マイク・ビドロ
アメリカの芸術家
ビドロは既存の芸術家の作品(ピカソやデュシャン、リキテンシュタイン、アンディ・ウォーホル、ポロック、マティス、デ・キリコなどなど......)を全く同じサイズ、同じ絵柄で、そっくりそのまま描き直していく。出来上がった作品は、本物と見分けがつかない。
しかし、ピカソのサインまでは書き写していない。これにサインを入れると贋作になってしまう。なので一応、これらの作品はビドロのオリジナル作品なのである。 作品のタイトルには『This is not a Picasso』(これはピカソではない)というタイトルをつけている。
『これはセザンヌではない』『これはカンディンスキーではない』『これはポロックではない』などなど......
マグリットはパイプの絵はイメージとしてはパイプだが、物質としてはパイプではないという話で、イメージと言葉のずれを暴いた。ビドロは、ピカソのイメージを描くが、それは物質としてはピカソの絵ではない。美術史のあらゆるイメージを描き、何が本物たらしめてるのか?それを暴こうとする。
さらに、パフォーマンスの再現も行なっている。イヴ・クラインの1960年代のパフォーマンスをそっくりそのまま再現した。
ビドロがなぜ芸術家の描き直しを始めたのか、『増補 シミュレーショニズム』にある椹木氏の解説を引用する
自分は美術の歴史の先端部になんとか関わろう、なにか新しいサムシングを付け加えようと、いままで考えられるかぎりいろいろな試みをしてきた。ところが、今度こそと思えるような、斬新で人がやったことがない自分だけのアイデアが浮かんでも、いろいろ調べていくと、その程度のことはすでに誰かがやってしまっていて、しかも自分よりすぐれた方法でそれをやっていることに気付く。調べれば調べるほどそうで、自分が考える「オリジナリティ」とか「作家性」とかいったものは、単なる無知の産物でしかない。
そして、そんなことを繰り返しているうちにわかったのは、自分はなんら特別な才能のない、凡庸な作家だ、ということだったというんですね。そうすると、天才でない自分にできることがあるとしたら、それはせいぜい、過去の偉大な巨匠達の名作を描き直すことを、徹底してやることくらいしかないと。にもかかわらずビドロは、まさにそのことにおいて、つまり、大半の芸術家が、あらゆることがやりつくされているにもかかわらず、いまだにそれぞれの才能を過信して凡庸な創作を無自覚に繰り返しているなかで、自分が凡庸な作家であるということに気付き、そしてそのことを意識的に創作の中心に据えたことによって、いままで誰も得たことがないオリジナリティを得ることになったわけです。
『増補 シミュレーショニズム』p41より