非人間化
なぜ心を読みすぎるのか みきわめと対人関係の心理学によれば、これには動物化とモノ化の2つがあるという。
モノ化はネガティブな面だけでなくポジティブな面もある、とのこと。
現在、誰が人間で、誰がそうでないのかは自明で、そこに複雑な問題はちっともないように見えるが、わたしたちが嫌というほど知っているように、歴史の異なる時期においては、様々な人間が獣のようだとか、人間よりは動物に近いとみなされたり、「進化の失われた環」と考えられたりしたーー ここには、内面性や野蛮、セクシュアリティ、依存、能力/障害、身体的・精神的差異などの定義と不可分に絡みあう様々な分類がつづく。荷を引く獣たち スナウラ・テイラーp.48
ここでのポイントは、類型化と非人間化の歴史における動物の形象の重要性を露わにすることに留まらない。それはまた、動物と、そしてそれゆえ人間なるものは、純粋に生物学的というよりかは、社会的に決定される厄介なカテゴリーであるということを明らかにする点にある。荷を引く獣たち スナウラ・テイラーp.49
知的障害がこのようにたやすく動物化されてきたのは、動物たち自身が長いこと知的に遅れていると考えられてきたからである。人類学者のヒュー・ラッフルズはこのように語る。非人間化は「二つの連想を必要とするーー標的とされた集団を特定の動物と同一視すること、そしてその動物と十分に否定的なかずかずの特徴とを連結させること。これらの特徴は、いつもその時代と場所に特有なものである。西洋哲学の伝統において、動物たちは繰り返し、愚かで、欠陥があり、意味ある思考をおこなうことができないものと見なされてきた。荷を引く獣たち スナウラ・テイラーp.136