右は左でないからダメなのではなく右なのに右になってないからダメ
十代半ばから月刊「正論」読者でもあった私のような筋金入りの人間に対して、読書バリアフリーを訴えるマイノリティな身体障害者という面だけを見て、こいつは反日だの、左の活動家だのと、ずいぶん皮相浅薄なことを言ってくるものだと悲しくなった。それ以上に、昨今SNSが媒介する社会分断の深刻さはまことに嘆かわしいものがある。こういう時代にこそ人の心に想像力を養う小説という文化の力を逞(たくま)しくしていかなければならないと、芥川賞作家としては多少しらじらしくても言うべきだろうか。しかし産経新聞を購読する賢明な諸兄姉におかれては、もとより誤解の余地もなく、バリアフリーそして読書バリアフリーには右も左もないということを理解いただけるものと信じている。 / 差し迫る国難を見据えなければならない時代に、右か左か敵か味方かをインスタントに判断して両極端に分裂したがる安易な分断現象をこのまま放置していてよいとは私には到底思えない。れっきとした国家の脆弱(ぜいじゃく)性だろう。人口減少の社会では、ただ一人の生きる力の取りこぼしもあってはならない。保守派の包摂的な寛大さと対話能力が今こそ我が国のために発揮されることを心から願うし、私も相互理解を試み続けていきたい。右も左もない「読書バリアフリー」 芥川賞 の市川沙央さんが本紙に寄稿 - 産経ニュース そして「産経新聞を購読する懸命な諸兄姉」という誉め殺し。意地悪ゥ......。 でも、今ってこういうことを書くだけで「市川は保守を認めるのか」「保守なのか」って話にされてしまうんだよな.....。「読書バリアフリーには右も左もない」と言っているので「中立ぶるな」とも言われるだろうし、「反日だ」「左だ」とも言われているし、またこれで「右だ」とも言われて全方位から敵認定されてそうだけど、産経新聞にきっちり記事のせてもらってるし、したたかだよな。私はこういう人がまっすぐに捻じ曲がった人が大好きである。
市川はその後、『ハンチバック』を読んだ植松聖死刑囚にも(サラっとだけど)応答していて「相互理解を試み続けていきたい」はウソではない。