大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立
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女は「花」、美しさばかりで語られるのは今も昔も変わらない。と言うと、いや、そんなことはない。単に美貌だけではなく、昔は歌でその才で女も評価されていたのだと言われる。実際そういう側面はあったのだろうけれど、それでも美しい人は「美しい」にフォーカスされていってしまうのは小野小町の歌で見た通りである。 が、百人一首の女性は小野小町だけではない。百首のうち21首は女性の歌である。では、その他の女性はどのように才能を認められていたのかという一例、それがこの小式部内侍の歌である。 小式部内侍は「あの」和泉式部の娘で、若い時から和歌の才能がとんでもなかったらしい。若い女が「才能ある」となると、くだらない男からいちゃもんつくのが世の習い。とある歌会の前日、小式部内侍は藤原定頼から「明日は歌会ですよ。お母さんからの使いは来ましたか?」と聞かれる。「お母さんからの使いは来ましたか?」、つまり「いっつもお歌はママに代わりに作ってもらってるんでしょ」という意地悪である。元祖テクスチュアルハラスメント。定頼、キモーッ。それに対して小式部内侍が即興で読んだのがこの歌だ。 大江山は丹波にある山のこと。生野も京都にある地名。そして天の橋立は京都府宮津市にある日本三景の一つ。「生野」と「行く野」が、「踏み」と「文」がかかっているため、歌の意は「母のいる丹後まで。大江山を越え、生野の道を行くのは遠いので、まだ天橋立の地を踏みもしていませんし、文も見ていないのです」。 「母に会ってもねーし手紙ももらってねーよバーカ!」というキモ頼(もうキモ頼でいいだろ)への強烈なカウンター。要するに、即興のできる頭の回転の良さ、才能は、この時代でも藤原定家(72)というジジイ選者から評価されていたということなのだが、自分のような根性捻じ曲がり人間は「他人のハラスメントをわざわざ後世に記録として残そうとする、この定家という人間も相当意地が悪いし、「キモ頼はどんなキモ歌を歌うんだろう」とかが気になって仕方ない。ちなみにキモ頼の父親は藤原公任(ふじわらのきんとう)で、この人はファッキン・クソ・エリート。つまりキモ頼も華麗なるファッキン・クソ・エリートです。 キモ頼キモ頼と連呼したが、冷静になって調べてみると(今からかい)、小式部内侍と定頼は恋仲だったとも言われているし、年齢差も定頼のほうが4歳上とかその程度。気になる子にちょっと意地悪してみたとか、その才能はどんなもんだろうと即興能力をテストしてみたとかそういうことなのかもしらん。ね、全然キモくない(キモい)。
即興の切り返しなので、言ってみればトーク番組での芸人の掛け合いみたいなもの。歌の叙情や情緒成分はその分少なめだけれど(コンテキストありきということ)、それでも大江山、生野、天橋立と地名を三つも重ねて情景イメージを豊かにしつつ「そんくらい遠いんだからふみみるわけねーだろ」という説得力にもつなげているのは流石としか言いようがない。
昔の人はクソリプへの切り返しにすら日本三景を読み込んだ。意地悪が意地悪として機能するために。意地悪はかくも美しくなければならぬのだ。天橋立。死ぬまでにでいいから一度はふんでみたい。