言論・表現の自由関連
#自由 #社会認識論
利害相反に関する開示(Disclosure of conflicts of interest: 著者ayu-mushi.iconは言論の自由から大きな利益を得る立場にあります。
B! 表現の自由 ayu-mushiのブックマーク
※憲法上の意味に限った話ではない。国家による言論規制に限って話をしてるわけではない。
言論の自由の根拠 (主に帰結主義的/契約論的)
これは自分の意見ではなく、出典の意見をまとめたもの。
Scott Alexander "Guided By The Beauty Of Our Weapons | Slate Star Codex"に基づく:
Asymmetric Weapons - LessWrong
真理の促進:
言論規制を行う力を持っている側が仮に正しかったとしても、「言論規制を行うための社会的な力を持つということ」と「信念が正しいこと」はそこまで相関しないので、検閲によって維持されている信念は良くて偶然正しいに過ぎない。
(たとえば専門家が検閲機関に勤めている場合などで、真理と権力が相関したとしても、それは力ではなく議論を通じて決めるという過程を、権力の座を決める際や、権力の内部で用いているということに依存して相関が成立してるに過ぎない。専門家の間での議論においてはやはり力に訴えないことが保証されていないと機能しない。誰が専門家であるかという基準を制定する議論自体で力に訴えることができてしまったら機能しない。)
Violence is a symmetric weapon; the bad guys’ punches hit just as hard as the good guys’ do. It’s true that hopefully the good guys will be more popular than the bad guys, and so able to gather more soldiers. But this doesn’t mean violence itself is asymmetric – the good guys will only be more popular than the bad guys insofar as their ideas have previously spread through some means other than violence.
Guided By The Beauty Of Our Weapons | Slate Star Codex
Mistake theorists view debate as essential. We all bring different forms of expertise to the table, and once we all understand the whole situation, we can use wisdom-of-crowds to converge on the treatment plan that best fits the need of our mutual patient, the State. Who wins on any particular issue is less important creating an environment where truth can generally prevail over the long term.
Conflict Vs. Mistake | Slate Star Codex
壇上に立っている人が自分の意見を演説するのはどうか。それも自分が壇上に立っているのは偶然に過ぎないというのか (偶然ではない場合もあるけど)。
暴力、レトリック、検閲は、正しい側も間違った側も等しく用いることのできる武器、symmetric weaponである
いっぽう、議論を通じて意見を戦わせる仕組みによる決定の結果は、真理と相関する。正しい側のほうが、たとえば証拠を提示するとかできる。賛成側と反対側の両者が議論を提示できることは、真偽に関心のある人がどちらが正しいかについて合理的な見解を形成するために必要だ。
正しい側に選択的に味方する武器、asymmetric weapon
What is the “spirit of the First Amendment”? Eliezer Yudkowsky writes:
>"There are a very few injunctions in the human art of rationality that have no ifs, ands, buts, or escape clauses. This is one of them. Bad argument gets counterargument. Does not get bullet. Never. Never ever never for ever."
Why is this a rationality injunction instead of a legal injunction? Because the point is protecting “the marketplace of ideas” where arguments succeed based on the evidence supporting or opposing them and not based on the relative firepower of their proponents and detractors. …
The Spirit Of The First Amendment | Slate Star Codex
言論の自由規範の意義は:
個々の状況で自身の一階の信念に基づいて道具主義的に最適化しようとする (「本当はワクチンの危険性は統計的には重要なレベルではないのに、人々が反ワクチン論者による偽な信念に影響を受けると、人々の健康に害をもたらすので、反ワクチン言説を検閲する」のような) のではなく、体系的に望ましい結果 (人々が真なる信念を持つ) を生み出すシステムを維持することにより長期的な利益がもたらされることが、言論の自由規範の効果。
そういう場合、個々の行為を単独で評価してなく、長期的な規範の維持への影響を考えてる。具体的にはどういうことか。
帰結主義の場合:
一旦言論規制を行うと、言論規制してもいいという先例を作ってしまう。あるいは、応報に導く。
(秘密警察のようなものがない社会では、言論規制があることをみんなに知らせずにこっそり言論規制するというのは考えにくい(シャドウバンとかはあるけど))
積極的な応報という意図ではなくても、規範一般に、別の人、特に協力の利益を得る相手側が尊重しない規範を尊重しようとは人は思わないのではないか。たとえば、隣人も騒音を出しているのに、お前は騒音を出すなと隣人に言われても納得できない。人は囚人のジレンマで相手が協力していないときに協力しようとは思わない(実験ゲーム理論によると)。
滑りやすい坂論法に言うように、最初はまっとうな例外を認めただけでも、だんだんにまっとうでないところまで例外の範囲が拡大するかもしれない。これは上のように規範への尊重度合いが損なわれるケースではなくて、規範の内容 (範囲) の方が変化するケースに当たる。
Scott Alexander "Schelling fences on slippery slopes — LessWrong"
言論の自由規範の重みが減ったゆえにそれによって別の考慮 (偽な信念がもたらす結果に関する考慮とか) が勝つ場合が増えただけに過ぎないと見るなら、滑り坂論法も規範の内容の変化というより尊重度合いの変化ともみなせるかも
思想の統制のための制度やスキルとかが、いったん作られると、当初はもっともな根拠から/公益を目的として/自分の味方によって行われたものだったとしても、別の根拠/目的/勢力にも転用される可能性がある (参照: ミル)。
すでに名誉毀損や殺害予告を取り締まった時点で、固定費用を払ってしまっている以上、これ以上気にしても仕方ないという説もある
また、人間の持つ認知バイアスのために、個々の事例について自分が持っている一階の証拠から判断するよりも、メタ的に、一般原則としてはどうか というふうに考えたほうがいいことがある。この場合、人は自分の信念を過信しがちというバイアスとかが問題になる。
この場合は規範とは言わないんじゃ?
悲観的メタ帰納法と似てるかも
Richard Y Chappell "Naïve Instrumentalism vs Principled Proceduralism"
Inside/Outside View - LessWrong
Planning Fallacy - LessWrong
On Overconfidence | Slate Star Codex
(契約論の場合) (関連: David Lewis "Mill and Milquetoast")
囚人のジレンマでは、約束を守る主体は、相互に利益のある約束ができ、協力できる。検閲が厳密に囚人のジレンマかは分からないけど、似たような契約論的議論ができるかもしれない。
色々な意見の違いがある人々も、言論が一般的に自由であることからは真なる信念やそれに基づく意思決定の結果という形で利益 $ b_{自由}を受ける。
どの宗教の人も、他の宗教による弾圧は望まない。世の中には色々な議題があり、時間を通じて足し合わせると$ b_{自由}は多くの人にとって大きくなる。
もし個別の状況で検閲に訴えることが一時的な (その意見に基づくところの) 利益$ b_{検閲}をもたらすとしても、どんな人 i にとっても$ b_{自由i} > b_{検閲i}ならば、「言論の自由」契約を結ぶことはみんなにとって得だ。また、例外を作るような契約は、全員の同意が形成しにくい。
もちろん、順序はひっくり返りうるのは、誤った信念による悪い影響が極端に大きい場合 (たとえば、異教徒は地獄に堕ちると考えている人は、子供に自分と同じ宗教を強要することに強い利益を感じている)。
囚人のジレンマと同様、もし応報の可能性や「先例」効果、上のバイアス等を無視すれば、個々の状況になって約束を破るインセンティブはあるように見える。
$ b_{検閲}の側も色々な議題について足し合わせる必要があることに変わりはないけど、専制君主制でもなければ、すべての議題について権力を握っている1つの勢力があるわけではない (単一の政党も複数の勢力を抱える) し、権力の趨勢は変わることもある。(権力の趨勢が変わったあとなんて、既存の約束が守られる保証がないので考えても無駄なのか。与党が変わっても憲法が変わるわけではないので、そういうことにはならない。)
結論の正しさではなく、推論の妥当性に注目することと似ているかも(??)
「正しさと関係なく、ある種の意見が拡散されやすいバイアスがあるかもしれない」「嘘をつく側のほうが、話のパラメータの自由度が高いので、より広まりやすい話を最適化して作れるかもしれない」のような、どのようなシステムが体系的に望ましい結果をもたらすかに関する議論がありえる。
検察側と、弁護側、どちらかだけが証拠を出す裁判を、信用できないだろう。どちらかの意見が検閲されていたなら、P(x | xについての議論)という条件付き確率はP(x) に近づく、つまり議論は情報を与えなくなる。
(ayu-mushi.icon具体的な体制によって、言論統制は、共産党が宗教を禁止したり、逆に神権国家が宗教の批判を統制するなど別々だが、仮に体制の具体的な詳細を完全に捨象してみるとしても、意見の分布は全くランダムではなく、言論統制は、体制側に利するものである可能性が高い。なので、極めて政情が不安定なときには、(統制された言論が真であれ偽であれ) 言論統制は政情を安定化する効果を持つだろう。)
反ワクチンの例をあげたけど、危険な言説の架空の例をあげていいなら、「太陽を虫眼鏡でみると面白いよ」とか、「Linux で rm -rf / というコマンドを打つと再起動できる」とかいう言説も考えられる。
実際主唱者がいない主張は、取り締まる必要もないのだから、そういう例をあげても仕方がない
また、Tyler Cowenによると、「医薬品のプライスコントロールで値段を下げるべきだ」という言説も社会的に非常に危険である。
Conflict Vs. Mistake | Slate Star Codex
政治を根本的に利害対立と捉える場合、真なる情報を得ることの価値は下がるし、偽なことを信じていたほうが都合がいいケースもあるので、自分が反対する側への言論規制を支持しやすくなりそう。(自分が規制される側になった場合には、反対するだろうけれど)
事実言明ではない場合はどうなのか。評価言明はどうか。道徳的認知主義者かどうかで違うのか。
議論を通じることでより良い道徳判断ができると思っているか。
意見の自由市場 the marketplace of ideas のアナロジー:
自由市場では顧客によって商品が選ばれるので、消費者の目線でほしいと思う商品を提供できた企業が勝ち残る
(ミクロ経済学での競争の概念では、競争によりみんなが価格を下げるだけなので、競争に勝ち負けとかは無かったような気もするけどそれは無視)。
一方、経済的自由という規範がなければ、消費者がほしいと思う商品かどうかではなく、企業が権力と結びつきを持つかどうかによって市場での勝ち負けが決まるだろう。
同じように、言論の自由が保証されると、少数意見でも表明でき、気に入らない人は反論することしかできないので、議論が起こり、議論の良し悪しによって意見の勝ち負けが決まる。一方、言論の自由という規範がなければ、意見が権力を持つ人 (多数派とか) に共有されているか、あるいは権力を持つ人に都合がいいかによって勝ち負けが決まることになる。
これは循環論法の危険を持つ? 現代人の私たちにとっては、私たちの意見自体が意見の自由市場から得たものだ。自らの信念と議論の勝敗を比較して、議論における勝敗は真理と相関していると論じることになる。(もっとも、議論の勝敗と真理の相関は弱い相関でも、権力と真理の結びつきより強ければいいのだから、あんまり強いことを言う必要はない。また、自分の意見 (結論) と議論の勝敗を比べて真理と相関してるか否か知るという方法以外にも、もっと原理的な議論もありうる。(例: 割とどんな意見でも詳しい人はもっともらしく論じることはできるから、対立意見を見ないで信念を形成すると、たまたまどちらを見たかで信念が決まることになってしまうだろう。) さらに、予測のように、正しさを外的にチェックできる場合もある。)
Asymmetric Weapons Gone Bad | Slate Star Codex
In Favor of Niceness, Community, and Civilization | Slate Star Codex
Richard Y Chappell "Naïve Instrumentalism vs Principled Proceduralism"
David Lewis "Mill and Milquetoast"
(友達に教えてもらった文献)
J.S.ミル『自由論』における言論の自由擁護への批判と、ルイスによる別の (契約論っぽい) 根拠の提示
検閲は無謬の審判者を要請する必要があるのでダメというミルの話はおかしい。審判者が一定確率で間違っていても期待値計算でプラスになることはありえる (これはミル自身も言及していることだけど)。
どちらが正しいのか本当に知るために自由な言論が必要という話についても、十分な時間自由な議論を行い、その後で知識を得たと思ったら検閲にシフトすればいいという反論がありえる。(これは "決着がついた話だから蒸し返すな" ということを言う人がいるのに似ている)
ホロコースト否定の禁止を支持する人は、すでに十分に議論が行われた、と思っているのだろう
(19世紀の物理学者は、物理学は完成した、と思っていたのだけど)
言論の自由を契約論的な規範として見る場合、一方の側だけによって擁護されるものではありえない (それだと、囚人のジレンマで一方だけが協力するみたいなものになってしまう)
つまり、たとえばある政党は環境保護を大事にしている、というような感じで、ある政党が言論の自由を大事にする、というようなものではない (どちらかといえば、政敵を暗殺しないというルールとか、選挙で負けた場合は潔く権力を譲るというルールとかのようなもの。政治的な争いの中で、このような手段 (検閲) を使わない、というルール。言論の自由規範は、政治的な争いだけに適用されるわけではないけれど。)
このときは、別に他人の意見の自由をそんなに擁護したいわけでもないけど、自分の意見が弾圧されたときに誰も味方してくれないと困るので仕方なく、という消極的な感じ
応報はどうなのか。もし囚人のジレンマとして見るなら(要チェック)、しっぺ返し戦略をするのがいいかもしれない。ではキャンセルカルチャーにキャンセルカルチャーで応報するのはいいのだろうか。
Scott Alexander "Some Practical Considerations Before Descending Into An Orgy Of Vengeance"
キャンセルカルチャーにキャンセルカルチャーで応報するとしても、左派がキャンセルカルチャーをするからそれに対して左派をキャンセルカルチャーする、みたいな感じではなく、キャンセルカルチャーを主導してる人を直接にターゲットすべきでは? (応報主義 & 責任は個人にあるという考えからするとそう)
ホッブズ的。社会契約に自分だけ同意しなければ得。しかし、「社会契約」「自然状態」を比べれば、社会契約のほうが得。
自分の意見に基づいて言論規制するのは得だけど、「言論の自由を尊重」「どちらも言論規制する」だと前者のほうが得。
なので、規制側に論じる人は、一般に規制はいいと論じるのではなく、誤ったものを規制するのがいいと論じることになる。
(もちろん、規制を行う目的は誤ったものや危険なものを規制することだろう。)
言論の自由の側は、内容に対し権力が中立的であるように説く。一方、批判する側は、内容こそが重要だというだろう。
関連: David Lewis "Academic appointments: Why ignore the advantage of being right?"
*The Calculus of Consent: Logical Foundations of Constitutional Democracy* by James M. Buchanan and Gordon Tullock
Morally Risky Philosophy - by Richard Y Chappell
間違ったことを言うことには社会的なリスクがあるが、正しいことを言わないことにも社会的なリスクがある。
制裁が厳しい場合、正しい情報がそもそも言われない事例が増える。制裁が軽い場合、誤った情報が広まる事例が増える。
心理的安全性
Pを誤って信じることの被害と、¬Pを誤って信じることの被害に違いがある例はどうか。
その場合、誤って信じられると被害が大きいであろう命題の側にプレッシャーをかけることは許容されるか。
仮に一般人は信念に確率を割り振ったり、期待値計算をしたりしないとする。つまり、科学者が一般人に伝えることのできるメッセージはPか¬Pかだけで、確率を言うことはできない。このときには、安全側に倒して言うことは重要になる。
誤って「魚は痛みを感じていない」と考えることは被害が大きい。一方、誤って「魚は痛みを感じている」と考えることはそれほど被害を持つわけではない。Do Fish and Shrimp Suffer Agonizing Pain and Excruciating Deaths?
On Overconfidence | Slate Star Codex
On the limits of free speech - by Emil O. W. Kirkegaard
Medical reversal - Wikipedia
Bryan Caplan "How to Believe in Free Speech - Econlib"
自由な言論のもとでは真理が勝つという話に対する疑問と、真理が勝つとは言えなくても言論の自由には価値があるとする議論
刑罰には、インセンティブの存在によって人々の行動を変える効果 (抑止効果) と、人を閉じ込めることによってその間犯罪をさせない効果がある。言論統制にも、インセンティブにより行動を変える効果と、特定の思想を持つ人を排除することによる効果がある。これは投獄しない場合でも、BANする場合についても言える。後者に特有の効果は、規制された思想だけでなく、それと相関を持つ考えも言論から排除される、ということ。
たとえば、古い言い方をする人をBANしたとする。すると、老人が多く凍結され、発言者の人口構成が変わるだろう。
Kolmogorov Complicity And The Parable Of Lightning | Slate Star Codex
ある1つの社会の普通から乖離した考えを禁止すると、社会の普通から乖離した考えが同じ人によって複数もたれやすいとすると、ほかの領域でも社会の普通と乖離した考えを探求する人を減らすことになる
Geoffrey Miller "The Neurodiversity Case for Free Speech"
Rule Thinkers In, Not Out | Slate Star Codex
The Heckler's Veto Is Also Subject to the Unilateralist's Curse — LessWrong
Credibility of the CDC on SARS-CoV-2 — LessWrong
情報の自由な公開は Nick Bostrom の Unilateralist's Curse に陥る?
本人が偽だと知っている主張 (意図的な嘘) の場合とで違いをつけるべきか。
たとえば予測が後で偽と検証できた場合に罰するのはどうなのか。
言論統制の有効性。U-Shaped Deterrence - Econlib
ストライサンド効果 - Wikipedia
たとえばYouTube で自由な言論はもはや不可能だとしよう。すると、YouTubeが言論統制することを応援したほうが、むしろPeerTubeに人々が移動することで、かえって言論の自由を促進するかもしれない。
Rationality: Appreciating Cognitive Algorithms — LessWrong
Mill's Trident is Blunt - by Daniel Greco - Greco & Wansley
言論の自由に関するルールの明確化
Is It Possible To Have Coherent Principles Around Free Speech Norms? | Slate Star Codex
Lukianoff And Defining Cancel Culture - by Scott Alexander
今までの論拠は、「意見ベースの言論規制」に特に反対する。
言論の自由が保護する言論とされる対象はなにか。
個人に向けられた発言 (「お前は馬鹿だ」など) は少なくとも言論として保護される典型ではない
公人の場合は名誉毀損に対する保護が弱いけど
反論/ありうる例外についての考察
名誉毀損:
ウォルター・ブロック『擁護できないものを擁護する』
How to Make *Defending the Undefendable* Defensible
Richard Hanania on Substack: "Alex Jones is not a free speech hero. If you’re defending him, you need to think carefully about what you’re doing. US laws make it difficult to actually win a defamation case. It also differentiates between private and public figures. If you want to bash Kamala Harris or Brad …"
言論の自由に対するミルの擁護を信じる人は、自らの論の性質上、言論の自由の敵に対しても耳を傾けなければならない
発言が犯罪の原因になる状況のモデル化
発言には共有知識をもたらすという効果もある。共有知識はコーディネーションを可能にする。
「この日時にこの場所でテロを起こそう!」というのはコーディネーションを可能にする。しかし、もっと気づきにくい仕方でコーディネーションすることもあるだろう。
Appeal to consequence
岡部健 (トンデモ言説でストック数を集めていた) を Qiitaでアカウント停止することと言論の自由
私がQiitaを使わなくなった理由 #ポエム - Qiita
確率的テロリズム (stochastic terrorism)
Have you heard of the concept of "stochastic terrorism?" Or "Stochastic harassment?" Basically, it's the idea that if you have a big enough audience, you can point them at a target, and be relatively certain that your audience will do some form of harassment or violence upon them, without explicitly linking yourself to them.
Is hate speech (with the stochastic element) also free speech? : JordanPeterson
表現規制についての思考実験 - アスペ日記
information hazard (Nick Bostrom)
https://www.youtube.com/watch?v=sfgcg2bW8TI
Information hazard - Wikipedia
Langford's basilisk
SCP財団
認識災害・情報災害・ミーム災害……SCP財団の○○災害一覧 | SCP読書ノート
虐殺の文法
Psychological reaction hazard: Information can reduce well-being by causing sadness, disappointment, or some other psychological effect in the receiver.
Nick Bostrom "Information Hazards - information-hazards.pdf"
psychological reaction hazardは、デネットの志向的システム理論とサブパーソナル認知心理学の対比を思い起こさせる。ダニエル・C. デネット『「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?』
「見られてると分かって恥ずかしい」というのは、命題的態度によって感情を説明しているが、本来、命題的態度というのは、実践的推論のような論理的なウェブによる説明には寄与しても、世界の中の因果的な説明には寄与しない (と解釈主義者はいう)。因果的説明に寄与するのは、サブパーソナル認知心理学における表象の役割だ。
その考えからすると、特定の命題内容に対して性的に興奮するとか、恐怖を感じるといった因果的説明は不思議。
「意見の自由市場では、真な意見が勝つ (勝ちやすい)」というのは正しいのか:
ノア・スミス「自由民主主義はこんな風に21世紀を失うかもしれない」(2024年5月22日)|経済学101
The Toxoplasma Of Rage | Slate Star Codex
真な主張ではなく、論争的な主張ばかりが広まる。
Sort By Controversial | Slate Star Codex (※フィクション)
その他
Social Censorship: The First Offender Model | Slate Star Codex
Scott Alexander "Moderation Is Different From Censorship"
候補者アンケート|zero選挙2024(衆議院選挙)|日本テレビ
https://gyazo.com/5a9afbe11ca46794f7870d5f5d8e23a3
https://gyazo.com/f1b8147814a3561149214c722bdf3249
SNS偽情報、違法例示す指針策定へ 選挙規制は政党協議 - 日本経済新聞
安定性
検閲の是非それ自体に対する議論への、検閲の影響。ミルは仮に検閲官の立場に立ってみても、言論の自由を説得できるとしている。つまり、検閲に反対するために、検閲されるような当の意見についての具体的な一階の議論をする必要はない。しかし逆に、検閲に反対するために、検閲される当の意見についての具体的な一階の議論に訴える必要があるとしてみよう。すると、それ自体が検閲されてしまい、検閲される状況から抜け出せない、「悪い均衡」に陥ることがあるかもしれない。そのような均衡では、検閲官の立場から見ると、検閲が完全に理にかなうものかもしれない。検閲がそれ自体を安定化するケース。もちろん、言論の自由を擁護すること自体を直接的に検閲するのも当然、検閲がそれ自体を安定化するケースに入る。
意見を論じたり他人を説得するのがが上手い人 (インテリとか) は言論の自由から利益を得る立場にある。言論の自由のもとでは、そのような人は言論の自由を、仮に良い理由があるかに関わらず支持する議論を行うだろう。なので、言論の自由のほうも自らを安定化するかもしれない。
金権政治→お金持ちは金権政治を維持するためにお金を費やせるので、金権政治は安定化する
逆に、検閲が完成しているために、人々は本当に危険な言論がなんなのかを知らず、検閲肯定側が論拠を挙げるのに苦労するかもしれない。タブーに支配された人々は、『完全犯罪マニュアル』とかの存在を思いつかないかもしれない。あるいは、知っていても言えないので、検閲を肯定する議論の方も難しくなるかもしれない。つまり、検閲がそれ自体を不安定化するケースも考えられる。(何を検閲するのかが分からずに検閲するとは?)
自由な言論に基づく科学の探求は、まさに他の手段では得られない確実性を得られるということのゆえに、「もう決着がついた」として、自分自身の足場を掘り崩すのか? (不確実性が、言論の自由の根拠の1つにあることを考えれば)
後知恵。後知恵でナチスや共産主義をあのとき弾圧しておけば良かった…ということは考えうる。(ここでも検閲したら悪い前例になるコストとかのほうが大きいと思うだろうか? たぶんそうではない)