描写内容の理論
注意点
以下にまとめた描写内容の理論は、先行研究で言われているいろいろなことを松永が統合したもの。元ネタは以下。
松永伸司「絵の真偽:画像の使用と画像の内容」第68回美学会全国大会、草稿 同じ関心のもとで銭清弘さんがまとめたもの。事例も含めて内容はかなり重なっている。
おおよそ同じ概念でも、言葉づかいはいまのところ論者ごとにばらばらである。なので、適当な用語に統一した。
実際には、それぞれの論者は言葉づかいだけでなく問題意識や考え方の点でも微妙な違いがあるが、細かい違いはここでは捨象した。
画像の正しい内容(その画像の正当な解釈)が何であるかは一般に言えるが、その基準については諸説ありえる。この論点はここでは問題にしない。以下を参照。
1. 理論的概念の提示
🐫 1.1 〈うちに見る〉内容と認識内容の区別
〈うちに見る〉内容
画像表面を見たときに純粋に見て取れる三次元の色と形のレベル。概念化以前の内容。
概念化されていない段階なので、このレベルを言葉で説明しようとすると色名と幾何学的な語彙を使うことになる。たとえば、「赤い円柱形のもの」など。
白黒写真の〈うちに見る〉内容は、〈特定のかたちをした白黒の何か〉である。
認識内容
直接見て取れる三次元の色と形を自然に解釈して、どのような状態のどんな事物が描かれているかを認識するレベル。概念的に把握された内容。
認識内容は概念化されているので、言語的に記述することが原理的には可能である。たとえば、「赤くて円い郵便ポスト」、「むこうを向いた犬」など。もちろん正確に記述しようとすれば、もっと細かい性質を書く必要がある。
認識内容は、不特定のものを描いた絵にも言える。
白黒写真の認識内容は、ふつう〈色相や彩度は不確定だが何であるかはわかるもの〉である。
〈うちに見る〉内容から認識内容を引き出すメカニズム?
ロバート・ホプキンズは、〈うちに見る〉内容から認識内容を引き出す際には、以下の知識が利用されると主張している。
① 世界に何が存在するかについての知識
② 画像は何を描写できるかについての知識
③ その画像を制作する際にどのような手段が使われたかについての知識
ホプキンズによれば、これらの知識をもとに〈うちに見る〉内容における三次元の色と形がどのような事物であるかが自然に解釈される。
キャサリン・エイベルは、グライス流の語用論を援用して、認識内容はある種のコミュニケーションとして合理的に解釈されると主張している。
ドミニク・ロペスであれば、再認能力の行使によって認識内容が得られると考えるだろう。
🐫 1.2 帰属性質と指示対象の区別
指示対象
その画像がどの個体についての画像なのか。つまりその主題が何なのか。
指示対象は、特定の個体(物や出来事)を描く画像にしか言えない。
たとえば、ナポレオンの肖像画は、ナポレオンについての画像である。
帰属性質
その画像が、指示対象にどのような性質を帰属させているか。
ナポレオンの肖像画は、ナポレオンにしかじかの特徴(たとえば〈椅子に座っている〉〈目がすわっている〉など)を帰属させている。
チャーチルの風刺画は、チャーチルにしかじかの特徴(たとえば〈人面ブルドッグである〉など)を帰属させている。
平叙文との類比
特定の個体を描く画像(たとえば肖像画)は、たんに〈しかじかの特徴を持ったもの〉を描いているというよりもむしろ、〈特定の個体はしかじかの特徴を持つものである〉ということを描いていると言ったほうが自然である。その意味で、特定の個体を描く画像は平叙文に近い。
言語哲学では、平叙文の内容(つまり命題)は、指示(reference)と述定(predication)のセットとして説明される。
指示:
特定の個体をピックアップすること。
固有名が主語の位置に来る場合には、たいてい指示の役割を果たしている。
述定:
その個体にしかじかの性質を帰属させること。
帰属される性質を表す部分は「述語」と呼ばれる。
指示と述定のセットで命題(単称命題)が構成され、真偽が問えるようになる。逆に言えば、固有名や述語だけでは、ふつう真偽は問えない。
例:
ナポレオンは皇帝の地位についた。 → 真
ジョー・バイデンは第46代アメリカ合衆国大統領である。 → 真
大久保利通は長州藩で生まれた。 → 偽
皇帝の地位についた。 → ?
ジョー・バイデン → ?
長州藩で生まれた。 → ?
注意点:
単称命題以外の種類の命題(全称命題や存在命題)もあるが、話がややこしくなるのでスルーする。
重要なのは、画像の描写内容には、単称命題における述定と指示の区別におおよそ対応するものが言えるということ。
帰属性質/指示対象の区別と、〈うちに見る〉内容/認識内容の区別の関係
この2つの区別は明らかに別物ではあるが、両者の関係をどう考えるかはけっこう微妙。
諸説ありえるとは思うが、とりあえず以下のように理解しておく。
不特定のものを描く画像の場合は、帰属性質と指示対象がない。
特定の個体を描く画像の場合は、認識内容の中身が帰属性質と指示対象のセットになる。
帰属性質と指示対象はどのように決まるか
特定の個体を描く画像の帰属性質は、基本的には、それを不特定のものを描く画像として見た場合の認識内容がそのまま使われるだろう。
一方で、画像の指示対象がどうやって決まるかはいろいろなケースが考えられる。
認識内容から指示対象が推測されるケース。
題名などで指示対象が決まるケース。
モデルと指示対象を同一視するケース。
🐫 1.3 指示対象とモデルの区別
指示対象とモデル
画像の指示対象は、画像がそれについて〈しかじかの特徴を持つものである〉と述べているところの個体である。
一方で、当の画像を制作する際に参照された実在の個体がしばしば存在する。これは手描きの絵の場合はふつう「モデル」と呼ばれ、写真の場合は「被写体」と呼ばれるが、あわせて「モデル」と呼んでおく。
指示対象とモデルが同一であるケースも少なくないが、両者が異なるケースもある以上、概念的には両者を区別する必要がある。
画像とモデルの関係
モデル(もしあれば)は、画像の制作に影響を与える。つまり、モデルはその画像の因果的な源泉のひとつである。
手描きの絵ができるまでの因果関係:
モデル → 画家の知覚、信念、意図、技術 → 絵
写真ができるまでの因果関係:
モデル → カメラによる機械的な処理、現像などの半機械的な処理 → 写真プリント
それゆえ、最終的に出来上がった画像は、そのモデル(もしあれば)についての真なる情報を(描写内容とは別に)ふつう運んでいる。画像からモデルについての歴史的な事実を引き出せる場合があるのは、そういう理由である。
画像と指示対象の関係
一方で、画像はその指示対象についての真なる情報を必ずしも運んでいない。
画像が指示対象に対してやっているのは、むしろ、その対象に特定の性質を帰属させるということである。つまり、たんに〈この対象はしかじかの特徴を持っているのだ〉と主張しているだけに近い。
それゆえ、画像の描写内容を問題にするかぎりは、それが真であることも偽であることもあるし、不特定のものを描く絵のようにそもそも指示対象・帰属性質がない場合は、その描写内容は真でも偽でもないことになる。
🐫 1.4 理論の図示
https://scrapbox.io/files/61a2d17288bf0d001d9a0f23.png
描写内容に含まれるもの
〈うちに見る〉内容:画像表面を見たときに純粋に見て取れる三次元の色と形。
認識内容:自然な解釈によって引き出される三次元の内容。どのような状態のどんな事物が描かれているか。
指示対象:その画像がどの個体についての画像なのか。
帰属性質:その画像が指示対象にどんな性質を帰属させているか。
描写内容に含まれないもの
モデル:画像制作時に参照され、画像のあり方に影響を与えるもの。
画像表面:画像表面上の二次元のデザインが描写内容の知覚や解釈を引き起こす。
余談:理論をもうちょっと拡張する
2. 事例の説明
🐫 2.1 いろいろな事例
デフォルメ、ラフスケッチ
白黒画像
何かは描かれているが、それが何かわからない絵
空間を描く抽象画
肖像画、歴史画(特定の個体や出来事を描く絵)
トシテ描写(風刺画など)
モデルと主題が違うケース
🐫 2.2 デフォルメ、ラフスケッチ
一般的な説明
〈うちに見る〉内容における物体の形状と、認識内容における物体の形状が大きくずれているケースとして説明できる。
具体例の説明
例:『いじめ』のキャラクターの絵
〈うちに見る〉内容:目が顔の半分を占める。
認識内容:そこまで目は大きくないはず。具体的にどれくらいの目の大きさであるかは、はっきりしない。
https://i1.wp.com/dragonball.littleair.xyz/wordpress/wp-content/uploads/2019/09/lkijuhyf.png
別の例:鼻がないのに鼻血が出るクリリン
🐫 2.3 白黒画像
一般的な説明
デフォルメと同じく、〈うちに見る〉内容と認識内容がずれているケースだが、両者がずれているポイントが比較的明確に決まっている。
つまり、認識内容の解釈において、〈うちに見る〉内容のうちの物体の形状や明度についてはほぼそのまま引き継がれるが、色相・彩度は不確定なものとしてほとんど自動的に解釈される。
もちろん、白黒画像とデフォルメがセットになっている場合は、物体の形状についても〈うちに見る〉内容と認識内容とでずれることになる。
具体例の説明
例:任意の白黒写真
〈うちに見る〉内容:白と黒と灰色からなる光景
認識内容:色相や彩度が不確定な光景
https://scrapbox.io/files/61a3db4defadab001d6d3401.jpg
ヒトラーを演じているチャップリンの写真
余談
関係ないけど面白い錯視の例:
🐫 2.4 何だかわからないものの絵
一般的な説明
同じく〈うちに見る〉内容と認識内容の区別で説明できる。
「何だかわからない」というのは、〈うちに見る〉内容自体はそれなりに明確にあり、かつ〈おそらく何らかの認識内容を描こうと意図されたものではあるが、その認識内容がつかめない〉ということ。
具体例の説明
例:ナスカの地上絵の一部
〈うちに見る〉内容:これこれの形状の何か
認識内容:???
https://scrapbox.io/files/61a3e0f950561f001d19afb1.jpg
ナスカの変な絵
🐫 2.5 空間を描く抽象画
一般的な説明
同じく〈うちに見る〉内容と認識内容の区別で説明できる。
「何だかわからない」のケースと違うのは、認識内容がおそらく意図されていないであろうことがわかる点。なので、空間を描く抽象画の場合は、意図された認識内容は何だろうという探求が発生しない(その作品のポイントがよくわかっていない鑑賞者にとってはそれが発生するかもしれない)。
具体例の説明
例:ハンス・ホフマンの"push and pull"系の作品
〈うちに見る〉内容:しかじかの色と形状による空間的な構成
認識内容:なし
https://bamlive.s3.amazonaws.com/art_objects/bampfa_1966-43_1_4.jpg
Hans Hofmann, Imperium in Imperio
抽象画の種類の違いの説明
バーネット・ニューマンの作品のようなタイプの抽象画は、認識内容だけでなく〈うちに見る〉内容すら持っていないケースとして説明できる。
とはいえ、純粋な意味で〈うちに見る〉が生じない絵というのはけっこう考えづらい(イヴ・クラインとか?)。なので、この違いは程度問題かもしれない。 🐫 2.6 特定の個別的なものを描く絵
一般的な説明
不特定のものを描く絵と特定の個体や出来事を絵を描く絵(肖像画や歴史画)の違いは何か。両者の違いは、〈うちに見る〉内容と認識内容の区別では言えない。
特定の個体や出来事を描く絵は、その特定のものを指示し、それにしかじかの性質を帰属させているものとして説明できる。逆に、不特定のものを描く絵は、指示と性質帰属という働きを持っていない。
言語との類比で言えば、特定のものを描く絵は、固有名を主語にする平叙文の内容に似た内容を持ち、不特定のものを描く絵は、不定名詞句の内容に似た内容を持つ。
平叙文の例:ナポレオンは小太りの男性で椅子に座っている。
不定名詞句の例:椅子に座った小太りの男性
それゆえ、次のように整理できる:
特定のものを描く画像:認識内容の中身として、指示対象+帰属性質という構造を持つ。
不特定のものを描く画像:認識内容は持つが、その中身が指示対象+帰属性質という構造になっていない。
具体例の説明
例:ドラローシュ《フォンテーヌブローのナポレオン》
指示対象:ナポレオン
帰属性質:部屋の中にいる、椅子に座っている、ぽっちゃりしている、髪の毛が薄い、etc.
誰の肖像画かわからないケース
《伝源頼朝像》などは、明らかに意図された指示対象はあるが、それが何なのかがわからないというケース。
指示対象がいまのところはっきりしないだけで、指示対象がないわけではない。その点で、不特定のものを描く画像とは異なる。
朱元璋の肖像画
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b3/%E6%98%8E%E5%A4%AA%E7%A5%96%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg/469px-%E6%98%8E%E5%A4%AA%E7%A5%96%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8e/Hongwu_emperor3.jpg
明の太祖朱元璋を描いた肖像画は、朱元璋をどのような人物として描いているかという点で2種類に大別できると言われる。
「現代に残っている洪武帝の肖像画は、2種類の両極端な傾向のものが共に本人のものとして知られている。一方はいかにも君子然とした温和そうな老人であり、もう一つはねじくれた顔をした痣の多い醜い人相のもので、現存数は後者のほうが圧倒的に多い。」
これは、それぞれ指示対象は同じだが、帰属性質の傾向が大きく違っているケースとして説明できる。
どちらがより「真の」朱元璋に近いのか、それぞれの画像の制作者はどのような意図のもとでそういうふうに朱元璋を描写したのか、同じ人物がこのように描き分けられたという事実からどのようなことが推測できるか、といった話は、描写内容とはまた別の論点になる。
写真はつねに特定のものを描く画像なのか?
言い換えれば、写真は指示対象をつねに持つのかどうかという問題。これはかなり微妙な問題である。
「写真」の定義にもよるが、標準的な意味での写真(photograph)には、定義上つねに被写体(撮影される光景)が存在する。また写真の被写体がつねにその写真の指示対象になるという考えをとれば、写真はつねに特定のものを描く画像だということになる。
一方で、写真はいろいろな使い方ができるので、描写内容レベルでは指示対象=被写体だとしても、使用のレベルでは手描きの絵と同じくさまざまな性格を持ちうるという話は別途することができる。
また、「写真」をたとえば〈機械的に作られた、伝統的な写真に見た目が類する画像〉というふうに定義すれば、機械学習によって生成された画像の一部も写真ということになる。この場合、そのようにして生成された「写真」の特定の被写体は存在しない(学習用に使われる大量の写真の被写体は存在するだろうが)。なので、「それは写真でありながら指示対象を持たず、不特定のものを描く画像である」と言えなくもない。
https://ai-scholar.tech/wp-content/uploads/2019/02/kf_datagrid_01.gif
🐫 2.7 トシテ描写
一般的な説明
基本的に、特定のものを描く画像はトシテ描写の構造を持つ。つまり、〈指示対象をしかじかの帰属性質を持つものとして描く〉という構造になる。
なのでひとまずは、トシテ描写と特定のものを描く画像は同一視してよさそう。
想定される疑問
不特定のものを描く画像の場合は、〈AをBとして描く〉という構造が言えないのか?
たとえば、〈人間をすべて犬として描く〉といったことは実際にあるように思えるが、この場合の〈人間〉も〈犬〉も特定の個体ではなく、不特定のものである。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/jgjhgjf/20190302/20190302013949.jpg
『名探偵ホームズ』ではホームズを含めた登場人物が全員犬。
応答
そうしたケースはトシテ描写ではなく、むしろ隠喩や象徴表現と考えたほうがよさそう。つまり、描写内容(自然的主題)のレベルというよりは、より高次の慣習的主題のレベルで〈人間〉として解釈されていると考えたほうがよいのではないか。
とはいえ、けっこう微妙な話ではある。
風刺画の特徴?
風刺画も、特定の個体をしかじかの特徴を持つものとして描くものであり、それゆえ指示対象と帰属性質による説明が問題なくできる。
例:チャーチルの風刺画
指示対象:チャーチル
帰属性質:グレートブリテン島の上にいる、人面のブルドッグである、「GO TO IT」と書かれたヘルメットをかぶっている、「No. 10」と書かれた首輪をつけている、etc.
風刺画の独特さは、本来その指示対象が持ちえない性質(たとえば〈人面ブルドックである〉など)を帰属させることで人の目を引く点にある。それによって皮肉、諧謔、非難といった効果を引き起こすわけだが、描写内容の構造という点で言えば、トシテ描写一般と変わらない。
🐫 2.8 モデルと指示対象の区別によって説明できるケース
モデルを使って別の人の肖像画を描くケース
例:レンブラント《ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴》
モデル:ヘンドリッキエ
指示対象:バト・シェバ
例:日本銀行改正兌換券(200円)
モデル:松方正義
指示対象:藤原鎌足
辞典の挿絵
たとえば、辞典の〈タヌキ〉の項目に添えられたタヌキを描いた絵は、特定の実在するタヌキをモデルにして描かれたものかもしれない。この場合、以下のようになる。
モデル:特定のタヌキ
指示対象:具体的にどのタヌキというわけではないが、タヌキの典型的な個体
なので、辞典の挿絵は、単称文の内容というよりは、「タヌキは一般にしかじかの姿かたちをしている」という総称文の内容に近い内容を持っている。
https://scrapbox.io/files/61a3fa382c41d800213422c9.jpg
https://scrapbox.io/files/61a3fa4905ebe7002316595f.jpg
「正しい」タヌキと「間違った」タヌキ
3. コメント募集
以下の問いについてのコメントを募集します。
何か思いついたらリアクションペーパーに書いてください(必須ではありません)。
その他のコメント・疑問もいつもと同じように書いてください。
問いの前提
写実的(リアリスティック)な絵と様式化された(デフォルメの)絵の違いが何であるかは、描写の哲学が説明すべき問題のひとつである。
両者の違いは、一見すると以下のように〈うちに見る〉内容と認識内容の乖離の度合いで説明できそうである。また実際に何人かの論者がそのように主張している。
写実的な絵:〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に小さい絵。
様式化された絵:〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に大きい絵。
問い
これは、写実的な絵と様式化された絵の違いの説明として十分かどうか。
具体的には、この説明がうまく当てはまらない反例があるかどうか。