紙の本のバリアフリー
厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本がモテること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店で自由に買いに行けること、ーー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。市川沙央ハンチバックNo.200 こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。市川沙央ハンチバックNo.261 紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていれば済む健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。市川沙央ハンチバックNo.265 苛立ちや蔑みというものは、遥か遠く離れたものには向かないものだ。私が紙の本に感じる憎しみもそうだ。運動能力のない私の身体がいくら阻害されていても公園の鉄棒やジャングルジムに憎しみは感じない。」ハンチバック市川沙央(No.250) ただ、市川の紙の本批判は、実は精神障害者などのことをあまり考えてない点も注意が必要。名前氏の次のツイートを参照。 https://gyazo.com/b26cf01a74d609ebaf9a411dc8d4cb31
本を読むのに必要なのは、目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、書店へ自由に買いに行けることの五つの健常性と書かれているけれど、絶対にそれだけではない
現に私も鬱や躁で読めない時期が多くてどれだけ悔しい思いをしたか 市川沙央の芥川賞受賞、その後の会見やバリバラでの発言などによって、「紙の本しか出さない」の意味がガラリと変わってしまった。「紙の本しか出さない」のはこだわりや選択なのではなく、「知ってても対応しない障害者排除」、差別になった。
なんらかの事情をつけて電子の出版が「できない」と言うことは、バスの設備を変えずに「乗りたいのなら一定条件を障害者が満たせ」と言うのと同じだ。バスが公共交通機関なら、書籍だって公共言論のメディアだ。
※もちろん市川の前から、同じことを言い続けていた人はたくさんいたのだろうけれど。