ニヒリズム(ニーチェ)
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概要
キリスト教的道徳や世界観が信じられなくなり、意味を喪失すること。これは、後述の「受動的ニヒリズム」にあたると思われる。「神の死」以前はキリスト教的世界観(ex. 来世での救済)から、この(苦しい)現世に価値・意味を与えていたため、もしキリスト教が信じられなくなるならば、翻ってこの現世の価値・意味もわからなくなる。 /icons/hr.icon
様々なニヒリズム
ニヒリズム。それは二義的である。
受動的ニヒリズムとは先述のようなものである。これに対して能動的ニヒリズムは、(本来)一切の価値・意味のないこの世界(現世)に、各個人が自分なりの価値・意味づけを行っていこうとすること。そのような態度。(cf. ニーチェ・哲学早わかり )(注1) ───────────────────
『ニーチェを知る事典』における記述
『ニーチェを知る事典』の「ニヒリズム」の項では以下のようなニヒリズムの分類が提示されている(p. 346~) 1. 正常な状態としてのニヒリズム
1 - 1. 能動的ニヒリズム
精神の力が増大 → 従来の目的・信条が適合しなくなる → 精神が従来のものを破壊 → 新しい価値を生み出す
1 - 2. 受動的ニヒリズム
従来の目的・信条が適合しなくなる → 新しい目的・進行を打ち立てない → 従来のものを認めるが、至高なものと崇めることをやめて、生命の維持のために利用することを考える(p. 347)
2. 病理的な中間状態としてのニヒリズム
能動的にも受動的にもなれず、生存にはいかなる価値、いかなる意味もありえないと、無意味性を普遍化する状態
ニヒリズムの二重の意味(p. 351)
第一の意味のニヒリズム……キリスト教や形而上学に対する信仰の喪失
第二の意味のニヒリズム……キリスト教や形而上学そのもの
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脚注
能動的ニヒリズムは「各個人が自分なりの価値・意味づけを行っていこうとすること」ではないとする解釈も可能かもしれない。
ニーチェの思想は一般に三段階を経て展開したとされるが、その根拠はニーチェ自身の叙述にある。たとえば「ツァラトゥストラ」第一部冒頭の「三つの変化」は、精神に駱駝・獅子・小児の三つの発展があることを語っている。忍耐強く、重荷を一杯背負い、畏敬に充ちて「汝なすべし」の理想のもとに、伝来の価値を信じて生きる駱駝は、やがて砂漠に赴き、一転して獅子に変身して、旧来の価値や義務に対して否を言い、「われ欲す」の鬱勃たる意欲において、新しい価値創造のための自由を自分に強奪する。しかし獅子は新しい価値そのものをまだ創造できず、そのためにはさらに獅子は小児に転身して、無垢と忘却において創造の戯れを開始し、聖なる肯定を言って、自分の意志を意志しつつ、いわば「われあり」の立場において、自分の世界を獲得し終えねばならない、というのである。ニーチェはこれと同趣旨のことを、遺稿のなかでも、知恵にいたる道の三行程として語っている(『生成の無垢』)。 /icons/hr.icon
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