「廃墟の朝」
「現代瞬時の記録」とされている。
「処女作は廃墟の朝の如きものであらねばならぬ」という記述がある。
👀解釈
ノオトⅥ
「彼は何故かういふものを書いたのであらう」といふ人は正しくもあり誤つてもゐる。発生と意図と結果とが渾然と一つになるときその作品は死せる作品である。作品には妨害物――あの犯すもの――が必要であらう。その度にその作者は「領域」の為の戦士になり得る。掠奪が美しい行為となるのである。
遺作『豊饒の海』にいたるまで、彼の芸術を支配する原理が既にここに示されている。 この戦士を、「犯すもの」「掠奪するもの」と捉えてはならない。この戦士は楯である。「妨害物」とは何かは措こう。戦士は、その掠奪と対峙し、闘うものである。
一目でその全容が見てとれる芸術は死している。
作者は作品の死を救うために死ぬ。そうして掠奪は美となる。