バフォメット主義について
「講義編」をズバーッと読み終えたが、やはり終盤の「バフォメット主義」は重要だろう。 たとえば、ここで言うような意味での起源なきシミュラークルという考え方を、もっとも確信犯的に主張したのは、小説家であり、翻訳者であり、また特異な色鉛筆画でも知られるピエール・クロソフスキーです。この作家は、近代以降の直線的な歴史を否定し、いっさいの起源をもたず、差異と反復の中で物事が永遠に回帰する運動を「肯定」することができる思想の強度を、ニーチェの哲学から抽出した人ですが、この思想にもとづいて書かれたクロソフスキーの小説はーーたとえば『バフォメット』に代表されるようにーー多種多様なイメージを混淆させていくこともさることながら、端的にアンチ・キリストということが謳われています。半獣半人たちが狂乱の限りをつくし、霊魂はひとりの人間にいくつも宿り、しかも自由に他者へと乗り移ってゆく。そこには自己も、内面も、起源も、唯一の神も不在です。ただ全方位的に加速する恐るべき欲望の運動の持続だけがあるのです。 そうした不合理きわまりない不気味な運動は、人間の理性にとってはとうてい耐えられるものではない。だから、なんとか起源をこしらえようとしてしまう。そして、ひとたびそれが固定されると、そこにジャンルであるとか、作家性であるとか、オリジナリティであるとか、そういう「よどみ」が生まれてくる。つまり、オリジナリティや個性といったものは、本来ある流れを塞き止めたときに現われてくる一種の「停滞」なのです。むしろ世界はつねにあらゆる方向に同時かつ錯乱的に拡散しているというべきでしょう。あらゆるものがあらゆるものと関係を持ち、一瞬たりとも変化しないことはない、それだけが唯一の真実です。
起源を否定し、オリジナリティや作家性を停滞ととらえてる。
創作に挑戦している人は、(これは人それぞれかもしれないが)いままでにない新しいものを作ろうとか、自分なりのオリジナリティを生み出そうと必死に努力する。少なくとも僕もそうであったが。しかし、調べれば調べるほど現代において多くのことはすでに誰かになされていると気づくわけだ。
※ここらへんは、ビドロの欄でも言及されていた。「自分で考えるオリジナリティや作家性とは無知の産物でしかない」
そんでまあニヒリズムに陥るんだけども、そのニヒリズムから開き直って生まれてくるものがあるわけだ。「新しさの神話」や、自分だけにしかできないことをしなければならないみたいな強迫観念(ここらへんは近代以降の自己同一性に対する不安が関係している)から解放される。シミュレーショニズムにはそんな雰囲気がある。 これはわかる!
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ところで、クロソフスキー(クロソウスキー)とニーチェの話についてはここでも書かれていたなあ ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
椹木氏はここら辺持ち出してるのは間違いないだろう
関連あるかも?