ネタバレ
「情報が順を追って開示されていく過程が面白い」という価値観がさっぱりわからないcovelto.icon
強いて反例を挙げればやはり映像媒体のもつ時間軸だが、それは字面通り"モーショングラフィックス"という時間そのものを造形として扱う美的感覚であって、仮に無限倍速の映像を視覚的に処理できる脳を持っていたならば理論上は瞬間的に享受できる 聴衆に対する作品/作者の絶対的な優越を望む信仰のようなものがある場合があり、注目すべきはそれだcovelto.icon
「世界観を壊す」「作者の自我」「感情移入」ともすれば「同担拒否」など、ここに由来していそうだ
同時に自分はそれを極めて封建的で不自由なものと捉えている
むしろこれへの革命が可能という気付きからコベルト的な物心がついている
これは鑑賞においてどちらが優越してもよい自然な状態を望むことで、反転ではない
聴衆の優越を望むものではない
直感的には発話者が優越しそうだが、それは発話者が持ち他のものと関連するまだ語っていない情報についての差異だ
伝わったあと で思い出したが、前述の信仰の中では通常通り鑑賞したあと、その作品は永遠に価値を毀損されるのか
「記憶消してもう一度見たい」
そうではなく、「体験」が重要という表現はよくある
ここでわからないのは、鑑賞が終わるときに終わる価値があるということだcovelto.icon