やりたいこと
moriteppei.icon 「しなければならないこと」の代わりに「できること」をやろうとしたり、「できること」があるのに「やりたいこと」ができないと挫折感を味わったり、「やりたいこと」の明確化は「しなければならないこと」だと思い込んだり、人間のバグ、めんどくさい。 やってみたいことリストでやりたいことをいくつもやっていくうちに、少しずつ「つまらない」「何もおもしろくない」「何もやりたいことがない」みたいな気持ちの方が大きくなってきて、無気力になった時期があった。/ 「自分の欲望」を自覚することは大事だけど、私にとってはそれだけを追いかけたり、何かを消費したりすることが、自分にとっての幸せではないのかもしれない。/ コロナと前職での鬱屈がたまりすぎて、3年くらい自分のことしか考えたくなかった時期があった。/ しかし、本来の私は、自分の楽しみだけを満たして、それだけを追いかけても虚しくなっちゃうタイプなんだと思う。/ やってみたいことリストを消化するだけでは幸せになれない性格だということがわかっただけでも、作ってみてよかったと思う。やってみたいことリストをやってみた結果 ここからは私の考えだが、どうしてやりたいことリストが自己肯定につながるのかというと、「他人の欲望」と「自分の欲望」の境界を引くことにつながるからではないだろうか。/ 今はネットにも町にも常に広告があふれている。/ おススメされてくるものは山のようにあるが、資源は限られている。/ また、自分がしたいと選んでいるようで、環境やプラットフォームに選ばされていることも多い。また、現実の人間関係の中でも発言が苦手だったり、ほかに欲望をうまく出して人を巻き込むのが上手な人がいたりすると、そちらの意見に譲ったり、自分も巻き込まれてしまったりする。/ 「人の欲望」に巻き込まれたり、「人の欲望」を自分の欲望と取り違えたりしたとき、モヤモヤすることがある。/ そんなときに「やってみたいことリスト」は「自分の欲望」を確認するためのアンカーとなるのではないだろうか。やってみたいことリストをやってみた結果 やりたいことに書いてないやりたいことが途中で出てくるっておもしろいな。やりたいことは常にやりたいことじゃない。やってるうちに「しなければならないこと」になってたり「やりたくないこと」になったり「どうでもいいこと」になったりする。その発見がおもしろい記事だった。