画像の描写内容を言葉で記述することについて
必然的な制約
画像の描写内容を言語で記述すること(美術史学で言うディスクリプションのひとつの役割)は、内容の同一性をできるだけ維持したまま別の記号で言い換えるという意味では、一種の翻訳である。
しかし、言語間の翻訳にはない独特の制約がある。
第一に、画像の描写内容はその多くが視覚的特徴だが、日常言語には視覚的特徴を的確かつ詳細に言い表す語彙がそれほど用意されていない。
第二に、画像の描写内容は、グッドマンが言うようにきわめて高い密度を持っている(意味論的稠密)。それゆえ、いかに視覚的特徴についての語彙が豊富な言語であっても、画像の描写内容のすべてを余すところなく表現することは実質的に不可能である。
そういうわけで、日常言語による描写内容の記述は、必然的に非常に不十分なものにならざるをえない。
ディスクリプションの有用性
とはいえ、十全な翻訳ができないからと言って描写内容のディスクリプションは無用だということにはならない。
第一に、言語でも画像の描写内容をざっくりと記述することくらいはできる。
第二に、画像を見せながら描写内容のどの部分に注目してほしいかを示すという機能は、言語でも十二分に果たせる。
第三に、言語で記述することで、描写内容を引き出すためのヒントを与えることができる。
これらの点で、言語による描写内容の記述には明らかな有用性がある。