メタ・ハンロンの剃刀
「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」というやつ
自分は思考の中にこれがかなり大きな位置を占めてる自覚がある
自分はそれが行き過ぎた結果、「無能で説明できることに悪意を見出すような行為こそが、最も悪い」という #倫理 感を持っているような気がする 自分は「どう見てもスキルの問題なのに態度や姿勢を非難するやつカスすぎるのでは?」みたいな義憤を持つことが多い
ハンロンの剃刀を使わない人間が悪に見えてしまう
これは「自覚のない悪が最も悪い」みたいな考えと関係があるような気がする
あるいは「道徳的非難の土俵にあがった人間は道徳で殴り返されるのが当然」みたいな発想もありそう
ものごとを倫理とか善悪の問題にすること自体に、そもそも後ろめたさが伴う感じがする
以下、この考え方を (A) とおく
しかし、真にハンロンの剃刀の原則に従うなら、そのような人にも悪意を見出すべきではないはず
「無能で十分説明されることに悪意を見出してしまうこと自体が、無能によって十分説明される。だからそのことに悪意を見出してはならない」
スキルの問題を態度や姿勢の観点から批判するやつには、そもそも批判のスキルがないのだ!
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要約すると「悪いっていうやつが一番悪い」といってるにすぎないじゃん、とまとめられそう
「〇〇 って言うやつが一番 〇〇 なんだ」は一般的に安直で、誰にでも作れる構文なので、それを根拠にした非難は基本的に怪しいと思った方が良い、と言われてしまいそう
正直私もそう思うし
しかしさらに、これに対して次のように思うことは可能である
「ハンロンの剃刀を適用できないのは相手の無能さによるのに、そこに倫理的な悪さを見出す (A) は倫理的に悪い」みたいな
したがって、「スキルの問題を態度や姿勢の観点から非難するやつカスすぎるのでは?」みたいな義憤を持つこと自体に倫理的な問題があることになる
話がややこしくなってきた
以下、この議論は無限に続く……