保守
保守主義とは、あくまでも思想的な態度であり、進歩主義的な考え方に対してアンチテーゼを出し続けていくことに尽きます。人間は基本的に放任されるのが自然な状態であって、一部の「良識ある人々」が、民衆を領導して作り上げるユートピアなど、ある意味ディストピアであって、頑固に反革命を唱え続けることこそが保守主義者の立場なのです。保守の本分 noiehoiepp.17, 8 保守主義的な態度とは、反進歩主義に軸足を置いて、理性に対する懐疑を持ち、他人のことは放っておこうというもので、 もっと簡潔に言えば、まずは今の自分の生活を守る、そしてその目的を達成するために、他人の生活も守る必要があるのだ、という考え方だと思います。ドラスティックな改革の進め方を拒みつつ、自分の周り半径数十メートルの生活圏内のメンテナンスを、驕らずたかぶらず取り組み続ける人々を、私は保守主義者と定義しているのです。保守の本分 noiehoiep.54 では、何をもって右翼とするかというと、突き詰めれば「天皇陛下万歳」と言えるかどうかという部分でしかないと思うのです。私も自分を右翼と定義しているのは、保守主義者として左翼的な進歩主義と対峙する中で、日本におけるユートピア思想の拡大と対峙するためには、日本においては天皇陛下を戴かざるを得ないと信じるので、私は天皇陛下万歳と言うべきだと思っているわけです。保守の本分 noiehoiepp.70, 71 率直に言って、日本の右翼思想は戦前戦後を通じて、社会主義的なものと結びつきが非常に強い。ファシズム・ナチズムに対する憧れが根底にあるがゆえに、 どうしても社会主義的な性向を帯びざるを得ないのです。 日本の右翼と左翼の対立は、天皇陛下ありのユートピアイズムか、天皇陛下なしのユートピアイズムの、いずれかの違いでしかないのです。 これこそが、戦後右翼が失敗した原点であり、私はまずボタンの掛け違いを直したいのです。保守の本分 noiehoiep.74 ただ、一方で右翼思想自体もまた、広い範囲に渡るものの、最大公約数として天皇陛下万歳と言えるかどうかという共通項があると思っています。日本の場合には、少なくともそれが言えなければ右翼とは呼べないでしょう。もしも「北方領土を返せ」「竹島返せ」と主張することが右翼だとしてしまうと、日本共産党までも右翼になってしまいます。保守の本分 noiehoiepp.54, 55