ページ数を考えないほうがいい
点数が増加傾向にあればその人が努力していると言えるかで5番地.iconさんは、点数の増加傾向でその人の努力を評価するというやり方に対して、「どのような問題が解けるようになったことで、合計点が上がったのか」がその方式では評価されていないといったことを指摘されたように思う。その点数が何を基準にしたものなのかによって、合計点の意味が変わってくる。 ところで、Scrapboxにはページ数がある。
だが、タイトルだけ書いても1ページだし、本になるクオリティで長文をまとめても1ページである。
久住哲.iconはかつて1日で100ページ作る会という企画を行ったが、かなり反省した。(私の狙った効果(アープラノートにページを作るハードルが下がること)はもたらされなかったし、関心に応じてメモをするという私個人の理想像とも離れたものだった) ところで、「ページ数を意識する」と、次のようなことが起こりうる:
ページ数をプロジェクトの(あるいは自分の思考活動の)評価指標としたいがために、ページのクオリティや運用方式を統一して、ページが1つ増えることが確かなクオリティの向上をも意味するようになることを目指して、ページを書いてゆくこと。
すべてのページが均質であるならば、ページをは情報を数えるための単位として使えるようになる。例えば、辞書などはそうだ。たいていの項は単語であるし、説明文が極端に長いということもあまりない。(事典はまた別かもしれないが。)項が多いことは、辞書の良さになりうる。
これの何が悪いというのか?
久住哲.iconが思うには、「ページ数を評価指標として使えるようにするために……」という動機がおかしい。ゆえに、それにもとづく活動は良くない……というかんじ。
たしかに、良いプロジェクトは「そこを検索すれば有用な情報が手に入る」といったものであり、そういうプロジェクトはたいていページ数が多い。しかし、ページ数が多いからプロジェクトが良いわけではない。
久住哲.icon2021/12/9 非表示にした
2023/8/25現在は表示している久住哲.icon