保守の本分
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メディアではすっかり定着しつつある「ネット右翼」「ネトウヨ」という言葉ですが、ネット右翼と一般の右翼は、一体何が違うのでしょうか。かつては家の中にいるか外にいるかという分け方なんていうのもありました。例えば、家の外でデモをしているから、在宅会はネトウヨではないという考え方です。しかし、それは大きな誤解であって、端的に言えば、「ネットばかりやっている人が、ネット上で右翼的なことを書いている」という定義は誤りなのです。/ それでは、ネトウヨとは何なのか。「情報操作をネットに依存して、右翼的とされる主張を発している人々」なのです。保守の本分 noiehoiep.10 排外デモの現場で在特会と対峙する度に、ヘイトとは感情ではないと痛感します。一般には、感情が彼らを突き動かしているという声の方が多いため、私のこの感想を聞くと不思議に思う人もいるかもしれませんが、実際に退治すると、彼らは全然感情的ではありません。むしろ、まったくと言っていいほど冷静なのです。 / 一般的な感覚で見ると極めて奇異な光景です。「殺せ」「ゴキブリ」「ウジムシ」といった言葉からはク口調の激しさを連想しますが、それに反して、彼らは普通に会話する感覚で、ゴキブリとかウジムシのような罵詈雑言を口にしているのです。 何かにキレて、過激な言葉が口を突いて出ているわけでも何でもない。だからこそ、根が深いと感じるのです。保守の本分 noiehoiepp.31, 32 大正デモクラシーの時代、 吉野作造らが提唱していた「民本主義(デモクラシーと同義。大日本帝国憲法は、天皇主権が前提なので、民主主義という言葉を避けた)で、普通の近代国家にしましょう」、「明治憲法の枠内で普通に議会制民主主義を運営しましょう」という、真っ当な保守主義革命が続いていました。 ところが、大正12年(1913年)の関東大震災によって、それが一気に崩壊してしまいます。当時のリベラル勢力が(今から考えれば、リベラルでも何でもない、真っ当な保守主義者ですが)、いわゆる「生活の危機」という言葉の前で、「[民本主義万歳だとか浮かれてるけど、そんなもの、この災害を前にして、何の役にも立ちやしねえじゃねえか」という声によって押し潰されてしまったのです。保守の本分 noiehoiep.43 誤った選択をしてしまった 戦前のあの時、誰かが暴力を振るってでも止めていれば、異なる歴史になっていたかもしれない。後、権力からの一方通行の暴力は常にあり続けたわけですが、もしあそこで本当に、井上日召和尚のように東北から窮民を抱えて二重橋前まで来て、数万の窮民が皇軍の発砲によって死ぬことで、逆に近衛師団を制圧し、 我々は天皇陛下を奪還することができるだろうっていう、狂信的な行為を実践する人間が本当にいたら、おそらく戦前の空気は変わっていたのではないでしょうか。保守の本分 noiehoiepp.48, 49