障害
ところが、同じ報告書のなかで、 一部の障害者団体からはまったく逆の意見が出されている。 人に対して「害」の字を使用することは不適切であるとして、 「障害」の表記を「障がい」 に変更する考え方は、障害者の社会参加の制限や制約の原因が、 個人の属性としての機能障害にあるとする個人モデル (医学モデル) に基づくものであり(中略)採用すべきではない (DPI日本会議)。漢字を、ひらがなに置き換えてしまうと、 「社会がカベを作っている」 「カベに立ち向かう」という意味が出ない (東京青い芝の会)。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 107ページ これに対し、差別解消法は、 障害者の不利や困難(ディスアビリティ)は、社会的障壁 (6) つまり社会的につくられる障壁によって生じるという考え方を採用し、以下のように定義している。 (定義) 第二条一障害者身体障害、知的障害、精神障害 (発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害 (以下「障害」 と総称する。)がある者であつて、 障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にある者をいう(7)。したがって、 差別解消法がいうところの障害者とは、社会的障壁によってディスアビリティを経験している人たちのことを意味する。 清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 116ページ 障害の「個人モデル」 とは、障害者が経験する社会生活上の不利や困難 (ディスアビリティ) は、 その人の身体的、精神的、知的特徴 (インペアメント) によって生じているとする考え方である。 この考え方は、 インペアメントの原因を追究し、 その治療や回復を図ろうとする領域(たとえば、 医学的・心理学的な研究) において採用されてきたものである。 加えて、これら領域における知見は障害をめぐる問題全体を覆い尽くすような圧倒的な力をもって、障害者の生を大きく左右してきた歴史をもつ。こうした経緯から、 障害の 「個人モデル」は「医療モデル」 とも呼ばれる。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 107ページ ここまでの説明からわかるように、 合理的配慮の提供とは「障害者が希望する配慮を提供すること」では必ずしもない。実際、 事業者側の負担があまりにも大きいと判断される場合には、希望どおりの配慮を提供しなくても差別とは解されない。 しかしその場合でも、 事業者には障害者との話し合いを継続すること、 また事業者側にとって可能な「その他の配慮」 について考えることが求められる。つまり重要なのは、障害者の意思を尊重しつつ、彼ら/彼女らが直面している社会的障壁を取り除いていくことにある。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 118 ページ 飯野: 障害って、 アイコンとして使いやすい側面もありますよね。PCに関係のない話になりますけど、 障害って見た目であるかないか判断できるという思い込みがけっこう強くある。 その思い込みがあるゆえに、 見た目ではわかりにくい障害を持っている人たちへの不審の目が非常に強い。そこが、 精神障害や発達障害のある人に対する攻撃にもつながっているんだろうな、と感じています。 見た目で障害があるように見えない人に対して、 マジョリティに合わせるように圧力をかけるというのかな。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 198ページ 類似回避