単声音楽から多声音楽へ
単声音楽・・・単一の旋律からなる音楽、モノフォニー
多声音楽・・・複数の独立した声部からなる音楽、ポリフォニー
中世
4〜8世紀
4世紀にキリスト教がローマ帝国に公認されてから徐々に教会の組織化が進み大きくなっていくにつれ、典礼や聖歌もまとめられてゆく。そして6世紀末頃から編纂されていった聖歌(グレゴリオ聖歌と呼ばれる)はどれも単旋律、単声音楽(モノフォニー)だった。 8〜9世紀頃
教会旋法が体系化される。
(正格と変格が各4種類=8旋法。16世紀頃にイオニアとヒポイオニア、エオリアとヒポエオリアの4種が加わる)
教会旋法は半音や全音の相対的な音の並び方により決定される。 教会旋法を整備する前から聖歌はあるので、どの旋法にも分類できない聖歌もある。
9〜10世紀
9世紀に楽譜が登場し、だいたいどんな音楽だったのかが推測できるように。
この頃から聖歌の多声化が起こる。
まず母音を長〜く引き延ばして延々歌うメリスマ部分に旋律や歌詞を挿入して聖歌の注釈的装飾を行うトロープス、
さらに聖歌からとった定旋律に新たな声部を付け加える技法=オルガヌムが現れる。
一番古いオルガヌムは平行オルガヌムと呼ばれ、定旋律の4度または5度音程で定旋律と同じ方向に動く。 (→もし定旋律がドレミと動けばファソラと動く)
トロープスが水平的装飾で、オルガヌムは垂直的装飾と言われたりもする。 12〜13世紀
単旋律の聖歌に声部を付け加えるにとどまらず、聖歌を最初から多声音楽として作曲するようになり、定旋律に付ける対旋律も平行だけでなく自由に動かしていくようになる。
・ノートルダム楽派がオルガヌムの技法を発展させる(声部を増やしたり、より旋律的にしたりなど) ルネサンス
13〜14世紀
ノートルダム楽派のオルガヌムからモテットへ
大まかにいうと、定旋律につけられたオルガヌム声部に歌詞をつけたのがモテット(モテトゥス) 当初、オルガヌム声部の歌詞は定旋律である聖歌の歌詞を説明する内容だった。しかし説明なんだし定旋律と同じラテン語じゃ理解できん、と考えたのかなんなのかフランス語で歌詞がつけられるようになり、その後内容も聖歌と結びついていない世俗的なものも増えていった。(モテットの世俗化)さらに第三の声部が新たに加えられるようにもなった。そしてとうとうモテットだけが典礼から独立してそれ単体で楽しまれるようになった。
定旋律の聖歌がラテン語で、付け加えられた2声部がフランス語、それぞれ違う歌詞と旋律を同時に歌うって聴いている方は混乱しそうである。
だんだん多声音楽も複雑になってきて、いろんなリズムを表記したい欲求が高まり楽譜の書き方も発展する。
そこへ6つの基本リズムを表記したモーダルリズムや、さらに音高だけでなく音価(音の長さ)の相関関係も表せる定量(計量)記譜法が出現。
そして高機能な記譜法が発明されると多声音楽もさらに可能性が広がっていく。
15〜16世紀
イギリスの音楽、大陸に伝わる。
英仏両国ともお互いに領土を持ったり占領していたりしたり(百年戦争もやってました)で文化の交流が生まれる。
そんな時期にダンスタブルが自国イギリス特有の三度や六度音程の柔らかい和音を使用しつつ、大陸のオルガヌム技法なども取り入れた新しい音楽を書き、それが大陸に逆輸入される。
五度や八度の硬い響きの音程にさらに不協和音程をあてるフランスの音楽にとってはダンスタブルの音楽は新しく感じられたと思われる。ダンスタブルの音楽に刺激をうけ、フランスではデュファイらブルゴーニュ楽派がイギリスの音楽を吸収しつつ独自のスタイルを生み出していく。 ところでイギリス以外はなぜこれまで三度や六度を避けてきたかというと、これらは不協和音程とされていたから。
ピタゴラス音律では協和音程を1〜4の整数比に限定していたため、三度や六度は協和音程と認められなかったのだ。
(融合して一つに聞こえることを重視するピタゴラス派の協和音の理論は、たしかにドーソードという響きはひとつにまとまって聞こえ、ドーミードだと当たりは柔らかいけれどドーソードの一体感は得られないように感じる。)
宗教改革
(ルターが教会の扉に「95箇条の意見書」を貼り出したのは1517年)
ルターは誰でも簡単に歌えるように歌詞をドイツ語にし、旋律はグレゴリオ聖歌や世俗的な歌を用い、さらには当時の作曲家による新曲も使用した。
讃美歌としてのコラールは一番上の声部に旋律をおき、下の声部は旋律を和声的に支える4声体の合唱曲が主流である。
(コラールはこのホモフォニックなスタイルとは別にポリフォニー曲もあります)
宗教改革を受けてカトリック側も自己改革を目指す運動が起こる。
音楽の側面でも行き過ぎた世俗化や複雑すぎるポリフォニーなどを反省し、理想のカトリック教会音楽を作り上げようとした音楽家にローマ楽派のパレストリーナがいる。 不協和音を弱拍においてキツくなりすぎないようにしたり、歌詞を聞き取りやすい均整のとれた理想的な教会音楽を作った。
(※西洋音楽の基礎になる教会音楽を軸にモノフォニーからポリフォニーへの試みの流れをおおまかに書きました。そのため細かいことや世俗音楽、器楽曲等はすっ飛ばしています。)