科学者とあたま
寺田寅彦 科学者とあたま - 青空文庫
いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。
頭のいい人は、言わば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみ込んで東京へ引き返すという心配がある。富士はやはり登ってみなければわからない。
頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。どうにも抜けられない難関というのはきわめてまれだからである。
人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって、初めて科学者にはなれるのである。しかしそれだけでは科学者にはなれない事ももちろんである。やはり観察と分析と推理の正確周到を必要とするのは言うまでもないことである。
つまり、頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。
難しいことを言うなあ?yosider.icon
頭の悪さ≒泥臭さを受け入れるということ?sta.icon
もっともっと物わかりの悪いのみ込みの悪い田舎者であり朴念仁でなければならない。
物事が分からない人は頭悪いと言われる。けれどもいくら理解してもやっぱり分からない人が、この「頭悪い」の1つなのではないのでしょうか。「分かる」基準が違っている。
明らかにダメっぽくても実際に実験してみることを頭の悪さと言ってるのだと思います 増井俊之.icon
同様の話は他でも聞いたことあります
科学者じゃなくても同じだと思う
なんでも泥臭くやることが大事ですねU.icon
なんか山中伸弥さんの講演をまとめた記事で似たようなことを見た気がしますimo.icon
手術が苦手で逃げ出した、鬱病にもなった - ノーベル賞・山中伸弥氏が高校生に贈った言葉は「人間万事塞翁が馬」
当時ネズミのES細胞の研究をしていましたから、僕は医学部で研究をしていたんですけど、他の周りのお医者さんによく忠告されました。
「やまちゅう」とまだ呼ばれていましたが、「やまちゅう、ネズミのES細胞を研究、NAT1とか知らないけど、その研究もいいけど、もうちょっと医学に関係することをした方が良いんじゃないか」と。
人間万事塞翁が馬
その時点で無駄とか無意味と思われていることであっても研究したよ、という話(?)
山中さんていろんなあだ名付けられてるよね。「ジャマナカ」とか。U.icon
まあこの記事の続き会員登録必要だから見てないんだけど…周りの人と専門知識が違って理解されづらかったという話かもimo.icon
ともかく、「要領が良い」とかの意味での「頭が良い」人だと、リターンが見えづらいことの研究は避けそう
納得感が無いと一切動けないとも関連してそうyosider.icon
頭で考えるのはそこそこにしてとりあえずやってみるべしということかなyosider.icon
目先の効率が良くなったとしても、最終的に何が良いかは分からない
そうは言っても、わかる範囲で効率が良さそうなところから攻めるのも尤もな気がするが…
「効率」の定義が異なってるのだと思うnishio.icon
研究者として効率良い人生を送ろうとしたら成果が出そうでケチのつかなさそうな論文を量産すればいいわけなのだけど、それを「良い」と思わない人がいて、周囲から「そんな研究をやってなんになるの」と言われるようなテーマに時間を注ぎ込む
飲酒して「とりあえずやってみんべぇウェーイwwww」「なんか壊れたアハハ」のノリで進めてしまえば収穫があるかもdnin.icon
まだ読んでいないが、反秀才論(柘植俊一)もいわゆる「頭のよさ」を分類してたmtane0412.icon
秀才
頭が速い
教育も短くて済む
反秀才
頭が強い
論理より情熱が上回る
仕上がるのに時間がかかる
#頭が良い
青空文庫
寺田寅彦
随筆