ハイコンテキスト・ページ
何がキツいのか
読みやすさの観点からページを切り出そうと思った場合、すべてのページをローコンテクストなものに保つことは諦めた方がいいんじゃないか、と思いつく久住哲.icon すなわち、「ハイコンテクストになっても仕方がないよね!」と開き直る姿勢があったほうがいいのでは、と
状況分析
この分析は現状を正しく反映しているかどうか
ハイコンテキストページというのは、別なページを前提にしなければ理解できないページであり、アープラノート内での過去の別なやり取りを知っていなければ、内容を理解できないようなページのこと 例えば、インデントされてぶら下がった文章が長すぎると読みにくい。読んでいるうちに元の構造を忘れてしまうし、構造の視認性も悪くなる。
これをそのまま切り出すと、文脈から切り離される。すると、ハイコンテクストなページができあがる。 これを解決するためにリンクとページの切り出しとあると思っているので、ハイコンテクストになるというのがよくわからなかったtakker.icon
複数のページを読む必要がある時点でハイコンテクストであるということだった
↓に書いた自分のコメントは「ハイコンテクストであっても問題を起こさないシステムがある」ことを主張していたようだ
そのうち切り出そ~
リンクを飛べば、ググってもわからないようなことでもすぐわかる
リンクがあるからこそ、文脈を維持することができる
「文脈を維持出来る」ことと、「ハイコンテクストである」ことは打ち消し合わないとおもうcman.icon
ハイコンテクストになる、というのは「このページの内容を理解するためには、別のページを読まないといけない」ということ
別なページを前提にしなければ理解できないページ
言い方を変えると、別のページを読まないと情報としての価値が激減するページ。
ここでは恐らく議論が行われたページのことをイメージしているだろう。
議論ページをそのまま切り出した場合
「なんでこの話になったか」がわからないと価値が見えないことが多い
「さっき言ってた〇〇」とか割と言ってる
そのまま切り出してリンクでつなげることが文脈を維持することなので、ハイコンテクストになるよねということ。
なるほど。ハイコンテクストを勘違いしてましたtakker.icon
解説サンクスです
(ovo)b
ローコンテクストな内容に向けて編集されるというのは、「そのページだけで完結するようになる」ということだと思う
そのページを読んだだけでも情報として価値があったなぁ。というページ
(極端に言えば)Wikipediaとかはリンク先ふまなくてもそこそこ情報の価値がある