頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならない
手を動かして何かを作ることを「まだ正式に承認されていないから」とか「無駄になるかも知れないから」と鬱陶しがっていたら、面白い仕事はまわって来ません。自分が作り出すコードの一行一行が、、自分の血となり肉となると考え、コードを書くプロセスそのものを楽しむべきなのです。 #メルマガのネタ just do it. 研究でも「とりあえず高尾山で良いから登って帰ってきて」と言っているが「高尾山でいいかどうか相談してきました」「もっとよい方法があるかどうか...」と延々と山に向かわない人もいる。だが山頂から見渡す風景はとても気持ち良い。麓でいくら考えていてもその気持ちよさはわからない。 https://t.co/fWac1exOzK 誰にも言われずに勝手に大量に作って試せるっていうのが、自分で価値を生み出す作り手になるための最低条件です
難しいことを言うなあ?yosider.icon
頭の悪さ≒泥臭さを受け入れるということ?sta.icon
もっともっと物わかりの悪いのみ込みの悪い田舎者であり朴念仁でなければならない。 物事が分からない人は頭悪いと言われる。けれどもいくら理解してもやっぱり分からない人が、この「頭悪い」の1つなのではないのでしょうか。「分かる」基準が違っている。 明らかにダメっぽくても実際に実験してみることを頭の悪さと言ってるのだと思います masui.icon
同様の話は他でも聞いたことあります
科学者じゃなくても同じだと思う
ともかく、「要領が良い」とかの意味での「頭が良い」人だと、リターンが見えづらいことの研究は避けそう 目先の効率が良くなったとしても、最終的に何が良いかは分からない
そうは言っても、わかる範囲で効率が良さそうなところから攻めるのも尤もな気がするが…
飲酒して「とりあえずやってみんべぇウェーイwwww」「なんか壊れたアハハ」のノリで進めてしまえば収穫があるかもdnin.icon