかし詳細はわからない 何が起こるかわからない
「精神分析はハラハラドキドキだよ」
藤山直樹の師匠土井健郎の言葉
フロイトも「最初と最後については言うことはあるが中についてはやるしかない」というようなことを言っている
不確実性を引き受けること≒親になること≒加害者になること
最近は親に「生んでくれなんて頼んだ覚えはない」と言わないらしい。言ったことないすか?(山崎)
言ったことはないです(住本)
ないかー!(山崎)
思想的な流行りとしては反出生主義ですね(住本)
(反出生主義的な主張を)親に言うのはいいけど司法に訴えるのは違う。誰かに責任を取ってもらおうとしていて自分事として受け入れていない(山崎)
治療を始めるということは、加害者になることを引き受けること。絶対剣呑なことになる(山崎)
子育てだってそう。それでも何かいいことがあるだろうということ
出生外傷
オットー・ランク『出生外傷』
生まれ落ちることがいかに人生においてトラウマティックか
LCLの海の中で完全に満ち足りているのに、そこから出される
「シンジくんは400%だったから服しか出てこなくてミサトさんは泣くわけですけど…」(山崎)
でも、生まれちゃったんだから、それを否定しても意味がない
「おまえの言っていることは嘘だとは言わないけど、同時に複数のことがあるんじゃないの?」
精神分析の思考の特徴
自己の中に矛盾する複数のことがあり、それを同時に考えられるようになることが大事
難しいので、人と人で付き合うことのなかでやっていくこと
前回山崎さんは東畑さんに「精神分析を受けたいと思うようなトークをしなきゃ」と言われてましたけど、今回自分は精神分析が受けたくなってきました(住本)
前回は加害性を引き受けられてなかったから歯切れが悪かった(山崎)
02:27:56 qpp「加害性引き受けてこ( 'ω' )ノ」
02:28:22 とはいえ、「精神分析」は一枚岩ではない
ここまで、まるでひとつの精神分析があるように話してきたが、べつに一枚岩ではない(山崎)
そもそもフロイトがたくさん矛盾したことを言っている
フロイトがだめだからではなく、そもそも人間が矛盾しているから、それをすくい上げようとすると統一的な理論で語れない
どこを重視するかによっていろんな学派が生まれる
精神分析の学派
『精神分析事典』の図「精神分析の歴史と現況」
第一世代:フロイト、ジョーンズ、フェレンツィ…
自我心理学
アンナ・フロイト
アメリカで力を持った
ハリウッド映画で出てくるカウチが出てくる精神分析はこれ
5-60年代 薬がまだない
対象関係論
クライン派
独立学派:ウィニコットなど
クラインとアンナ・フロイトが喧嘩したときにどちらにもつかなかったインディペンデントのグループ
関係論、自己心理学、ラカン派
山崎孝明『精神分析の歩き方』 p76 表1
山崎孝明『精神分析の歩き方』 「日本の精神分析マップ」について
絶対文句言われるのもわかっていたけど、誰かがやらないといけないと思ってやった(山崎)
02:37:19 coolpassion「加害者たることを引き受けてる」
02:36:53 精神分析と訂正可能性①
『ゲンロン12』の論考のときにツイートしている(山崎)
精神分析には最大公約数がないにもかかわらずなぜ「精神分析」とくくられているか
言語ゲームとして家族的類似性でつながっているんですね(住本)
「それは精神分析ではない」だと研ぎ澄まされてはいくがカルトになっていく(山崎)
「それも精神分析」とくくることの生産性
02:39:00 アンナ・フロイト
フロイトの娘
教師→精神分析家
子供も臨床の対象とした
でも解釈とかはしない
めっちゃ普通(山崎)
本人ではなく周りの環境をよくする
子供といい関係をつくる
02:40:43 自我心理学の特徴
構造論=第二局所論における「自我」を中心に据える
馬がエスでジョッキーが自我
東畑開人『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』
自我心理学は精神分析の中ではわりと現実的なことを大事にしていて、『精神分析的サポーティブセラピー(POST)入門』でも自我心理学は大事なものとして扱われていますね(住本)
あまりにも普通のことが軽視されているから、自我心理学に価値があると主張しないといけないと思った(山崎)
精神分析は普通じゃない、ならいいけど、普通じゃなことやるのが精神分析なんだというのは倒錯。目的と方法が転倒している
普通すぎて「精神分析らしくない」と言われる
ラカンが「フロイトの言ったことを忠実にやっていない」と言う
でもフロイトはいろんなことを言っていて、それぞれ別の部分を引き継いでいる
第2期第1回「哲学とは何か?──「まちがい」をめぐる古代ギリシア哲学との対話」(2024-02-03) でのソクラテスとその弟子の関係に近いですね(住本)
02:47:13 qpp「みんなフロイト大好きなんやな」
エディプス・コンプレックス
構造変化
「エスあるところに自我あらしめよ」
コントロールは抑え込めということではない
出すところで出し、出すべきでないところでは出さない
適応が大事
02:52:10 メラニー・クライン
前中期フロイト理論を引き継ぎ発展
子供に精神分析を行った
僕の文脈に引き付ければ、クラインは「子供も加害する」と言っている。少なくとも空想の中ではたくさん加害している(山崎)
無垢な存在ではない
だから解釈する
やってることはどうかしている、しかし実際患者がなんかよくなっている
02:54:29 クラインの特徴
母(乳房・子宮)の重視
女性の生産性の羨望という考えを提出
乳幼児の世界≒精神病的世界まで理解を拡大
無垢な存在ではない
とても「精神分析らしい」
自我心理学からすると悪魔学と言われることも
02:58:35 クラインを理解するための概念
抑鬱ポジョション/妄想分裂ポジション
精神病的なのが妄想分裂(PS)ポジションで大人の成熟した状態が抑鬱(D)ポジション
人間はいったりきたりする。恋愛すると様子がおかしくなるのは妄想分裂ポジション
ビオンが言った
さっきの話でいうと責任を取れる状態が抑鬱ポジションで他責的なのが妄想分裂ポジション?(住本)
その通り(山崎)
抑鬱ポジションという言葉だけを見ると良くない言葉のようにも見えますが、そうでもないんですよね(住本)
妄想分裂ポジションには時間がなく、壊したものも再創造できる。責任も成長もない。抑鬱ポジションでは壊れたものは戻らないから後悔するし責任も生じる。
基本抑鬱ポジションで生きられるようになろう、というのが目指されていること
03:03:59 クラインの治療モデル
クラインは子供の与太話を真剣に聞かないといけないと思った真面目な人(山崎)
真剣に聞いて解釈した結果深いところに行く
環境論ではなく子供の不安や攻撃性を解釈して理解する
「羨望と感謝」
羨望は二者関係で、「あいつの持っているやつがいいからむかつく」と破壊する 生産性がない
妄想分裂ポジション
でも人間ってそういうものだよね
自分にないことを引き受けていく→感謝
抑鬱ポジション
TwitterはPSポジション製造機。匿名は投影し放題だからやばい(山崎)
ブランクスクリーン投影を許す匿名性を安全に扱うもの
万能感
向上心なのか万能感なのか
(今のところは)時間は限られていて人は老いていくから、向上には限界がある
03:14:22 大論争(アンナ・フロイト vs クライン)
1939年、フロイト父娘がロンドンに亡命、すでにロンドンで活動していたクライント大論争
分裂せず対話がなされることに
全く考え方が違う二人がどっちがフロイトを受け継いているかを争ったが、いまから見るとどちらも受け継いでいる
環境論も欲動論も両方必要。バランスでしかない(山崎)
03:19:04 焦点の移動 エディプスからプレエディプスへ
エディプス・コンプレックス
フロイト
父と子の関係
フロイトは直接子供を診てない。「おとなの中にこどもを見た」
03:20:18 Kiwata「アンナさんは自己体験としてエディプス・コンプレックスどうおもってたんだろうか」
プレエディプス
クライン
「こどもの中に乳児を見た」
一番怖いのは母
とくに母の身体、生産性、お腹の中にいる子供、あるいは母の内部の父のペニス、糞便…
クラインの本を呼んでいると頭がおかしくなってくる(山崎)
フロイトの母像の問題
03:24:07 質疑応答1
質問者A:アンナ・フロイトとクラインが活動した時期と、ボーヴォワールが「第二の性」を書いた時期の重なりが気になった
194〜50年代。精神分析はジェンダーの議論については遅れていて、流石に最近は議論されている。ジェシカ・ベンジャミン、ナンシー・チョドロウなど(山崎)
アンナ・フロイトとクラインという「娘」は、フロイトは否定できない
フロイトの第二世代が両方とも女性だというのは面白いですね(住本)
しかも、アンナ・フロイトは教師だったが、クラインはただの患者から分析の訓練を始めた人(山崎)
質問者B:短く3点ほど…(結果2点)
質問B-1:クラインの論から社会状況を分析することも可能か?
できるとは思うが…(山崎)
東畑開人さんいわく、臨床家は社会の後ろを行く存在でしかない。予言はできない
社会に対して大きなことを発言すると、患者の治療に抵触するから臨床家は発言が難しい
質問B-2:精神分析から出てきたネガティブ・ケイパビリティという言葉が文脈から切り離されて使われているのをどう見ているか
ヴィヨンの言葉だが、それも詩人のジョン・キーツから引用している
精神分析では精神分析のその言葉の陰影があるが、まあ専売特許があるわけでもないので(山崎)
それではいったん休憩に入って第3部に…(住本)
ちなみに今52/102でちょうど半分です!(山崎)
「フロイトとラカンだけじゃない現場の精神分析」第3部講義メモ