叱るのは効果がない
「叱る」をできるだけ避けたほうがいい第一の理由は、倫理的、道徳的なものではなく、 単純に効果がないからです。 そして効果がないわりに、 副作用としての弊害は大きいのです。〈叱る依存〉がやめられない 村中直人22ページ ところが近年の研究では、 扁桃体が過度に活性化するようなストレス状況は、 知的な活動に重要だと考えられている脳の部位(前頭前野)の活動を大きく低下させることが確認されています 。危機的な状況を即座に脱する必要がある場合、 状況把握や知的な思考が行動を遅らせてしまう可能性が高いために、このような仕組みになっているのかもしれません。 「防御システム」 は、人の学びを支えるメカニズムとは真逆のシステムなのです。 〈叱る依存〉がやめられない 村中直人 35ページ しかしながら、叱られた側のネガティブ感情が強く引き出されると、苦痛や恐怖で意識が満たされてしまいます。 すると叱る側の思いとは裏腹に、その状況の原因には意識が向きにくくなってしまうのです。 「なんとかしてこの嫌な時間を早く終わらせたい」 「どうしたら黙ってくれるのか」 「頼むから放っておいてくれ」 などの、苦痛から逃れるための考えで頭がいっぱいになります。 ここでこの子どもが学習するのは、「本来はどのように振る舞い、 どうすればよかったのか」 ではなく、 「叱られたときに、 どうしたらよいのか」というその場しのぎの対処法です。 これは、 「叱る人」の願いとはまったく異なる結末と言えるでしょう。 また、 苦痛からの回避、つまり 「これ以上叱られたくない」 という発想は、 都合の悪いことをごまかしたり隠したりするようになりやすい側面もあり、これもまた適切な行動を学ぶことにはつながっていません。 〈叱る依存〉がやめられない 村中直人 45ページ そもそも「叱る」 が役立つ状況や用途はとても限定的です。 目の前の困った状況への「危機介入」 か、 特定の行動をしないようにしてもらう 「抑止」の二つだけです。 逆に言えばこの二つにあてはまらない場合は、 「叱る」 意味があまりないことになります。〈叱る依存〉がやめられない 村中直人 137ページ 「叱る」は抑止力として予防的に用いることが基本です。つまり実際には叱らずに、予告だけするのです。実際に叱ってしまうと相手は 「防御モード」になって、言い争ったり隠蔽しようとしたりする可能性が高くなります。ということは、 実際に叱らなくてはならない状況を招いてしまった時点で、本来は「叱る「人」の失敗だと考えるべきなのです。 〈叱る依存〉がやめられない 村中直人 139ページ さらに言うと、苦しみが成長につながるのはそれが他者から与えられたときではなく、報酬系回路がオンになる「冒険モード」において、主体的、 自律的に苦しみを乗り越える時です。 周囲の人間ができることは、 本人が 「やりたい」 「欲しい」 と感じる目標を見つけるサポートをすること。 そして目標を目指す 「冒険」を成功させるための武器を与え、道筋を示すことです。繰り返しますが、 「叱る」 がなくても厳しい指導は可能です。〈叱る依存〉がやめられない 村中直人131ページ 近年、多くの子どもたちが、 昔よりもずっとスムーズに自転車に乗れるようになっていることをご存じでしょうか? 子どもたちの身体能力が劇的に向上したわけでも、 自転車の乗り方そのものが変わったわけでもありません。 変わったのは乗れるようになるまでのステップです。 昔は自転車に乗れるようになるまでの前段階は「補助輪付き自転車」を使うのがほとんどだったように思います。 しかし今は 「ペダルなし自転車」が圧倒的に主流になっています。 ペダルがなく足で蹴って前に進むので、 子どもが恐怖心を感じにくく、バランス感覚が自然に身につくため、 そのほうが自転車への移行がスムーズなようです。 昔のように怖がったり、何度も転んで泣きながら自転車の練習をする姿は今ではあまり見なくなりました (私自身も自転車に乗れるようになるまでに相当苦労したので、 今の子どもたちをうらやましく思っています)。 〈叱る依存〉がやめられない 村中直人 151ページ こういった「誤学習」 への対応の基本はシンプルです。 何をすればよいのかを明確に伝えて、 それをすることで「報酬」を受け取れる状態にするのです。 不適切な行動で得ていたごほうびよりも、 適応的な行動で得られるごほうびのほうがよければ、 自然と適応的な行動が増えていくことになるという、単純な理由です(ちなみにこの場合、もともと得ていた報酬と同じ種類のほうがうまくいく確率が高くなります。注目ならば注目を、処罰欲求の充足ならば処罰欲求の充足を、 適応的な行動をすれば得られるようにするということです)。〈叱る依存〉がやめられない 村中直人155ページ 理不尽に耐え続けるということは、報酬系回路が活性化される 「冒険モード」の機会を奪われ続けることも意味しています。 危機からの回避や闘争は、 「欲しい、 やりたい」 という心理状態とは両立しないからです。まして理不尽によって 「諦め」 を引き起こすことは、 「欲しい、やりたい」という気持ち自体を奪うことです。 そういった状態が続くと、 人はそもそも「やりたいことが何かわからない」 という状態になってしまう可能性が高くなります。〈叱る依存〉がやめられない 村中直人117ページ