人格もまた能力の一種である
……と言う人はあまりいないが、たまにそれを前提にしてるんじゃないかと感じる人の言動を見かける。ここでいう「能力」とは、本人の意思とは独立して、上手いか下手かが測れるものといったニュアンスだ。
たとえばレビューや批判の文脈で「あなたのやったことを指摘してるのであり、あなたの人格を責めているのではない」と言うフレーズが好んで使われる。が、これに嘘っぽさを感じたり、反論したくなった人はタイトルのようなことを(明確には言わなくとも)発し始めることがある。
しかし冷静に考えると、本当は「人格もまた能力の一種である」の方が事実としては正しくて、それを隠すための建前として「人格の問題と能力の問題は別」という倫理が存在する、とは言えないか?
人格に優劣があるのは正しいが、それでも人格の問題は能力の問題とは別だと言えるとすれば、それはなぜ?