独我論を回避するための間主観的なVR
哲学/認識論
ここの規範の主張の根拠を掘りたい
「他者」という存在を仮定して信じることで、独我論から抜け出せるのだと思っている
VR
未来の極論をいうと、自分の都合の良い世界を見続ければよくない?みたいな主張になる
これは、「独我論を回避すべき」という規範の主張と似た様なロジックで否定される気がする その代案として、間主観性のあるVR空間があるのかなと思っている @blu3mo: 「独我論ではなく間主観的な世界を考えるべき」と同じロジックで「経験機械的なVRではなくShared Reality/メタバースであるべき」と言えそう