発言が犯罪の原因になる状況のモデル化
#政治経済 #言論・表現の自由関連 #自由
(追記: 厳密なメカニズムが微妙。
この記事では発言が犯罪の原因になるモデルを考えたものの、私は (誤情報やヘイトスピーチを含む) 言論への規制には一般的に否定的です (言論 / 意見は一般的な行動の自由よりさらに強い保護をされるべきと考える)。根拠付けるとするなら: Scott Alexander "Guided By The Beauty Of Our Weapons | Slate Star Codex", David Lewis "Mill and MILQUETOAST", Richard Y Chappell "Naïve Instrumentalism vs Principled Proceduralism" あたり)
くわしくは: #言論・表現の自由関連
アイデア: 発言にはそれが誰かを説得することによってではなく、なにかを共有知識にすることによって、共同行為を可能にするという作用がある。
もしその共同行為が犯罪でもある場合、発言が犯罪の原因になる状況がモデル化できる。
But even that model is too simplistic. A situation in which everyone knows everyone hates Stalin is not sufficient to overthrow Stalin; if I know everyone hates Stalin, I may still suspect that no one else knows this, and so everyone else might comply with Stalin's orders out of fear, presumably including Stalin's order to kill me if I recommend overthrowing him. What we really need is a model in which everyone knows everyone hates Stalin and everyone knows everyone knows (...) everyone hates Stalin, where the (...) represents n repetitions of "everyone knows" - I'm not entirely sure whether n equals the population of the country or infinity.
しかし、そのモデルでさえ単純すぎます。
誰もがスターリンを嫌っていることを誰もが知っている、という状況だけでは、スターリンを打倒するには十分ではありません。というのも、私が「誰もがスターリンを嫌っている」と知っていたとしても、なお「他の誰もそのことを知っていないのではないか」と疑うかもしれないからです。そうなると、他の人々は恐怖のためにスターリンの命令に従うだろうし、当然、私が打倒を提案したなら私を殺せというスターリンの命令にも従うかもしれません。
本当に必要なのは、誰もがスターリンを嫌っていることを誰もが知っており、さらに誰もが「誰もが知っている」ことを誰もが知っており、……というふうに、(...) の部分に「誰もが知っている」が n 回繰り返されるようなモデルです。もっとも、その n が国の人口に等しいのか、それとも無限なのかについては、私自身あまり確信がありません。
February 1st, 2011 - Jackdaws love my big sphinx of quartz
王様は裸だ
反乱は他の人も反乱に加わるという期待があって成立することを考えれば、継承法がシェリングポイントとして働き、僭称者に対しては反乱し、正統な王に対しては反乱しない、となることが説明できるのでは。なぜ、民主的手続きを破ってクーデターを起こしても、失敗すると予想されるのか考えてみよう。誰も他の人が協力すると予想しない。そうすると、反乱のインセンティブは無くなることになる。
チンギス統原理 - Wikipediaのようなシェリングポイントが存在する。
Bryan Caplan "Crazy Equilibria: From Democracy to Anarcho-Capitalism"
私の頭の中ではこの概念は「正統性」と呼ばれている (民主制国家においては民主的手続きが正統性を持ち、君主制国家においては継承法に則っていることが正統性の根拠である) が、ウェーバー的な意味の正統性とは違う気がする
ウェーバーの正統性はもっと主観的で、共通知識とかではないっぽい
Preference falsification - Wikipedia
仮定:
発言は自身の選好についての内容を伝える
日時の調整などのコーディネーションに限らず、他の人も協力するか黙認するだろうというインフォーマルなコーディネーション
挙手、消極的な賛同(黙認)、デモンストレーション
反乱、集団虐殺
選好を共有知識にする
選好は説得によって変化しないと仮定すれば、「発言は言論統制ではなく発言によって反論・説得されるべきである」ということはあまりならない。(選好は信念と違い、正しいとか間違っているものではないので、説得によって変化しないだろうという考え)
また、実際にはみんながある選好を持っていることで自分もある選好を持つようになるということはあるだろうけど、ここでは考えていない。
つまり、誰かが国王を侮辱することによって選好が共有知識になり反乱が起こる可能性があるので、大逆罪を制定することは反乱を抑止する目的を達成する。(反論: いや1人が侮辱しただけなら1人の選好が共有知識になるだけでは?)
Social Censorship: The First Offender Model | Slate Star Codex
1人がカミングアウトするとみんな連鎖的にカミングアウトできるようになる
逆に一人目を叩くということに注力すれば、誰もカミングアウトできない状態を作り出せる
ファーストペンギンを叩く
小学生のときに一人がプリントを提出するとみんなが連鎖的にプリントを提出する現象のことを友達が「感染ゲロゲロ」とよんでいた
Social Dark Matter — LessWrong
もしみんな、みんながやっていることは自分がやっても責められないだろうし、やってもいいと思っているのであれば、タブーはその行為を減らすことに貢献するだろう
"Conformity to descriptive norms"
「みんなやってるじゃん」
先延ばししていることとかは、規範を崩壊させるので他人に言わないほうがいいかもしれない
もっとも、規範を利用した解決には限界があるし、言い出さないことで技術的な解決を探ることを妨げてしまうかも
人間が同調的だとすると、「人は反社会的だ」と言うことは、自己成就予言になる
Is It Possible To Have Coherent Principles Around Free Speech Norms? | Slate Star Codex
アビリーンのパラドックス - Wikipedia
分割統治
多元的無知 - Wikipedia
言論統制、タブーの役割
言論統制によって反乱を防げるという因果関係があるのと同様、言論統制が集団虐殺を防げるという因果関係がある、というようなことが言えそう
https://x.com/ExiledInfoHaz/status/1664605101862842368
「法はシェリングポイントである」メタ規範ゲーム(アクセルロッド)
法律は非難のための「左側通行」のようなものである。
左側通行の罰則が消え去っても、すぐに左側通行がなくなるわけではないし、左側通行に罰則があっても、多くの人が右側通行をしていたら自分もしないという力が働く (エスカレーターのように)。
つまり、みなが左側通行か、みなが右側通行であるか、の片方と決めることで、ぶつからないというのが主な理由であり、罰則は触媒のようなものにすぎない。(囚人のジレンマの解決には本質的に罰則が必要だけど、左側通行/右側通行はコーディネーション問題なので、本質的には罰則は必要ではない)
同様に、通報して警察が出てくることが重要なのではなく、人を非難する時のルールが他の人と同じルールを用いたいと皆が思っている(コーディネーションゲーム)(そうすることによって、非難に対する非難が雪だるま式に増殖するのを防げる)。
ある道徳規範のある道徳ミームによって明示的に許可されている行動は、同じ道徳規範の道徳ミームを発火させない。(12)
これは、道徳規範の運用にあたっては必要となりやすいミームだろう。例えば、「ある人間 A が別の人間 B の眼球をくり抜いた場合、他の人間は B の眼球をくり抜いてよい」というものを「道徳規範」として持つ人間集団を仮に考える(当然、元ネタはハンムラビ法典だが、その運用実態とは独立に、ここでは「道徳規範」として運用されるとする)。この人間集団で、ある人間 C が 別の人間 D の眼球をくり抜いたという状況を考える。ここで、D の家族 D' が、この道徳規範に基づいて C の眼球をくり抜いたとする。この時、C の家族 C' は、「D' が C の眼球をくり抜いた」ということによって、D' の眼球をくり抜くことができるだろうか? できるとすると、この道徳規範は全員が全員の目をくり抜くまで発火しつづけることになる。それを防ぐためには、(12)のミームが必要になる。
道徳について - アスペ日記
「それは違法だよ」という非難
メタ規範ゲームは全員が同じ〈パレート効率を達成するルール〉に従う時パレート効率になるが、パレート効率を達成するルールは複数あるし、分配が異なるため、均衡に達さず、ここに政治や派閥が発生する。
「法によって決まっている場合は市民はそこに同意するかどうかとは別にそれに従う。政治は (雰囲気ではなく) 国会でやれ。」とするとやや安定する。
「めっちゃ不満があるわけでないなら多少不満があっても既存の/皆が参照するルールに従って行動や非難を行う」とすると非難の雪だるま的な増殖や、口論の発生を避けられる。
(ルールが1つでないことの問題はそれ以外にもある。結果が予測できないので抑止力が失われる。)
This is a good place to remember that David Friedman is also the author of A Positive Account Of Property Rights, maybe the single most mind-opening essay I’ve ever read. No summary can do it justice, but the basic outline is that governmental “legitimacy” is the government’s position as a conspicuous Schelling point for everybody who wants to avoid civil war/the state of nature/a worse government. Once it’s common knowledge that a government is legitimate, everyone expects everyone else to enforce its rules, and so they’ll enforce its rules in turn until it becomes common knowledge that the government isn’t legitimate anymore. This works just as well in medieval Icelandic anarcho-capitalism as it does in modern America. Just because our government dresses all of its enforcers-of-state-sanctioned violence in snazzy uniforms and makes them work out of the same building doesn’t make the whole system any less of a mass hallucination.
ここで思い出しておくべきなのは、David D. Friedman が、A Positive Account of Property Rights の著者でもあるということだ。これはおそらく、私がこれまで読んだ中で最もものの見方を変えられた論文の一つだ。どんな要約をしてもその価値を十分には伝えられないが、基本的な骨子はこうだ。
政府の「正統性」とは、内戦や自然状態、あるいはもっとひどい政府を避けたいと望むすべての人々にとって、政府が目立ったSchelling point(自然に収束する焦点)として機能している、ということにある。
ひとたび「この政府は正統である」ということが共通知識になると、誰もが「他の皆もそのルールを執行するだろう」と予想する。だから自分もまたそのルールを執行する。そしてそれは、「もはやこの政府は正統ではない」ということが共通知識になるまで続く。
この仕組みは、中世のIcelandic Commonwealth における無政府資本主義的な秩序でも、現代のUnited Statesでも、同じように機能する。
私たちの政府が、国家によって認可された暴力を執行する人々に洒落た制服を着せ、同じ建物で働かせているからといって、このシステム全体が「集団的幻覚」であるという性質が少しでも薄れるわけではない。
Book Review: Legal Systems Very Different From Ours | Slate Star Codex
Kuran asks why major events – like revolutions – are often not anticipated. His explanation focuses on what he calls “preference falsification,” the hiding of one’s true preferences. A majority of the public may not be in favor of the current government without a majority of the public knowing that a majority is not in favor of the current government. Kuran analyzes a process whereby a slight parameter shift can cause one individual to reveal his true preferences which causes another individual to reveal his true preferences and so forth until a revolution occurs which appears to come “out of nowhere.”
Timur Kuran は、なぜ革命のような大きな出来事がしばしば予測されないのかを問いかける。
彼の説明の中心にあるのは、彼が「選好の偽装(preference falsification)」と呼ぶもの――つまり、自分の本当の選好や意見を隠すことだ。
国民の多数派が現政権を支持していない場合でも、「多数派が支持していない」という事実そのものを、多数派自身が知らないことがありうる。
クランは、あるわずかな条件変化(パラメータの変化)が、一人の人間に本音を明かさせ、それが次の人にも本音を明かさせ、さらにその次へと連鎖していき、ついには「あたかもどこからともなく突然現れた」ように見える革命へと至るプロセスを分析している。
A simple model of crime waves, riots, and revolutions | Entitled to an Opinion