2023年2月前半を振り返る(久住)
身体づくり
1月よりはジムにまめに行けたし、自宅での筋トレもできた。ただ、ずっとプールに行っていない。冬道をプールまで行くのがしんどい、というのはある。週一ペースくらいで行けたら理想。春になったら読書をやめて、身体に集中する予定。
アープラに関して
アープラのDiscordにはあまり顔を出していない。けっこう、時間がないと感じている。
2月1日は、レオさんと通話したあと、読書会に関してのVCに参加。そこで名前が出たポーの「盗まれた手紙」を、後日買って読んだりした。青空文庫でも読んだが、訳文がけっこう違っていた。
2月の前半では夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読み終えた。読むのは3回目くらいだと思うが、自分はやはり正木と若林の頭脳戦じみるところが好きなんだなと再確認した。 5番地さんと自己言及VCを行った。まだ2回目はやれていない。 ラブクラフト読書会があったので「ダゴン」を読んだが、読書会には参加できなかった。小説を読んでも、なかなか感想とか言えないナアという心持ちでいる。 読書について
案の定、『実践理性批判』は読むのをやめた。
2月8日あたりから大貫隆『イエスという経験』の再読をはじめる。好きな本なので、自然と毎日読んでいる。現在も読書継続中。使徒たちがイエスの死後、「あれってそういうことだったのかー!」と気づくところが好きなので、早くその部分を読みたい。 『ひきこもりの手記』を手書きメモしながら再読している。初読のときは没入して読んだが、今回はゆっくり読んでいる。 『存在と時間』のAuslegungまわりを再読。その関係で道具のところも読み直した。数日ほど。 『根拠の本質について』を1ヶ月ちかく欠かさず毎日訳していたが、それを2月5日にやめた。やれないことはないが、時間の不足を感じるようになり、他にやりたいことが出てきて、優先度が下がった。この翻訳作業は、いつでも再開できはするので、いずれまた再開するかもしれない。
ローティの『哲学の脱構築』は、やはり途中で読むのをやめた。嫌になったわけではなく、他の本に注意が向いたからだ。たとえば、新しく購入した『経験論と心の哲学』に気を取られた。なお、この本の序文もローティが書いている。この本は、今は手引きを少しずつ読んでいる。 ひとつ大きいのは、フッサールの『デカルト的省察』を読了したことだが、正直、手応えはなかった。特に第五省察は、読むのが苦痛ですらあった。 それ哲ラジオの禅のシリーズを聴いた後、『臨済録』をちらっと読んでみたが、すぐにやめた。
その他
暖房は別に壊れてなかった。
コテンラジオは障害の歴史のシリーズを聴く。これまでのシリーズのなかでも好きな方に入る。ヘラルボニーのグッズがカッコいいのでほしいと思っている。
稀にだらだらTwitterを見た。Twitterはあまり好きではない。
外食は、ケンタッキーに何度か行った。チーズにおぼれるフィレバーガーを食べたりした。
新しいラーメン屋を開拓。車も停められないし並ばなければならないが、美味しいところだった。
Duolingoで中国語のコースもやりはじめた。目的はないのだが、外国語学習は気が紛れるので。