わかってないのは距離感ではなく上下関係
moriteppei.icon コミュニケーションにおいて「人との距離感がわからない」と言ってる人、実はわかってないのは「上下関係」だってケースが少なくないのでは。そういう人、根拠も理由もないのになぜか偉そうなんですよ。自分のほうが偉いと思ってるバカを人は快く思わないことが少なくないってのは当たり前のことでしょ。距離感(親しさ)ではなく、謙虚になったら。それができないから苦労してるのかもしれないが。@eyehatesns Threads moriteppei.icon 年下からタメで喋られてイラッとしたんだけど、考えてみたらそれでイラッとする人と、別にイラッとしない、なんならタメ口でいこうよーって人がいる。何の違いなのかと思うが、タメ口でイラッとする人は「タメ=立場が同じ」ではなく「タメ=私は偉い(お前より)」を感じさせるんだよな。そうすると自分のような狂犬キャラは「あ?」って言いそうになってしまう。@eyehatesns Threads 「コミュ障」について、「距離感がバグってる」としばしば言われる。でも、そういわれるケースをよく観察してみると、距離感がバグってるのではなく、それ以前。上下関係がわかってないのでは?と思われる事例が多い。 そんなことはない、自分は偉そうにはしていない、対等に話していると思うかもしれないが、そこが最初の誤解なのである。「コミュ障」とそうでない人は「コミュニケーションにおいて」対等ではない。「コミュ障」はコミュニケーションが苦手なので、どうしてもそうではない人に負担をかけがちだ。それなのに「コミュニケーション、会話、対話なんだから平等でしょ?」というスタンスで行ってしまう。実はそこから同意が取れていないため、そのまま会話を進めてしまうと、周囲との言語化/意識化されていない認識にどんどんズレが発生してしまう。
非常に言いにくいことだが、正直に言ってしまうと、コミュ障が「話す」ことをそもそも誰もそんなに望んでいない。その証拠に「コミュ障」が話すと場が冷えていく。人がいなくなっていく。トラブルが発生する。だから「コミュ障」なのだ。
慈善に満ちた人たちならそれでも少しは話しを聞いてあげたいと思うかもしれないが、それも「少しは」「耐えられる程度には」「サービスとして」話も「させてあげよう」という、ただそれだけの話。それなのに「対等なのだから、みんなも結構話してるから、自分も同じように同じ分量だけ話そう」としてしまうと、その時点で、本来「下」であるはずのものが「対等」のように振る舞うため「なんか偉そう」と思われてしまうのである。このこと自体がいいことだとは私は思わないが、現実を冷酷に認識すると「そう」なのだから仕方ない。まずはこのことを「コミュ障」は認識する必要がある。残念ながら。
また「コミュ障」は他者の知性レベル、知識レベルを想定することが苦手だ。これが相手を「見下す」ことになってしまいかねない。
たとえば、あなたが将棋の話をするとしよう。相手が将棋に詳しくなければ、将棋のルールから説明するのがよいかもしれないし、藤井聡が誰なのかから説明しなければいけないかもしれない。
けれども、あなたの予想に反し、相手があなたよりも将棋に圧倒的に詳しければどうなるか。既に相手が知っている話を、まるで相手が知らないかのように話すことで、「自分より詳しい人」に対して「自分の方が詳しい」かのように話してしまう。見下しである。ここから「こいつなんかえらそう」「こちらをバカにしてる」という印象が醸し出されてしまう(もしあなたが男性で、相手が女性だとマンスプレイニングになってしまう)。 では、コミュニケーション能力が高い人はどうしているかというと、彼らは相手の知識レベルの推定精度が高い上に、自分が話をする前に、相手の知識レベルの確認から入る。そして、話をする中で相手の反応を見て、途中で話の知識レベルを相手に合わせてチューニングしている。相手がわかっているだろう話は省略し、わからないだろう話は説明を詳しくし、食いつきのよさそうな部分にフォーカスしていく。
だが、そんな高度なことは、会話の分析能力が低い「コミュ障」にはできない。だから、相手が誰であっても既に用意してある話をそのまま「空気も読まず」(ここで本当に読めていないのは空気なのではなく相手の知識レベルや興味関心であることに注意)話してしまう。
こうした事情があるにもかかわらず、年齢や社会的立場がおそらく上であろう人間に対して、「ここはインターネットだから」「単なる趣味の集まりだから」とタメ口で語ったり、ラフな言葉遣いをしていると、「こいつえらそうだな」という印象をさらに強化してしまう。相手の知識レベルを想定する参照。 「コミュ障」はワードチョイスも苦手なことが多い。私は尋ねてもいないのに、親しくもない人から、私が知ってる著者の、私が知ってる書籍の情報を伝えられた後、「森さんを啓蒙してあげました」とSNS上で投稿されたことがある。これは一見「親しくもない」ことが問題のように、つまり「距離感がバグってる」のが悪いように思われるが、実際に問題なのは相手の知識レベルについてハナから「自分より下」と思い込んでしまっていること、そして「啓蒙」(蒙を啓く)という「上から」ワードチョイスである。わかってないのはここでもやはり、距離感ではなく「上下関係」なのである。
その場の話を頼まれもしないのに無理にまとめようとしたり、突然「司会を仕切る」のも「コミュ障」あるあるである。繰り返しになるが「コミュ障」は分析能力が、特に会話やコミュニケーションに対する分析能力が低い。分析能力が低いのだが、趣味や好きなことには徹底して傾倒したり、物事について考えたり、批評的なことをするのが「好き」なので(下手の横好き)、自分は分析能力だけは高いと勘違いしている。だから、突然「この場の話を自分が上手くまとめてみよう」とか「司会やホストの人よりうまく仕切ってみよう」とする。が、それは「なんだこいつ」「なんでこいつ、こんなにバカなのに偉そうなんだ?」と思われてしまうのである。