読書会VC議事録20220924
主催:ばる
文脈
いろいろな方式を試したい
読書係を基本固定(事務・裏方系)のようにする事で多種多様なやり方を試せる
それを読書会VCなどでやるだけでそこが盛り上がる
読書会研究会読書会
メタ読書会
こんなニュースも
読書猿『独学大全』
中島義道『怒る技術』
世界の名著読書会したいですねー
骨丸時代の、聖書の読書会
常連一丸となって参加していた
→住民が演出していく案。
意識づけ
初期のブーストと同じレベル感を求めるのはムズいと思うんよね 自然になった状態に人力で近づけるとめちゃくちゃエネルギーいる
Twitterの効果
Twitterでの宣伝も思ったより人来るし大事ですね
興味が分散されるのもわるくない
内容への興味よりは楽しみ方(たてつけ)かな〜とはおもう
「SFの大家の、古典的名作」は読む気しないんですけど、「リック×イジドアかイジドア×リックか」は俄然読む気出る
アープラには俗っぽさが足りないのでこういうアプローチいいと思います
読んだ感じ俄然受けはイジドアだ
人間失格読書会やった時「竹一初恋説」が出たのめっちゃ盛り上がったので振り幅は大きいほど良いですね……
全体の興味より一人でもめっちゃ盛り上がってる様を見た方が周りも気になるパワーでかいとおもった
各人がオモロイ(ヘンな)読み方してそれを共有するとおもろそう
そして周りがそれに乗るともっとよい
本の選び方も重要
アンケートでいちばんおおくなったものにする場合、一度だけVCして、どのような読書会にするか、目次だけ読んで問いを考えてみる →内容を想像して問いを立てる
面白い問いが立てられたら盛り上がるのでは?
それおもろそうっすね 目次見て「この章、ぜったい友達いないやつの思想書いてある」とか好き勝手言いたい(?)
読書会に選ばれた本を読もうか(参加しようか)迷っている人に対しても良いアプローチになるかも
目次読むだけでもいい本はたまにある
あー、買わなくても初回VC入れるのは良い
敷居低めの読書会はいいよね
テキストとVC
VCで集まるとガっと一体感が出る
形だけでもやらせにする? たぶん……読まないことあるけど……
住人参加推奨ということでサクラしていただく
ディストピア世界観じゃん
読まないと住人追放ですか!?!?!?
絶交だからね!
目からハイライト消えてそう
?「おめぇ、読書会降りたな!? 住人やめろオラァッ!」
そういうCLAVIS王もまたよきですが…(?)
現に人が集まっている
人がいると人が集まる(ロール持ちがいたら人が集まる)
住人の一体感みたいなのは管理運営的にも大事なので住人参加推奨というのは真面目にイイと思う
住人に強制があるのは好ましくないと思います。もしもやるのであれば、しまんさんがおっしゃっていたようにイベントとするのがよいと思います
2022/9/25久住哲.icon追記:
ここでの「強制」は以下の2つを意味する:
1. 読書会に参加しなければ住人ではなくなる(非現実的)
2. 読書会に参加しなければ責めを負う(規範的)
補足:ここでの「責め」は具体的なペナルティではなく、義務を帯びた立場に立たされることを意味する。実際に義務に背いた感覚を覚えるかどうかに関わらず、建前上、責められても仕方がない立場に置かれることを意味する。
「好ましくない」ことの理由:
住人という括りが元々読書会用の括りではないので、そこに読書会限定的な義務が発生すると規範的ズレが生じる。すなわち、広い括りに狭い義務を適用するとズレが生じる。ズレた規範的身分になると人の納得感がなくなり、やる気もなくなる。ゆえに。 なぜ「イベントにする」のがいいかの理由:
事前補足:「イベント」という表現は前の発言を受けたものであり、より自分の意図に合った表現を使うならば、「企画化」ないし「委員会化」となる。
本題:イベントにするとは、ここでは、住人のうちからコンセプトの下に招集するということを意味する。そのコンセプトとは〈住人が読書会に参加する〉というものである。このとき、住人の外延が問題となる。すなわち、住人とは誰かということだ。これを〈住人ロールを持つ人〉と定義したならば、上述の強制の2に該当するので好ましくない。そこで、このコンセプトでいうところの〈住人〉を再定義する必要がある。すなわち、〈住人のうちでその読書会ないし今後の読書会にコミットしつづけることにコミットする人たち〉を、上のコンセプトでいうところの〈住人〉として再定義する必要がある。実質的には上のコンセプトは次のように書き換えられる:〈住人内の読書会委員会が必ず参加する〉。これにより規範のズレがなくなる。住人→読書会参加という流れであると、広い括り→狭い義務というズレがある。(注:仮に管理人がはじめから〈読書会参加〉という条件で住人を選ぶいわば〈読書会王〉である場合、このズレは生じない。)しかし、読書会委員会→読書会参加という流れであると、狭い括り→狭い義務となり、規範的広さが適合する。そうなると、各自がコミットメントを撤回しない限り全員が納得して率先して読書会に参加することとなる。これが「イベントにする」の意味であり、より正確に言うと「委員会化」である。こうなった場合、これが〈サクラ〉であることはありえない。というのも、全員が事前にコミットメントを表明しており、これは彼らのやる気そのものであるからだ。もちろん、様々な事情でそのやる気が喪失した場合、……期間についての契約がないならば……任意のタイミングでのコミットメント撤回がありえる。そうした場合、規範的括りがズレている場合、同時に住人を辞める〈べき〉だということになる。実際に他人ないし自分がそう思うかどうかはともかく、そのような建前上の構造となる。しかし、あらかじめ規範的身分を狭くとっていた場合、〈住人継続だが読書会委員会を抜ける〉といった対応が可能である。さて、もしもこの考えを実行に移すならば、まず〈読書会に強くコミットしたい人〉を集める必要がある。ちなみに久住哲.icon的には招集先を住人に限定する必然性はないと思う(常連でもいい)。なお、これは、今回のVCで話されていた〈事務方に徹する読書係〉とは別物である。ここで〈サクラ〉という観点が出てくる。すなわち、読書会告知前に読書会に参加することを内密に打ち合わせて決めておくことはサクラ的ではないかという論点がありえるからだ。しかし、上に述べたようにそれはどちらかというと「委員会」的なものであり、彼らは実はコミットメント共有者たちだということになる。たしかに彼らは事前に〈どうすべきか〉を決めておいており、その場に臨んでの責任ある自己決定を放棄しているようにみえる、すなわち、その場に臨んで無条件的に特定の振る舞いをするよう事前に示し合わせているように見える。サクラの場合、この〈無条件性=欠けたもの〉を補うものとして別な条件(報酬)がある。しかし、それは可能な見かけにすぎない。ここでいう委員会というのは、事前に宣言したコミットメントを優先して自己の振る舞い方を変えていくことを決めた人々であり、これは中長期的行為へのコミットを意味する。すなわち、その場に臨んでどうこうするという短期的行為にそのつどコミットするのではなく、長いスパンにおいて〈読書会参加〉という企画に参加する者たちであるのだ。そして、この企画=コンセプトが複数人によって共有されるので、彼らは「コミットメント共有者」だということになる。これはその場での判断停止という意味での責任放棄ではなく、長期的責任の引き受けである。当然そこには長期的義務が生じる。それを無報酬でやろうとした場合には、各自の納得感ややる気が重要になる。事前招集=委員会化が重要であるのはそのためである。 サーバー全体のポテンシャル
常連・住人諭
しゃーない
新しい読書係の運営方法・読書会の形式
固定の主催者を作らずやるっていう
それぞれのペースでできる、読みを主催者にあわせないですむ
住人が先にやり(雛形を見せる)ことで自主的に
(最初のフック)投げっぱなし(空の状態)から始めてその状態から改善点を見つけるという感じだった
ただそれだどふんわりしすぎているので住人が先にやり(雛形を見せる)と周りもやりやすいんやないか?
いろんなやり方がある
なので読書会研究会を作ろうと思っている
楽しければみんな参加するのでは?
読書係なりっぱなしの利点は、〈ユーザーの自律性を高めていく〉という長期的なコンセプトを維持していけることだが、それと同時に、そのコンセプトを共有している人が多く必要であり、その担い手に住人がなるというのであればわかる。そうであるならば、最初の一手は、住人専用の管理運営室で読書会の新コンセプトを共有すればいい。そのためには、新コンセプトをまとめたドキュメントを管理運営室に投稿する(そしてピン留めしておけば)いいということになる。
しゅくだい
どういう読書会にしたいのかおのおのかんがえる