📖『Une canne à pêche pour mon grand-père』Gao Xingjian
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早速1ページ目からつまづいてる。
Mauserという銃を調べてみたところ弾が一列に並ぶタイプのものでどのあたりが釣竿ぽいんだろう?という疑問が。(リボルバーなら回転部分がリールに似ているけれど)
これはこの銃の他の特徴や当時どういう存在だったかを知ってはじめて分かる描写なのかな?
p56のおじいさんの釣り竿とタバコの話、一文が長くて難しそうだと思ったけれど落ち着いて読んだらそんなことはなかった。
私もタバコを自分で巻いて吸っていて、たまに紙がなくなるとそのへんの新聞紙とかで巻いていたので(とはいえ私はフィルターは必ず付けていたけれど)おじいさんの「市販のタバコは味が薄い」というのはちょっと共感できる。
p59、冬の終わりに飢えた狼が動物どころか羊飼いや村の女の子を襲ってしまった、ドイツの銃があれば防げたのに。というところを、村の人たちが冬の終わりには飢えに苦しんで羊飼いや村の女の子を食べてしまった。ドイツの銃があれば他の獲物を穫れてそんな惨劇は防げたのに、と言っているのかと思ってしまった。読み違いがすぎる。
文法が難しくない代わりに一文がとても長い、「〜で、〜で、それで〜で、そしたら〜で、〜のところを〜で、」というような思い出しながら区切りなく話しているかんじ。
物語を見失うのは
誰が主語の話なのか見失ったまま読み進めてしまう時
物語の中の時間の前後がわからなくなる(半過去と大過去などを無視して「だいたい昔っぽい」と読んでいるから)
本当に起きたことなのか、そうじゃないことなのかがぱっと判別できない(条件法に馴染んでないから)
釣り竿を持ったおじいさんの姿への追憶がだんだん主人公のかつて住んだ町、時代へのノスタルジーに移り変わってゆく。
相変わらずひとつの文章が長くて短い文章が句点によってひとつながりになっているので、切迫感のあるたたみかけるような語りに感じる。
屋根に立っているテレビのアンテナが吹きさらされ裸になった森のように侘しく、家までの道すら見つけられない、というような描写はイメージをかきたてる。
ピリオドまでの文章がとても長いけれど、移り変わってゆく思い出をなぞるように一緒に移動していけば読みやすいことが少しずつ分かってきた。語り手の視点が突然思い出の中のある景色にフォーカスされたり、それが手触りの描写に移り変わっていったりして、読む私たちはその中に素直に入ってゆけばいい。
とはいえ、もしかしてこの文章を読み込むには結構高度なレベルのフランス語力を求められるのかもしれない…。
こちらの本、見かけの文章が簡単そうで選んだのだけれどもしかしたら予想したよりうんと読み解くのが難しい内容だったかもしれない。中国の文化に疎いということも理由のひとつだけど。
でも知らないことを読み飛ばさずに読み、何度も文章を辿ることでその景色が濃く刻まれる体験は語学初心者だからこそ通れる道で、その中でGao Xingjianの文章を味わうことができて良かったと思う。
足し算が出てくるあたり、それから詩の登場人物の描写のあたり、ちょっと難しくて分からなかった。いつか読み返したらわかるかも知れない。
でも考えたら、私は全然中国語が読めないのに、フランス語を介して中国の作家の作品が読めるのだ。すごくゆっくりでも、そんなこと問題じゃない。
よくあることだけれど、全く違う物語を読んでいるのに同じ景色や同じテーマが出てきたりする。
今回は砂に埋められるイメージ。埋葬のイメージ。町が墓場になるイメージ。
急に西アジアの失われた文明、楼蘭が登場する。埋められた故郷、湖から砂漠へと漂いだし、ドイツとアルゼンチンの試合を見ながら楼蘭を想起し、魚を追いかけるうちに砂に手を埋め、いつのまにか魚は乾き、そのひれで手を怪我する。イメージがイメージを、追憶が追憶を引き取って、景色が重なってゆく。
リミットが近い!ベケットあたりの不条理劇やジョイスにも影響を受けているであろう筆致。フリーライティングのような絶えずうつろう思考の流れ。思い出の中のある対象がクローズアップされ別のイメージに引き取られ、またそのイメージが別のイメージに変身してゆき…。そういえばベケットをちゃんと読んだことがない。(そんなことをいったらジョイスもボリス・ヴィアンもちゃんと読んだことはないのだけど)これだけ多くのオマージュ作品があるにもかかわらず、演劇のほうも観たことがない。 読了。いくつかのイメージを同時にお手玉のように進行していたが、最後にすっとひとつの点に収束して主人公だけが残る。故郷へ時間を遡り、家を探し回り、おじいさんと釣りをした沼に行き、軍人に睨まれて俯いているおじいさんを見に行き、けれど最後の瞬間には「わたし」に画面がすっと戻ってきて、わたしはどこにも行かず、これから普通の一日が始まる。
↑読了したのはこのタイトル短編だけだけど