ゆうごくん
子どもにはゴミPCを与えるべき!と思ったんだが、scrapboxの自分のメモ見たらこうなってた。
https://gyazo.com/b2022f5c9ee32609a23224d228a1d668
逆も言えてしまうんだよな。「PCってこの程度のものか」って思われてしまう。
だからたとえば、やりたいことがレベルが高すぎる。他方で「やれる」「できる」「やった経験がある」が皆無になりがち。
「エンダードラゴン(マイクラのラスボス)倒したい」っていうんだけど、目の前のマウスやキーボードもろくに操作できないのですぐに「もういい」になったりしてしまう。 今、おとなり3(森が運営している図書館)に連日遊びにきている子がいて、この子がすんごいハッキング精神にあふれてる子で。もうずっと目がキラキラしてるんだよね。 最初はとにかくレゴ。レゴが大好きで自分一人で「レゴ部」を勝手につくった。部員は自分と弟のみ。 次にレゴで好きなものや遊びたいおもちゃを全部つくる。今度はレゴでモーションピクチャーをつくったり、それをyoutubeに公開したり。
少したつとゲームに興味が移動しはじめた。他の子はみんなマイクラや、フォートナイトをしてるのに、一人でずっとマリオ、マリオ、マリオ。あ、マリオ1です。
だんだんマリオを動かしてるファミコン自体に興味を持ち始めた。
ファミコンにつらなるものはすべて調べはじめた。「RFスイッチ」とか「ディスクシステム」とか。
最近はハードオフやブックオフに行き、古い筐体を探してきては、修理して遊んでいた(もうマリオすらやってない。修理ばっかりしてる)のだが、修理にも飽きてきたのか、「Wiiの本体をスーファミの箱の中に内臓させる」とかわけわからない遊びをしていた。
それが昨日、突然「森さん、Cities:Skylineってゲーム持ってる?」って聞いてくる。で、パソコンでずっとプレイしてた。「きみはパソコンの分解には興味ないのか」と聞いたら「最近出てきた!」。 お母さんにLINEで「今タイミングですよ」と。ところが家には「15年前の古いPCと呼べないPCしかない」と。
ゲーミングPC買うならこれくらいしますよ.....とか伝えてたんだけど、はっと気づいたんだが、むしろその15年前のパソコンを好きにいじくりまわすほうがその子は好きなのではないか。
こういう子には「リッチなもの」よりも「枯れた壊れたもの」を渡したほうが楽しめてしまうのではないか。
でも、こういう子をどうやって「つくる」のか。つくると言って悪ければ「育てる」のか。
自分たちの時代もそうだったのかもしれないが、最近の子どもを見ていて恐怖を感じることが多い。
ネジひとつ回せない。ネジ頭を見ない。マイナスにプラスの、全然違う大きさのやつを無理やり押し付けて、逆に一回回して「無理」みたいなこといって、それで平気で「やめた」みたいな子はゴロゴロいる。
「遊んでばかり」というが、遊んですらいない。人の遊びを「見て」ばかり。
だから自分でやった経験が極端に少なく、そのためできることが少なく、何かしたいと思ったときに乗り越えなければいけないハードルが多く、そのため「だったら他人がやってるのを見たほうが楽」なので、ますますやらなくなり.....というループ。
逆にレゴ部の子はyoutubeずっと見てるんだけど、見終わったらハードオフに走っていって、お小遣いで古いゲーム機買って分解して日が暮れるを繰り返してる。
この差は何なのか。教育なのか。素質も関係しているのではないか。
他方で環境の変化も絶対あると思う。産業社会化、他律化、動物化、家畜化。それが自分にはとても気持ち悪いものに見えるのだけど、その気持ち悪さを表明しても、同年代を含め、多くの人が全然問題意識を共有してくれず「?」という感じ。 それが自分には、エンデの童話『モモ』で、誰にも気づかれないうちに灰色の男たちから攻撃されてるのと同じに見えるんだけど、それは自分の幻で、本当は多くの人にとっては「恋愛ってだるいし、コミュニケーションってしたくないし、遊ぶのは見てるだけで十分」ってのが【本来】なのかもしれない。 「人間」が欲してるのは「安全」「楽」「最低限の自由 liberty」だけで、実は自由 freedomではないのではないかって話になる。→ハンナ・アーレントの革命について https://gyazo.com/904badca08752354004d7f826778fcf3