車輪の再実装
(車輪の再発明とは違う意味で使っている、存在する言葉かはわからない)
車輪の再発明:車輪を知らずに、自分で新しく車輪を考え出す
車輪の再実装:車を作る上で、市販の車輪を買ってこないで自力で車輪を作るみたいな?
無駄にややこしくなってる気がするな、タイトル変えるかも
自分はこれを避けすぎていて良くないなー、となんとなく感じている
(まだふわっとした考えだけど)
例えば、AxStudioは僕には絶対作れていなかっただろうなーと思う
「UIデザインするだけでノーコードでiOSアプリ作れるソフトを作ろう」と思ったとして、「さあ0からFigma風ソフトとレンダラを実装しよう」とは僕はならない
Figmaとかイラレのデーター読み込む方向でいけないかなーと試して、無理っぽそうだったら諦める気がする
(これはobuchi_yukiのスーパー実装力による極端すぎる例な気がするけど)
実装力をあげたいなーと思っているけど、その一つにつべこべ言わず車輪を再実装するような力が含まれているような気がしている
頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないみたいな
本当か?
そもそも車輪の再実装自体が目的の実装は、普通に楽しい
OS自作入門とかみたいな、再実装で学びを得ることが目的のやつ
上の方で言っているのは、手段としての車輪の再実装にモチベを保てないという悩み
例えば「今までにない斬新なSNS」が作りたいとして、その過程の基本的なSNSの仕組みを作る作業にモチベが保てない
mock up、こういうタイプの人をすごい幸せにしそう
すごくわかります。そういう煩雑な開発の共通化に興味があります momeemt.icon
おっしゃる通り、車輪の再実装が目的の場合はやる気が出るので、ライブラリ/フレームワークを作るという発散のさせ方はかなりいい感じです
こういう場合はあえて手段の目的化をするのが有効だったりしそう
Cardsはそうしている
車輪の再発明とは別の話なので、作るものの新規性はここの論点ではないか
この言葉の区切り方は新鮮ですねtakker.icon
学習目的で「車輪の再発明」という言葉をを前向きに使うことがあるが、この定義に沿えば「車輪の再実装」と呼べる
/nishio/車輪の再発明
言及されてる
A: 既存の解決方法を知らずに、同じ解決方法を発明してしまう
B: 既存の解決方法は知っていて、入手可能な既存の実装があることを知らずに実装してしまう
C: 入手可能な既存の実装があることを知っていて、あえて実装する
C1: 知識の獲得や楽しさを目的としたもの
C2: 既存の実装に不満があり、改善することを目的としたもの
車輪の再実装#60d136e779e113000093cbd3はC1、車輪の再実装#60d136e779e113000093cbd5はC2かな
車輪の再実装についてのpros, consが色々書かれている