これが現象学だ
https://m.media-amazon.com/images/I/419S037V98L.jpg
現象学に入門したいので読むblu3mo.icon
読みながら思った事などを書いていくので、ツッコミ等あればお願いします🙇
読むモチベ
広義Virtual Realityの哲学的側面に興味があって、現象学はまさにそれを扱っている雰囲気がある
「事象そのものへ」
抽象的思弁から離れて、具体的な現実の経験 = 現実 = 事象そのもの を追求する姿勢
p57あたり
{諸現出/記号}を{通じて/媒介として/突破して}、現出者を{知覚/経験}している
ある一つの時間において、現出者が同一でも、現出は多様
ここで、 諸現出を突破して現出者を知覚する働きを志向性と呼ぶ この本を読んでいないので文脈は分からないが、志向性は知覚には限定されていなかったと思う久住哲.icon
欲求するとか思い出すとかも志向性を持つ
いや、「知覚」は他の意識体験と比べて特権的な位置を持つのではないか久住哲.icon
知覚がはじめてわれわれに対象を直接に提示するのであり、知覚がはじめてわれわれに対象自体を「それ自体で」現前呈示するのである。(ダン・ザハヴィ『初学者のための現象学』p5)
知覚などの「意識体験」がそれ自体において体験されるものそれ自体に関わっているということが志向性だったかな……久住哲.icon
意識体験を私たちが志向的とも呼ぶ時、この志向性という言葉は、何かについての意識であること、すなわち$ \small\overset{コギト}{思うこと}としてその$ \small \overset{コギタートゥム}{思われたもの}を自らのうちに伴っていること、ほかならぬまさにこのことを意味している。(岩波文庫『デカルト的省察』p69、傍線引用者)
以下は本の引用ですblu3mo.icon
さて、直接経験(マッハ的光景)を基礎に据えたフッサールは、そこに諸現出の体験を媒介にして突破して) 現出者が知覚されるという構造を見出したわけだが、この媒介・突破の働きが 「志向性」である。それゆえ、直接経験は、これらの言葉を用いて「志向的体験」と言い換えられる。 そこではいくつかのサイコロの現出が「立方体そのものを表す『記号』」であると書かれた図が紹介されていた。しかし、「立方体そのもの」とその現出とが別なものであるということ、及び現出は「そのもの」のいわば「記号」であるという発想は、フッサールの考え方とは相容れないという印象を持つ。久住哲.icon とはいえ「志向」という言葉が使われている気持ちはまだあまりつかめていないblu3mo.icon
英語だとintentionalityなのか、なおさら分からんblu3mo.icon
これは、「諸現出があるのは経験的に分かる」「諸現出を突破して同一性のある何かを人間が見出しがちなのも経験的に分かる」というロジックであっている?blu3mo.icon
ここでの「経験的に分かる」とはどういうことでしょうか?久住哲.icon
説明できるほど理解していないblu3mo.icon
フッサールが「諸現出→現出者」の構造を見出す時に、他の学問のモデルとかは使わずに、自分の経験(?)のみを根拠として演繹的に導き出したみたいなイメージblu3mo.icon
現出者は経験(知覚)されるが、現出は体験(感覚)されるだけ
まあこれは経験/体験をそう定義するんだな、という気持ちblu3mo.icon
音楽
それぞれの音(諸現出)の体験を通じて、メロディ(現出者)が知覚される
カント: 人間の認知の仕組みにプログラムされているイメージ これを、フッサールは「心理主義的、人間の心理が変わったらアプリオリな論理は変わるの..?」と批判 フッサール: 志向的経験にアプリオリな論理は現れていて、現出者を知覚する過程で人間がそれを抽出して学ぶ なので、アプリオリな論理を明確にしたいなら、志向的経験をベースに考えるべき、という主張
あ〜、このモデルの方がしっくりくるblu3mo.icon
「しっくりくる」以上の支持する根拠もないけどblu3mo.icon
ここまでで思った事blu3mo.icon
元々の現象学のイメージは以下の通り
客観的な存在を仮定するのをやめて、感覚する「諸現出」のみに注目する
そこから、「現出者」を導き出せる
けど、アプリオリな論理における議論では、「現出者」という普遍的存在も仮定しているようにみえる?
「アプリオリな論理」は普遍的だという前提をフッサール他は持っているように見える
ならばそれのソースである現出者も普遍的ということになる
自分は現象学が「"現実世界"が普遍的」という前提を否定していると思っていたが、違うのか..?という気持ちblu3mo.icon
普遍的ってなんだ?blu3mo.icon
「アプリオリな論理」は「現出者」の性質に依存していて、現出者が普遍的でなかったらアプリオリな論理も普遍的でない、ということかなblu3mo.icon
例えば、「一般的に知られる論理が全く成り立たないVR体験」に0才の時からずっと没入しつづけた人にとっては、一般的に知られる論理はアプリオリではなくなる