白紙の原稿(cman)
▲NEW OLD▼
2024/11/12 18:07
刃物のような冬が来た。あらゆる交流や視線が自分を貫く刃物であることしか想像ができず、全員が全員自分の事を大嫌いで、自分には生きる価値も喋る価値もない、という念に付きまとわれている。怖くて一、二週間ほど何もかもの連絡を見ていない。この感じは明らかにヤバい。ど、どうしよ……
2024/10/28 1:06
早くに起きた(4時半)ので飯食って部屋の片付けをしていた。明日は片付けた部屋で気持ちよく作業してやるぞ!と思ったのだが、途中で急に明日朝イチ集合な。と言われ全てが萎えてなにもかもをなげだして横になる。しかし朝に一本、片付けするぞ!と思っていたので昼過ぎに一本エナジードリンクを飲んでおり、すべてのやる気を失った連絡のときにはまだ半分残っていて、缶なので飲み干すしかなかった。結果ふて寝して早く寝たかったのに目が冴えてこの時間。人間と話すことは出来ないなぁ……という気持ちを抱えつつも、友人から連絡があったので久しぶりに通話して、通話してても寝れなかったので、遊戯王マスターデュエルを行う。23〜0時過ぎぐらいに友人が睡眠薬で寝て解散したが、デッキくんで回してたらこんな時間。もっと早く寝たかった。あと四時間。
片付けて寝具を良くしたのでちょっといい感じかと思いきや、全然まだ不愉快指数は下がらない。住環境を良くしなければ何もかもがどうしようもなくなる。もっと住みよい部屋にしなければ。そもそも本棚に本がしまわれてないのとか、椅子から本棚に手が届かないのとか、細かい不満がたくさんある。
眠いが、脳の奥だけが興奮状態になっている。そういえばこの覚醒と眠気のバランスが相殺された状態で友人と話してるとき、いつものように「ん?」「何、どうした?」「え、なにが?」「なにがじゃないけど、何?」「どうしたの急になんか言い出して」みたいな会話してるときにものすごいパニックになって「え?え??え???なにってなに、え、今君が言ったのに僕が反応したよね?え???いや、ん???え、ほんとにぼくの方からなにか言った??え??え?????」となって狂ったかと思った。実際あちらのほうから言っていて(ひとりごとだったらしい)それに反応しただけだったのだが、最近友人と話してるときにこういうパニックみたいなのが多い。特に何も考えず喋っているので意識に会話が残っておらず、あと普通に常日頃からあらゆる記憶を忘却したりしたことにしたりしてるのでマジで自我がひどく、トリガーを押しやすいんのではなかろうかなという感じがする。あと、普通に、普通の会話をしようと試みてるから、そのギャップもあるかな。う〜ん。
寝たい。寝る試みをする。1:21
2024/10/24 2:34
ここ2,3日、夜中に起きては眠いなぁ、何もしたくねえなぁ、と思って、朝までweb小説を読み、昼ごろになったら眠ってまた真夜中に起きる、というのを続けている。これはよくない兆候。ストレスが溜まっていそう。これをしているとなにも出来なくなるため、どっかで戻したいが、ちょっと戻すのが面倒な感じだ。おそらく金曜はなにも出来ないので、どこかで無理に起きて何かをやるべきだと思うが、夜を明かすとぼうっとしてなにも出来ないのだよな。今日は2時過ぎにおきたのでまだマシだろうか?とにかくある程度身体を動かして頭の動きをひっぱっていかねば。
別に、何をやらなくたっていいのだが、やりたいことをやらずにいるとどんどん気分が落ち込むものだから、やりたいことはやれるに限る。
2024/10/20 1:20
オッケー。2024/10/19分、何かをしようと思ったけど、普通に無理だこれ。3単語集めて物語やシーンのイメージを作ろうとしたけど、絞りきったあとの檸檬から果汁を無理やり出すみたいな脳の締め付けがあるし、目の焦点が合わなくなってぐらっとした。脳を錆びさせることに一日専念していたのでそら無理だ。手も動かない。言い訳であることを受け入れて負けを認めます。半端な眠りを取ってってるので眠いし、錆びてるし、同じことを言っているのでだめ。
ところで、ここで言った“檸檬”は、直感的にはグレープフルーツである。それをわかりやすさのために檸檬にした。何の違いがあるのかというと、グレープフルーツの方が酸味より苦みを感じるところ。飲み干したら苦みがあるだろう。
一応、散歩したり公園でぼーっとしたりはした。公園でぼーっとする昼の時間は非常によかった。秋の、すこしたかい位置の風が木々を揺らしていて、一番大きな木が他の木を守るように風を一身に受けており、その姿も良かったが、強い風が吹いたときにすべての木々が揺れ、そして自分の体が風に撫でられるあのときの感覚は、ほんとうにこう、同一化というか、一緒にあそぼうよって誘われたときの嬉しさだ。
これは反省だけど、そのときに最初から諦めて本を読んだりすればよかったかもしれない。昼の段階ではまだ本を読める感覚があったので、公園にはやっぱり書籍を持ち込むべきだ。
また「べき」って言った。
というかそもそも、今日は夢見が悪く、それを引きずったのか「あらゆる人間との関係や会話がどうでもよくなる」という気持ちが出てきていて、わりと限界性が高かった。自分の存在があまり許せず、人間との会話を試みるような動きがなく、思考を動かそうという気もなかった。かろうじてできるのは大喜利と感受とTweetぐらいで、全部自己完結するどうでもいいことだ。人との交流によって人間の形を保っているなぁと最近は特に思うが、今日は「誰かに話を聞いて欲しい」みたいな動きを全部キャンセルした。/ああああああああああああああああああ/ このように発狂し始めそうだからだ。自らが安定していないのに人との会話ができようはずもなく、しかし安定には人との会話が必要という矛盾があるため、 ふむ。 だから3人ぐらいの会話が好きなんだろうな。
負けを認め、言い訳もしたので、今日は自堕落で行こうと思います。
案の定人間との接触によりかたちが安定したため、今日は文章の摂取だけしていこうと思います。
そういえば『名探偵のままでいて』というのを買ったんだった。ミステリーはわりと気負いせず読めるので、読めたら読むかな〜。たぶん今日ではないけど
2024/10/18 1:53
きょうはなにもやっていない。というのは、小説を書いていない、ということである。やってもよかったのだけど、……やってもよかったんだよな。でもやりませんでした。今日はもはや「やりたくない」とかでもなく、普通にやらなかった。それが自然だったので。かわりに、無限に漫画を読んで物語のインプットをしていた。ジャンププラスの読み切りをほぼ全部読んでいるのだが、読み切りを読み続けるとなんとなく展開の感覚みたいなのが手に馴染んでくる気がする。まぁそれが活かされてるのかどうかはわからないが、少なくともイメージや想像の種にはなってるんじゃないかな。昨日やりすぎて枯渇の感覚がしていたのがなくなった感じがする。
やはりある程度早起きすることは大事だろうな。3,4日ぐらい起きて体調を整えたらすぐ書かなくちゃならんみたいな時間になっていて、インプットといえばご飯を食べて散歩してる間に見たyoutubeぐらいだから、インプットとしての質があまりよくない。朗読したり本を読んだりアニメはともかく漫画を読んだりはしたい。物語という形態のインプットと、詩情のある文章のインプットはある程度必要だろうなぁ、と思う。
数日即興小説をやってて、やっぱり書いてるときの自分の感覚をまったく覚えてないなと思う。自動的とまではいかないが、一文一文を考えて書いているわけではなく、感覚的に「この映像はこう表現するべきだろう」というものに従って語彙を置いているので、どうしてこの文章が出てきたのか?と聞かれても結構答えに窮する。(ほんとか?)それは展開にも同じことがいえて、脳内ですべての展開を世界線移動のイメージ図みたいにやって広げている状態から、文を書いていくとそれらを選び取ってひとつに収束していくので、「なんでこういう展開になったんだ?」と思うとそれをあまり説明出来ない。アイディアのことは話せるかも?どうだろ。とにかく自分が生み出した感覚が薄いのは、完全に最初からある程度の正解をひいて、それを理性や感性で検討するのをやめているからだろう。検討や加工によって説明が生まれるので、それである程度の自信がつく。なんかそんなかんじじゃないか。しらんけど。
今日は散歩をして、やたらと月の光が拡散してきれいだなと思ったらスーパームーンだったことが発覚した。こういう体験は普段から月を見ようと思ってないとできない。得した。しかし飯食って散歩して……以外のことはほぼ思い出せない。youtubeでテキトウな動画を見たり、Twitterでつぶやきまくったりしていたんじゃないか。その後はずっと漫画読んでたしな。
ふむ。もうちょっと文章形態のインプットがしたいか。昨日書いたのが結構よかったから他者の反応を求めて流してみたりしていたが、それもわりと収まった(もちろんRTとかしないから反応はされなかった)ので、わりと孤独に向き合える感じだ。反応中毒症状が出るとひたすら人を求めるからよくない。けど、わりと方向性を自己満足に舵を切ってるから、傷ついた感じはしない(つまり、普段は無反応に傷ついているということだ。どちらかというと拗ねているという言語化の方が近いけど)。健康的な孤独には味がある。人間の形を保った状態で、自分の意志で取る孤独には価値がある。それは夜の(まさにこの時間の)静けさに似ているので、この時間になって精神がちょっと安定し始めているのかもしれない。
反応されないと拗ねるのに、反応されても「はは……」みたいな顔をしているのは何なんだろうね、ほんとうに。きのう書き上がった場に人がいて、その場で読んで直で褒めてもらい(ありがたいこと)、ちゃんと刺さってはいるのだが、時間帯もあったのか、結構こう……いろんな感情があったから難しいな。3割ぐらい他人の話を聴いている感じで、2割ぐらいはマーケティングリサーチみたいな顔をしており、また3割はオタクとして「このCP良いよな……」と思っていて、……テキトウに書いてたら2割残ったな……あぁでも、作者としての、「読者の読みを狭めるのでここでオタク語りをするわけにはいかない」みたいなこともあったかもしれない。わからんな。実際、目の前で“読んでいる人がいる”という証明を貰ったことのほうが大事かもしれん。内容については完全に自炊だと思っていたのでぜんぜん“まぁおれの舌には合うよ。いつもの味だね”と思っていたが、読む人がいる、というのはわりと救い。というのも、ぼくはこう……どうも、幼稚園児が見せびらかすようなマインドを持つのに抵抗があり、ほんとうはぼくのことを知っているすべての人間に……いやこれは主語が明らかに大きいが、まぁいわば、“フォロワー”みたいなひとびとに読んで欲しいんだが、どうもそれが出来ない。直接持って行くのも無理だし、Tweetするとしても一度だけで、RTとかをしない。まぁ、なんとなく、幼少期にある経験の複合物が縛りになっているのであろう。見せびらかすと粗を見つけられて衆目の前で発表される、だとか、直接持っていくのは困らせてしまう、とか。けっきょく、すみっこでひとりなにかを作っていて、ふらっと来たひとが「え、すごいじゃん!」って言ってくれるのが好きだし居心地がいいということなんだろうな。積み木の城を褒められたいし、ほめられたらもっとすごいものをつくっておくけど、アピールはしないので、次に見つけられなかったら、「もっとすごいのつくったのにな……」って勝手に拗ねるのだ。でももはやそれでいいと思う。そういういきものだから仕方がない。ハンマーソングと痛みの塔だ。それも10個目ぐらいの。曲がった期待はそれなりにして、そもそも積み木を積むのが楽しかったんだよ、ってことを染み込ませることだ。誰にも見えなくったって、無駄なこだわりをずっと考えながら積んだ積み木の城がぼくはすきだったんだよ。泥団子を磨いて光らせるのだって、褒められたくてやってたわけじゃない。ひかってきれいだと思ったからやってたんだ。なんかそういうことなんだよ。
意外と長く書いてしまった。あんまりアウトプットしてなかったからかな。ねむいから横になろう。ねれなさそうだけど。2:33
2024/10/17 5:37
ねっっむ
なにやったかわすれた。でも活動は夕方あたりから。獅白杯切り抜きちょっとみてかくやみチャンピオンシップ→獅白杯振り返り→GPTと共に白紙から抽出した概念整理→作業室に入るもやりたくなさすぎて概念整理を続けつつ漫画を読む→人間が来たので正気を取り戻してFW→書ける気がしてきたので即興小説を朗読シャワー執筆→途中PCの話で脱線しながらも書き上げる みたいな流れだと思う
わりと、まぁ、いつもの味に仕上がったなぁ、という感じ。いつもの味に仕上がったということは、わりと、えーと。うん。そういうことっす。もう文章を掴む力を使い果たし思考が拡散していくんで、きょうの日記はおわりです。
まぁひとついえることは無理すぎるときはリフレッシュをしたほうがいいし、一日の最初に散歩にいったほうがいいということです。
今回書いたことで、こう、もうちょっとなんか、わからん。攻略を考えたいので、攻略に活かせる知見が抽出できないかとおもったのだが、眠すぎてなにもでません。書いてる途中のこととかほぼ忘れたし。作業報告書でちょっと書いたからよくないか。あしたのぼく、任せた。
ねむい。5:44
2024/10/15 23:13
また寝すぎて起きて、14時過ぎぐらいか。情報の洪水で目を覚まして、なんとかご飯を食べて、食べたら身体の調子が悪くなったのでyoutubeを見て、そのあとは公園で煙草を吸いながら友人とチャットで喋っていた。そして21時ごろから作業(FW,即興小説)をして、今日記を書いている。
今日はわりと友人が自分の考えを言ってくれてうれしかった。もっと書けることはあるが、これについて書きすぎると友人のことを好きだからってあらゆるインターネットにプライバシーを無視して書く人間になってしまうし、重すぎる感情を晒して長文になるので、一度置いておく。なんにせよ、ぼくは様々なものを忘れているのだろうな、ということと、ぼくが喋り続けることはたぶん彼の何かを阻害しているだろう、ということがある。まぁ、水を向ければ話してくれるのだから、それを怠っているだけなのかもしれないけど。
廃墟の作業室チャットが自分の作業報告でいっぱいになることと、自分が公共の場に個室を作ることを天秤にかけて、どっちも嫌だけど収納されていたほうがいいな、という感覚から報告のためのスレッドを作る。城下町でも城でもよかったではないか、と思うが、地下の方が居心地がいい。人目がないから。
このことについてはどのように書いても自分の中で言い訳じみる。結局人の目がほしいのでは?とか。それはある程度事実であり、そして嘘でもある。ぼくは両極端な人格を同時に飼っているから、そのようになる。「どちらでもあるしどちらでもない」と言い聞かせる。分裂したってべつにかまわないが、どちらかに強く引っ張られ続けたらぼくではなくなる……というわけではないが、すくなくとも不健康にはなる。きをつけていこう。
なんとなく付け加えておくと、数日前の骨丸さんの日記に書いてあった、いたいひと・やばいひと・きもいひとみたいなものを否定しない、という言葉になんとなく勇気づけられた。会長のご意思であるから、いたくてやばくてきもい人であるぼくがそういうムーブをしても許されるという気がしたのである。これは外付けの許可であり、もちろんそんなわけもなく、内心ではあらゆるそんな行動に否定の言葉をかけつづける人格がいたりもするのだが(そしてその自罰によってこの世の全てに申し訳なくなりながら人間関係を絶ってすべてを手遅れにするまで引きこもったりして、より自罰を深めたりするわけだが)、それはそれとして、どこか、どこでもいいけど、呼吸ができるということは素晴らしいことで、本当に申し訳ないけど、ここにいさせてください、と思う。
今日はいろいろあって、結構感情的には落ち込んでいそうだ。特に何か明確なものがあったわけでもなく、もはやそれらはいつものことであるが、とにかく、気分として落ち込んでいる。今もむやみに心臓が跳ね、焦燥が襲いかかってきて自罰を呼び、“今すぐにうずくまって謝罪と反省を続けろ”と言う感覚が芽生え、最悪の気分になっている。こんなものに向き合うとロクなことにならない。もちろん、反省と改善は大事だが、感情のままに自罰に飛び込むことと、きちんと冷静に向き合ってダメなところを改善しよう、というのはまったく違うし、ていうか普通に死にたくなってなにもできなくなるから、“なにかをしたい”のならまだそこに行くべきではない。ぼくはまだ死なない。人類を騙しきっていないし、世界はまだ美しい。明日の青空がきれいかどうかを確認しなければならない。まだ死なない。死なないし、また空を演じることも、まだしない。ここはなにかの分水嶺であり、ターニングポイントだから、歯を食いしばってこれに耐え、怒りを込めて地を踏んで、迷惑を自覚しながら言語を吐き出し続け、活動しなければならない。
これを無視し続けているから回避型の防衛機制なのか、元々回避型だからこれへの対処が無視と没頭なのか。それらを確かめるために我々はアマゾンの奥地へ飛んだ。
うっすらと、人外が人間と暮らしてるだけの話を書きたくなっている。「書ける」とは思えないが、書けると思えなくても書けるのは最近の即興小説が証明している。「これが好きだな」という明確な形が存在しなくて困っていた状態からは大きな進歩なのだから、こういった具体的な形を大切にするのが良い。
具体的な形は、「これが許せない」の派生にある。許せなさを裏返すと、自らの理想があるから。自分自身が持っている“当たり前にこっちのほうが良いに決まっている”を掘り出す、化石の発掘のような作業が必要とされている。23:43
文章量が多いから入力が重くなってきている。切り出し時か。
2024/10/15 2:57
他者が自分に対して興味を持っていないだろうという確信
同時に、人間がかけてくる褒め言葉などはコミュニケーションを円滑に進めるためのものに過ぎない、という疑心
自らがコンテンツになるという像が見えないのだが、同時に自分のことを面白いコンテンツだと思っている。
公共の場に個室的な空間を作ることの抵抗
城下町も広場も人目につきすぎるが、廃墟群はより個室的な空間を建てるハードルが高い。
Discordにあることと個人プロジェクトにあることは何が違うのか?
所詮動機は反応中毒なのではないか?自己満足はどうした?
ふむ。おそらく、「思いのほかうまいものができてしまった」と思ったので、「食卓には並べないけど、食いたい人向けにレシピはおいとこかな……」みたいなのがあるな。
そして、その「食いたい人」というのは、ぼくの書いたものやぼくに興味があるだろう人だが、“そんな人間はいない”というのが冒頭に繋がり、キャンセルされる。
反復横飛びとキャンセルとカウンタースペルで埋まっている脳内。マジックジャマーどころか全部に神の宣告を撃っている。魔宮の賄賂といってもいい。
ウン……そんなひとはいないが、もしもいたらかわいそうだから見えるようにしておくか……と、そんなひといないのにいる前提でやってるよwプププww承認欲求の塊魂wがせめぎ合い冷笑が常に勝つというわけだな。
ねむいんだってば。ねかせろ。
2024/10/14 23:05
できごと
11時ぐらいに起きたかな?飯食って外に出て、公園でぼーっと煙草吸ったりyoutube見たりして、秋の陽射し……揺れる緑……となりながら、1時間ぐらい過ごし、あとは獅白杯2ndの関連動画と、2nd上級・超級の部を見た。16時~22時過ぎぐらいまでやってたのでそれ以外の記憶はなにもない。かなしいね。
超級ではかため氏を応援していたのだが、ストレートで敗退してしまった。しかし、負けた後に悔しくて泣いている時間があって、それがなんというか……なんだろな。本気なんだなぁ、という。悔しがることについては昨日考えたところだったので、そうかぁ、悔しがるということ、好きなんだな、と思った。
いや……すいません。自身のハンディキャップすらネタにしてヘラヘラして面白いこと言ってる男が悔しがって泣いてるギャップに興奮しなかったかというと嘘になります。ギャップに弱いので……いつも笑顔の人間が泣いてるとときめいてしまい……
泣くほど悔しかったことがあるか?と言われると、そんなことはありません、と思うな。何事も本気でやっているかというと怪しいところだし、全部やって負けたら嬉しくなってるし、うーん。“悔しさ”みたいなものに耐えうるように僕の精神構造は出来ていないように思う。プライドのある分野では負けを認めないし、負けを認めるとしたらそれは僕の心が折れるときであり、すなわちそれは筆が折れるときだろうと思う。まぁそもそも、勝ち負けではないのだけど。んー。
書いてみて思うけど、ぼくは文章を書くことにプライドを持っているのだろうか?持ってない、と言うのは嘘だろうな。持ってないなら、“下手であることを確かめるのが怖い”みたいな心の動きは有り得ない。少なくとも、自我アイデンティティの内部に“自分は文章を書くのが上手い”というのがある。そういう自負を持っているから、そこから外れるようなことをしたくない。
やっぱり虎なんだよな。才能があると自負しておきながら、その才能を確かめることを恐れて人生を終えようとしている。可能性は麻薬だ。いつでも何者にもなれる、という状態を維持していると、何者でもないまま終わってゆく。戦わねばならない。戦うってどのようにして? それはまだちょっと……わかんないッス…… 創作っぽいコミュニティにちゃんと入ればいいのだろうか。いや、でも、うーん。ぼくは半端に人を見下しているからこう……これは悪口だけど、ワナビーが集まるようなコミュニティに入ってそこにいる人間に何かを言われたらマジでキレちゃう気がするな。ぜってーにぼくの文章のアラはお前らが見るよりも先にぼくが見つけているし、ぼくが見つけた上で放置しているものは変える気がないんだから、お前らに言われなくてもわかっている。平伏せよ人類。まーたこいつ最底辺と上位存在を行き来してるよ。/cmang1dovob/ぼくには両極性がある。 他者のことを全肯定するか全否定するかの二択で、それが気分と対象で変わるの、どうにかならんか?ならんだろうな。てかだから、そういう全否定の気持ちが創作者としての傲慢なんだからもっと深堀りしたほうがいいのかな?どうだろ。これは普通に人としての傲慢だと思いますが。どうも、七つの大罪が一、【傲慢】です。
木々と光、きれいだったし、秋の肌感覚よかったなぁ。⇐これを書いているとき、こいつは何も思い出しているわけではなく、「そう書くような人間であるべきだ」という自己定義から自動的に書いている。そう思ったことは事実だが、実感が伴っていない。さよなら……
そういえば、公園にいるとき、ひとりで遊んでる幼女がいて、それを見ながら煙草を吸っているの、普通に世界が隔絶されてる感じでよかったな。自分が煙草を吸っている状況で幼子が遊んでいるのが見えると、副流煙を気にするのはもちろんなのだが、それはそれとして、それ以上に自分が異物のまま無視されてる感じになって、傍観者としての質が上がり、良くなってくる。世界人類には現実のぼくを無視していただいて、気にせず人生とかを送っていただきたい。ぼくはそれを見るので。
今日はまだ即興小説を書いていません。正味眠いのでかくきにもならんけど、ぜったいに書いたほうが良いということはわかりきっている。めんどくせ~~~~~やりたくね~~~~獅白杯良かったしもうよくないか?????よくないですよね……という自分とよくないか?????の自分が交互にダッシュしています。
代わりにフリーライティングをしたっていいな 今日はわりとインプットした後だから書くことがある可能性がある。
やらないにしても文章模写はしたほうがいい……筋トレなので……
は~……なんか……せっかく友人に作業通話に入ってもらって付き合ってもらってるし、即興小説とはいわないまでも、短めの何かは書くかな…… 23:37
0:34 2000字弱で書いた。なんかお題むずかったけどいけたわ。なんでいけるんだ?(?)天才だからかも……
2024/10/14 2:51
できごと
16時間眠り、体調の悪い中バーガーキングを食べ、作業通話に入り、たのしくやったあと、創作できないよォ~~~!!!ほんとは書きたくないのでは? いや小説書きてェ~~~~~~~~~を繰り返し、短歌の話をし、即興小説を書いた。
途中、獅白杯2ndをチラ見したりもした。フリーライティング中に見てたので、フリーライティングが思考する方にいかず、普通に意味不明の頭に浮かんだだけの短文が量産されていた。
「ジャスティン・ビーバーのかじった木を集めてダムにして正義と呼ぶ人たち」とか、そういう文である。
不思議な話だが、小説を書きたい、といっているのに、なぜ小説が書きたいのか?という問いには答えられないし、即興小説書いたら良いじゃん、と書き始めると「うわ~~~~~本当に嫌」と言っている。彼はどういう状態なんだい?ボブ。やぁトニー。僕にもわからないよ。そういう感じである。色々と話したわけだが、その全てにおいてぼくはぼくを信用しておらず、「こういうことを言っているけど、本当はべつにそんなこと思ってないんじゃないのか?」と思う。しかし正解は、おそらく、「そうも思っているし、別のことも思っている」ということだ。すなわち、僕が抱えている絶望みたいなものとか、あるいはできるかもしれないという希望のこととかを、別のベクトル・アングルから記述したものであり、「そういう風に言っても良い」というのが精確で正解だろう。このような但し書きをいちいちしているとコミュニケーションのテンポが終わるので、いちいち言わないようになった、というだけだ。…………と、そのように言ってもいいだろう。まったく別の言い方もある。
重要なことは、「小説って書き上げたら気持ちいい」ということだ。そういうのを大切にしていく方が良い。なぜって、どうせ他者からの返信みたいなものを受け取れないから。人間不信の鑑だね。すなわちこれを大事にするというのは、自己満足であることを受け入れ、その自己満足の質を高めるということだ。ラーメンを食ったら美味かった。この美味さの持続があればあるほど幸せな時間が増える。これはこういう話である。
実際、感情として、何も書けない、と言っているときよりは即興小説を書いた後の方がポジティブな気がする。
まぁ、やったし。別に美味いと言って欲しいわけではないし、面白いと言って欲しいわけでもない。ただ料理の腕が鈍っていないということの確認。レシピも何を作るのかもなかったから、ありあわせのもので炒め物を作った。そしたら思いの外、中華っぽかったというか、なんか、魚醤とかオイスターソースとか、そういう特有の謎の味付けになってしまった。これはこれでうまいが、改善の余地はあるよね。うーん。レシピとして考えるならもちろんここを削ったり洗練させたりしたほうがいいし、たとえばこのたけのこはいらなかったし、きくらげとかを入れたほうがいいかもしれないな。まぁでも、用意がなかったにしてはいいんじゃない? どっちにしろ食べきってからじゃないと次のご飯作れないし、連日これを食べようとも思わないから、たぶん次は違う味付けのものを食べるし作るかな。ひとまずこれを食べきろう。そういう感じだ。
そう、自分で食べればいいのである。人に食べてもらうのは嬉しいし、それで喜ばれることは喜ばしいが、そもそも人が食べると思って作ってないものを、「一応作ったから食卓には置いておこう」とか思って食卓に置くから、何を言われても無効化し自己嫌悪で武装したネガティブ無敵人間ができるのである。自分で食べるぶんには、あまりおいしくないな、と思っても自由だし、それを受け入れたうえで改善をしようという気持ちにもなる。ぼくは自分の作ったものを食べようという気がなさすぎる。自己満足をしろ、というのはそういうことだ。
大事で貴重な言葉すらも眠れば忘れてしまうだろうと思うけど、それでも大事な言葉だったことには変わりない。そういう一回性と感傷。自らの世界観である。
自らが無力であればあるほど、憧れが強くなるので、自らは無力でいたい……ということなんだろうな。あこがれているものは光り輝いて最高なので、一生手が届かないようになってほしい。しかし別に、ぼくが無力でいようとしなくたって、たとえばめちゃくちゃ力を入れて必死に筋トレしたとして、それでも届かないぐらいぼくがあこがれているものは最高である。ああだからつまり、圧倒されればよい。圧倒されることを求めればよい。こんなにも手を伸ばしてダメなのか、この世って思い通りにならなくて最高だ、と叫べばよいのである。それが正しいあこがれに対するマゾヒズムだろうし、そうなって初めてぼくはぼくをそのまま受け入れることになる。
とするとやはり、ぼくの価値観や世界観はまったく変わってないのだ。「めちゃくちゃ頑張って、全てを出し切った上で負けること」。学生時代に卓球部で目指していた目標である。別に負けたいってわけではない。全部出しきって、最高の気分で悔しがりたいのだ。全部やって届かなかったときに、世界の素晴らしさを感じる。少しでも自分に言い訳ができる状況はダメなのだ。もっと練習しておけばとか、もっとこれをああできればとか、そんなことを考えているうちは悔しがるに入らない。それは自分を納得させるための言い訳を探しているに過ぎない。そんなことも出来ないぐらいに全部を出し切ってそれでも勝てなくて、そうして初めて、きちんと“悔しがる”ということができるし、そうして初めて、世界の素晴らしさの一端に触れることが許されるのである。
これはもはや凝り固まってしまった自己評価の低さを再確認して気持ちよくなる行為でもあるが、そう表現するにはポジティブである。「これだけやっても勝てないなんて、なんて僕は最底辺なんだ!」という嬉しさだ。うーん。すなわち、『また勝てなかった』である。球磨川禊……好きだ……(定期告白)
やはり、/cmang1dovob/どう生きるかよりどう死ぬか。それと同じように、想像しやすいのは、勝つパターンではなくて負ける未来像。どう勝つかはもちろん考えるし、どこが勝っているのかと考えることも大事だが、どうやったって、“どう負けるのが理想なのか”と考える方が、やりやすいに決まってる。だからこそ、自らの持つ武器を整理し、“戦い”に行かねばならない。戦わない人間は負けることも出来ないのだから。 うん、ポジティブだな。後ろ向きに全力疾走。いいことだ。(いいことか?)(てかこいつ誰?)
ともかくまぁ、眠るのがよい。寝て起きてまだこれが持続しているといいな。3:15
2024/10/12 23:02
まるで毎日日記を書いているような気がするがぜんぜん一日飛ばしている。出来事の記憶がぜんぜんできないのだけど、今日はわりとやりたいことをやったのではないかな。台本を手伝い、シャワーを浴び、メシを食い、Scrapboxを書き、形容の練習をした。あと10分だけどフリーライティングも。自らの手で何かを作り出したという感じはないけど、400文字の恋文は投下した。最近短歌詠んでないな。(大体べつに短歌詠んでる)
追記してみたらそこそこやっている。最近形容の練習をするためにノートに中心となるもの(風とか木とかホワイトチョコとか)を置いて、周囲に形容できる文を感覚で引き出して書いていくということをやっている。長らくこういう、練習のための練習みたいな、継続すれば多分力は着くけど成果物ができるわけではないよねみたいなやつを、性格上やろうとも思わなかったのだが、「どうせ即興小説を書いてもテンションが下がるだけである」ということと、そもそも即興小説すらまともに取り組もうという気持ちになれないということ。また、普通に文章の手癖が嫌になって、ちゃんと文を感覚で書きたいと思ってやり始めた。結構楽しい。この感じがクセになってすぐ呼び出せるようになったらわりと、文章を納得行く形で書けるのではないか。まずは一個の文章に納得するところから。
自信の喪失というか、無理だな……ってなる一番の要因は、今日気づいたけど、そもそも「手癖の文章」はぼくの中で「無加工の自分」とか、「下ごしらえしてない食材まま」みたいなものっぽいんだよな。ちゃんと感覚を通して加工しないと、人に出していいものではないと思うし、誠実じゃないんだよな。
なので、まぁ、加工技術を磨こうよ、加工するのを苦せずに行えるようになろうよ、ということであるな。
夜勤明けから寝て起きてずっと人間の空気感を感じていたから楽しかったな。人間の存在を感じていることはわりといいことで、それが好みの人間の空気感だとより良い。作業通話が好きってことです。(ガチで書くときには作業通話してると何も進まないけどさ)
これで気づいたんですけど、やたら眠いと思ったらぼく夜勤明けだった。そら眠いわ。
散歩が重要であり、必要であろうと思う。より寒くなる前に深夜徘徊をして、口述筆記をするか、アイディアの貯めをするかをしたほうがよい。確実に。
あ、そっか。なんか、なぜかわからないけど、口から出る言葉に対してはあまり無加工で嫌だなぁ、という感じがしない。そういうのを見つけるのが大事かも。(書き起こしたら変わるかもしれないけど、でも確実に、つぶやく言葉の方が指とか文法とか日本語の繋がりとかに乗っ取られていないだろうと思う)
流石にねむすぎる。ねるか。23:26
2024/10/11 1:29
15時に起きて、飯をくい、youtubeを見て、作業をして、朗読をし、この時間。
ここの「出来事の記述」は「何もしてない感」をどうにかするために書かれるものなわけだが、この圧縮の仕方をすると完全に「何もしてないな……」となってしまうな。
スト6のコーチング動画を見るのにハマっていて、スト6をやりはしないのだが、これの楽しさは「ゲームのうまいやつからゲームの本質を収集する」というところと、「強い行動が論理的に説明される」という楽しみなのだよなーと思う。本質情報集めるの結構好きで、「細かいところは色々あるんだけど、これの本質はここだから、これを抑えておけば良い」というの、心理学で言う良い説明(良い構成概念)みたいな感じがする。これの収集によって本質がすっと見えるようになるとうれしいだろうな。
シチューがおいしかった。起きるとスープが飲みたいという季節になってきたので、スープが常備されていると良いよな、という感覚が出てきた。
昨日やったタスクリストの整理から、3つほどテキトウに今日やるタスクを出してもらったわけだが、そのうち、朗読しか満たしてないので、ちょっとな……という気持ちと、「でも朗読やったしよくね?」という気持ちがある。後者が増えているほうが自分にとっては合っているだろう。「やらなきゃいけないこと」になると全ては終わっていくため。
あと、抜き出してみて思ったけど、まだまだ細分化が出来てないから、細分化出来てないものが出てきたら細分化してタスクに戻す、ということをやったほうがいいかもしれないな。
感情の記録。うーん。今日外出てない(コンビニいったぐらい)なのであんま感情ないか。いや、うーん? まぁ、気分的には落ち込みはあるんだけど、朗読で上向いたぐらいかな。
そうそう、朗読。円城塔のせるふりふぁれんすえんじん(英語わからへん)とかいうやつを読みましたが、すこし奇妙な表現が多いのだがリズミカルでよかったな。内容はまだぜんぜんわかりません。円城塔ミリしらでギミックの人間だという認識があるので何かしらがあるのだろうとは思っています。オムニバス形式っぽいから読みやすくはありそう。
寒さが秋だね。冬という意見もありますが、冬と夏を反復横とびするのも秋ですから。
考えてみたけど活動時間少ねえし書くことねえわ。寝れなかったら深夜徘徊でもしよっかな。1:43
2024/10/09 22:23
友人が帰った。連休だというから銭湯にでも入ってもうちょいいるのかなと思っていたが、持病(皮膚疾患)の関係で保湿クリームを塗らないといけないんだけど、持ってきてないから……だそうな。飯を食ってすっと昼に帰っていったので、「さみし……」と思った。心配とかもあるけど、単純に、“何もしないけど同じ空間にいる時間”というのがけっこう好きなんだなぁ、と思った。
ちなみに、とんかつを食べた。本当は鶏のからあげとか親子丼がうまい店に行こうと思っていたのだけど、何も調べてなかったので起きてから調べたら定休日だった。とんかつは脳内麻薬が出るうまさ(575)。噛んだときの衣のくだける食感と、赤身が下に乗ったうえで、脂身が溶けて混ざったコクのようなもの。ソースとからしと塩。あまりにも美味しい。ご飯もキャベツも味噌汁もおかわり自由。神。思わず自分のことをわんぱくだと思い込んで大盛りの白米をかきこんだが、ぜんぜん普通に詰まって死にかけた。うますぎるので白米を大盛り2杯は食べることになるのだが、普通に量が多い。でもきつくてもうまいんだよな。やっぱり、とんかつをいつでも食べられるようになりなよ、というのは真理なのかもしれない。
友人は何も知らずにその店で一番でかいとんかつを頼んで圧倒されていた。(通常のとんかつの2倍の量がある)途中で「ヤバい」と思ったのか白米をセーブして完食していた。ぼくの作戦勝ちだな。(?)
とんかつ食べた帰りに雨が降っていて、冷たい秋雨の中傘をささずにかえるの、よかったな。昼間の冷たい雨、すきだ。秋の雨はやっぱり世界観があるように思う。
今日、友人が起きる前にモーニングページ……的なことをやって、そこからずっとタスク管理とかいろいろなことをchatgptの力を借りて方針を立てていた。
モーニングページをGPTに投げて、そこに書いてある“やろうとしてること”を箇条書きにしてもらったり
さまざまな精神の悩みを日記とかから拾ってきて、まとめてwordファイルに入れて、それを要約してもらったり
段階踏んで抽象化してそれらを解決する具体的な行動(タスク)にしてもらったり
そこから創作の根本を考察させたり
さまざまをタスクリストにまとめさせて分類わけさせたり
意味での分類わけとか言い換え、重複の削除とかは途中でモデルが4ominiになってしまったからかそもそも苦手なのか知らないがちょっと苦手そうだった
一番よかったのはやっぱり、手軽にスマホ通知を飛ばせる方法がわりと簡単であったことと、もうちょっと複雑にスマホへアクションを起こせるアプリが出てきたことかな。
これにより、「起きて最初にスマホを開いたら、タスク確認のリマインドと共にSCRAPBOXを開ける通知が送られてくる」ということになった。よい。
長らくさまざまなことが、どうにもできず、創作とかもずっと悩み続けているだけだったが、もはやこの不安と無力感たちは、タスクを解決していくことでしか晴れていかないということに至った。まぁ当たり前だけどさ。
目下問題はぼくはタスクの細分化(スモールステップ化)と優先度の付け方が下手すぎるということだ。細分化はまたAIに任せてみるか。
優先度については大丈夫そうな方策が立っていて、たとえばタスクリストの中から3つくらいランダムで持ってきて、それをやればよい。優先度のことは考えずとも、やってれば終わるし、実はどれも「喫緊でやらなければ死ぬ」みたいなものではないし。
優先度の高いものは関連したタスクが生まれていて、重複消すのが苦手なおかげでそれらが残ってるので、相対的に選ばれる確率が高い。とかそういうこともある。
実は今日やけに生活を書いてるのもリマインダの通知による“日記をかけ”というタスクなのだが、眠すぎるので先に書いた。
さまざまな意図による「出来事と感情の記録」の支持なのだが、“感情の記録”って難しいな。
わりと今日は、とんかつうまかったし調子も悪くなくしあわせだったな。寂しさとかはありはするけど、根本前向きな一日だった。
高圧洗浄機で水道管を洗う動画、みたいなすっきりした感覚がある。
フリーライティングも30分やった。指が痛かったが、わりとあれかも。やったときは効果ないと思ってたけど、今になってみるとちょっと脳内落ち着いてるから、わりと効果あったのかな。
ん〜〜〜〜〜 なにかの感覚、わすれた。さすがにねるか。23:00
思い出した。フリーライティングは話題の制約を受けないためにPrivateでやっているのだが、書き終わったあとになぜか「反応がない……はぁ……」みたいな気分になった。/cmang1dovob/反応中毒症状である。 無論、Privateなので誰も見ることはできないし、反応がないのが当たり前なのだが、なぜかそこに理性がつっこむまで感情のほうが気付いてなかった。
半分くらいは、脳が回転しまくったせいで、新鮮な長文の情報処理をもとめまわったというのがありそうかもしれないな。
書いてく蓄積系のタスク、明日からは目的を改めてはっきりさせておきたいところだな。起きたらわかりやすいとこに置いておこう。
2024/10/09 3:13
細かいことは省くが、友人が泊まりに来ている。なんとなく会話をしたりしなかったりして過ごし、前半ちょっと負荷をかけすぎたことを反省。なんとなくで飯を食いに行き、なんとなくで寝る姿勢になり、途中友人は寝ていたが、俺が寝るよりも前に起きて、眠そうなくせに寝る気配をまったく見せないので、時間帯特有のメンヘラを発揮し、不安すぎて友人が寝るまで眠れなくなってしまった。
おれが寝てる間に自殺願望を実行に移したら全然止められない……みたいなことをずっと考えて過ごしていて、やっぱりどう足掻いても、「いつの間にか他者が死んでいる」という恐怖を抱え続けているのだよな、と思う。
ぜんぜんメンヘラ。この世の関わりのある全人類、頼むからおれの知らないところでしあわせになってくれ。
で、それはそれとして、普段とは違う環境だったのでVCは出来なかったが作業通話に軽く参加した。普段の環境と違うので何もやる作業がなく、とりあえずコピー用紙に言葉を書いていたのだが、このうちのひとつのやり方が結構良かったように思う。
木、という単語を真ん中に書いて、周りにそれを構成する要素――木漏れ陽とか、葉擦れとか、揺れる枝とか――を書く。そしてそれぞれの共感覚的なイメージを短文でその周りに箇条書きしていく。そうすると結構いい形容が出て、こういうのを続けてれば、手グセで書いてる感じが無くなるかもしれない。
手グセで書く、とは僕の場合、自動的記述のことだ。つまり、そこにイメージや幻覚の伴わない文章だけの文章。こと情景描写に関して、僕は自分がこれを書くごとに自分を勝手に貶めていくので、それの防止になれば良いな。続けていれば、イメージを伴った文の生成も取り戻せるかも。
何個か書いたけれど、木漏れ日に対する「透明な楕円」「上品な砂糖みたいな甘さの飴玉」、葉擦れに「耳を撫でられている」、枝に「やわらかに抱くような腕」といったものが気に入っている。それぞれに気に入り度は違うけど。
これを出しているときに、「触ろうとしている」という形容が出てきて、ああこれ、鈴木ジェロニモの「説明」と同じ感じだ、と思った。そもそも「説明」は短歌を考えるときのようなもの/物体との深いつながり……みたいなのを広げたものだったと記憶しているので、結局こういう、詩的な文章としての関わりをすると似てくるのかもしれない。
夏の花火はもうないが、代わりに秋雨が冷たく降っている。でも、これは拒絶する冷たさではないのだよな。防止柵の向こう側から、生きる方向へとやわらかな力で押されるような感覚もするし、それと同時に、まとわりついて共に凍死へいざなうような妖しさも感じる。秋ってそういう、生と死が矛盾し続けて同時にあるような寂寥がある。
だからこんなにメンヘラなのかも。おれは秋と一緒に死ねないし、秋もおれの死を少しだけ受け入れない。
ねむすぎる……やだなぁ……3:42
2024/10/05 2:28
答えはないかわかりきってる。なにかわからないが、たぶん今、ターニングポイントにいる。動くべきだろう。(と、書くと同時に、「いやだ、こわい、何もしていたくない」と頭が囁く。)
これは全部のものと同じで、遊ぶ約束のことだけど、本当に行きたくないし動きたくないけどやり始めたらそれなりに楽しいのだと思う。自分を信じられないだけで。
人生を他者のために使い潰したくて仕方がない。自分のために精力的に動くようなことをしたくない。不合理な信念と認知的不協和。
明日には死んでいるはずの僕なのに部屋の片付け目覚まし時計
これなんだよな。明日には死んでいるという希望を持ちながら、今日を生きているから、今日を明日のために使うと、嫌っ……ってなる。
そんなことが言いたいんじゃなくて、だから……つまりもっと怒りに呑まれて生きたらいいのではないか、ということ。この怒りは愛で、全員を一度殺して蘇らせる。ああもう。冠婚葬祭だ、人生。
その、人生とかすべてとか全部とか言うのをやめろ。おれは……だからさ、愛してるし、愛してるってことを伝えられてないし、この苦しみの、胸の内にある愛の大きさとか深さとか、もう何でもいいよ、そんなんじゃなくて、だから純粋にわかってないよ。僕が君を好きだってこととおれがおまえを愛してるってことは違うけど同じで、そのうえでぼくがどれぐらい人を好きなのか知らないでしょ、つってんの。
ぼくだってきみのことは知らないけど知ってるとか知ってないとか、きみがおまえが自分のことをどう思ってるかとかは愛するってことに関係ないでしょ。嘘と幻想でできた物語だっていちどだけ見て好きって言えるんだから、それを信じ込むことは何も必要ないよ、理由とか
そもそも前提が違うんだよ。存在することそのものが尊くて愛せるのだから、「〇〇だから好き」って話とは次元が違う。前提が「愛するもの」になってるんだから、せかいで何が行われても「愛するものが何かをやっている」という愛おしい行為じゃないか。違うのか。まぁ、違うとか違わないとか以前に、誰にも伝わらないのだろうけど。
本当は何かを書きたいなんて嘘だよ。創作なんてしたくない。喋って、文字で伝えて、それで伝わったって思えればそれで十分なんだ。でもどうやら、どれだけ言語化をしようとしてもそこにある感情とかこの心のどろどろした鈍色の炎とかは通じないらしいし、もちろん愛しいきみたちのいってることだって何一つきちんとは受け取れない。だからこんな面倒な想いを抱えなきゃいけない。
上位存在になりたいし神になりたいし冥府の王になりたい。宇宙を統べたり地球を抱きしめたり人類を「子ら」と呼んだりして、あらゆるものに愛を注いで慈しんで、戦争も平和も怒りも憎しみも苦しみも悲しみも幸福も憂いも喜びも楽しみもこの世に存在する泣きそうになる全てを肯定したい。それでいいんだって言ってほしいし言ってあげたい。そして「こんなんじゃだめに決まってるじゃないか」って憤るその悲鳴と否定すら肯定したい。駄目でもいいし駄目じゃなくたっていい。体調不良も健康も何もかも良くて、生きてても死んでてもよくて、でもただひとつ存在しなくなることだけが悲しい。だから存在証明をしたくて、存在証明をしてあげたくて、ここにいてまだここにいるってことを残したくて、どうしようもなくなるから書くことしかできない。
書いたって、思い出せなくって、悲しくなっていくだけだけど。それでも大勢がもっと残したくなったその存在のことを追認してくれたら幸せなのにな。
慰めに自然に自然が入ってるから空は青いし鈴虫が鳴く し、 それを指差すことが「泣かないで、悲しまないで、生きていて」ってことなんだよ。
あーあ。また深夜にメンタルを崩してしまった。疲れた。伝わらなくて返事のない手紙を書き続けている。便箋じゃなくてノートに書いてて、封蝋もしてないし宛名も書いてないしポストにも投函してないから、当たり前だよな。
愛してるよ、人類。 3:17
2024/10/03 4:56
嘘をつくこと。嘘を信じ続けること。本当を信じられないこと。ぼくは嘘のスペシャリストになりたくて、嘘を信じ込ませて人間を正の方向に進ませたいわけだけど、そもそも、それほど嘘が上手いんだろうか?というより、相手を信じさせることができるのだろうか?
誠実であろうとすることと、信用させることは微妙に違う。ぼくは言葉への誠実性がある(というか、それが縛りになっている)ので、自分の言葉が嘘であることに敏感で、嘘ではない範囲でごまかしたり納得したりすることを生業にしている。なので、本当に嘘になる可能性がある言葉を吐くことができない。
だからこう、楔になれないし、枷になれないし、人を全部騙し切ることは出来ないんだろうな。呪いになれない。どうしたってぼくはぼく以外になれないから、ぼくであるままで何かをやろうとするわけだけど、ぼくがどれだけ心中で叫んでいても、眠るときは眠るし人を無視するときは無視するし、どうにもできないんだよな。普通に。無力。
ほんとうは、ぼくが騙しきれるといえるものが小説であり、喋ることでは伝わらない全てを託せるのが文章芸術という形態であるはずだけど……書ける気がしないというか、いや、もう……どうなんだろう。いろんなことが関わりすぎていて、泣いてしまうな。/饒舌に喋る全ての魔性/ 自分で自分をえぐりすぎて思考ストップのうえ手を止めてぼうっとしてしまった
文学 文学なんだよね ほんとうは全部文学にしてーよ。 この重苦しい胸中の鉛とか、頭の中に満たされてる水銀の毒とか、毛細血管に血が通らない冷たい感覚とか、涙なんて出せないのに泣きたいぐらい全部を愛してることとかさぁ。すべてとか全部とか言ってるのがよくないと思うんだけど、だからそれは空気とか風とかあの夕焼けとか朝の涼やかさとか鈴虫の声とか、だからもう……はぁ……全部だよ……(泣き出す)
もう返事のない手紙を書くのは嫌なんだよな。世界へ向けた手紙なら、ハナから返ってこないってわかりきってるからいいんだけど、ぼくのこれは人に宛てた手紙じゃん。返事がこない手紙を、“あるかもしれない”って思いながら書き続けるのは無理に近い。まぁ、というか、ぼくが返事だと思えるものが少なすぎるというのもあるけどさ。本当は手紙を書いて欲しいんだよね。ファンレターって意味でもあるけど、どちらかといえば、だから、そう、つまり小説ってことなんだけど。
小説じゃなくていいんだけど、創作には創作で返事しなきゃならない、みたいな感覚がちょっとあって、それ以外だと創作に返す方法は狂気しかないんだよな。でも狂気の話すると、ぼくよりも狂う人間はひとりもいない(※過言/主観)のでもっと人間を狂わせないといけないんですね。どっちにしろ狂わせないとならないけど、じゃあぼくはいま人間を狂わせるような文章をやっていますか?と言われると、やってないよね、となって、どんどん落ち込んでくる。
文を書いているけど、これは思考であって、描写ではない。そういうのを長く続けているから描写ができるという自信がない。そもそも何にも自信なんてないけど。
い~や?だが待って欲しい。小説を書くのに描写は必要なのだろうか? 別に描写が極端に少なくても成り立つものはあるのではないか?
でもぼくが書きたいのは実際描写ですけど……?みたいなのもあります。描写がしてーよぼくは。
そもそもの話インプットが足りてないってことじゃないですか、みたいな話何回もしたと思うんですけど……?
インプットもアウトプットも何もかもをしていないのに甘えるなよ小僧 阿久津も逆だ小僧と言っています 急に白菜を出すな
もうまぢむり……積み重ねた全てを無視して「書いてないもの」ばかりを見ています 小説なんて一個も書いてないし短歌も一個も書いてません
それはぜってー嘘だけどほんとに「何も書いてない」「何も生み出してない」と思ってるんだもん……
手首からきゅうり生えてきた……人間ほぼきゅうりってコト……破道の九十黒棺……5:39
2024/10/01 23:16
やたらと早く起きてしまい、昼前に眠くなって二度寝するとめちゃめちゃな時間寝てしまう……みたいなことを繰り返してる。なんだろな〜。運動……?出歩いてて疲れてるのか?
気温が変わってきたからそれに身体が追いついてないという説はある。
今日のおまえは明日のおまえよりもずっとずっと愛されている 自動記述より
起きたとき体がかたまりまくってるのでメメメ〜〜ってかんじ
それ以前
蓋絵
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