違いに出会う
なつね 私は、「違いを認めあう」っていうより、違いを認められないこともある、 それをわかった上で「違いに出会うこと」が大事なんじゃないかと思う。 さっきも話したように、 この3日間、 長野に行って他校の人たちと出会うことで、自分の学校を客観的に見直すことができて、短所も長所も見えてきた。 ずっと同じところにいると、その世界しか知らないから、 視野が狭まっちゃう。 違うところに行ったり、違う人と出会ったりするのは、怖いけど、あえてそれを自分からしに行くことで、得られるものがたくさんあるって思った。 / *まほ 「違いに出会う」っていうことは、私も思った。 私は、 お兄ちゃんが重度の身体障害を持っていたから、たぶん、世間の多数の人たちとは違う人たちに出会う世界にいるなーっていうことは、 早くから意識してた。 あと、大人になると、世界が広まるようで、 実は狭くなるなって感じてる。 大学に進学しても、まわりは専攻したいものが同じ人ばかりで、ひとりひとりは違うんだけど、共通点の多い人が集まる。 共通点があまりない人と同じくくりの中にいるっていうのは、本当に幼い時くらいしかないのかなーって思う。根っからの悪人っているの?: 被害と加害のあいだ シリーズ「あいだで考える」 坂上香 30ページ
ある場合、相反するニーズが生まれる可能性があることが想像できます。 しかし、 人間関係の問題が生じる真の原因は、お互いの差異自体ではなくその違いにどう関わるかにあるのです。 私たちの多くは、他者との違いを安心感やつながりを高めるような形では対処していません。というのも、人間関係における差異について、 違いは欠陥である、人々を断絶する、似た者同士のみが相容れるという三つの神話を信じてしまっているからです。ヴィーガンとノンヴィーガンのためのコミュニケーションガイドブック メラニー・ジョイ ・ 83ページ
既知と未知