2026-04-18
映画🎥『Silent friend』を見に。
映画館付近がかなり雑然としていたので駅まで友人を迎えに行く。アフリカ系の人は昼間でも夜でも道にいる(何をしているかはわからない。話したり、タバコを吸ったり、何かを食べたり、何もしていない人もいる)。習慣なのかもしれないし何か他の理由があるのかもしれない。
商店街はそんな風にして人が溢れかえっていて、カフェもレストランも繁盛している。熱気があっていい。私が住んでいるところはとても静かで淋しいので少しでもこういう華やいだ場所があればいいのになと思う。
映画館に入るなりひどく眠たくなってしまった。前半瞬きをするたびに寝てしまって話が入ってこなかったが後半になってやっと見る準備が整った。銀杏の木(銀杏は古代から生き残っている植物のひとつで、現在は1種類しかいない)がその生涯のうちに見てきたある3人が植物と人間との間にある絆のようなものに惹かれる姿が描かれている。
面白かったけれど淡々としているわりに画面の切り替えも多くて、ひとつひとつの画としての見応えがもうちょっと欲しかったところ。全体としての濃淡が薄くて間延びしたものに感じた。もうちょっと良い編集をしたら締まるんじゃないのか、などと考えながら見た。(いや、前半寝てたくせにね)
トニー・レオンは落ち着いた年輪を重ねた研究者の中に少年みたいな愛嬌があって、いい役者だなと思った。派手なキャラクター付けも、芝居をしている匂いもしない。
サウダージュという感覚について話す。
この感覚のある作品、人について話しながら、サウダージュとはいったいどういうことで、日本語やフランス語で重なる言葉があるとしたらなんなのか。
📖『Une canne à pêche pour mon grand-père』Gao Xingjian#69e3b2f90000000000e794dd
p56のおじいさんの釣り竿とタバコの話、一文が長くて難しそうだと思ったけれど落ち着いて読んだらそんなことはなかった。
私もタバコを自分で巻いて吸っていて、たまに紙がなくなるとそのへんの新聞紙とかで巻いていたので(とはいえ私はフィルターは必ず付けていたけれど)おじいさんの「市販のタバコは味が薄い」というのはちょっと共感できる。
p59、冬の終わりに飢えた狼が動物どころか羊飼いや村の女の子を襲ってしまった、ドイツの銃があれば防げたのに。というところを、村の人たちが冬の終わりには飢えに苦しんで羊飼いや村の女の子を食べてしまった。ドイツの銃があれば他の獲物を穫れてそんな惨劇は防げたのに、と言っているのかと思ってしまった。読み違いがすぎる。
以前グカ・ハンの『砂漠が街に入りこんだ日 (Le jour où le désert est entré dans la ville)』を読んだときにもあの短編集をひと続きの物語だと勘違いして読んでしまい、主人公が過去を思い出したりや現実と夢との境を行き来しながら、成長過程の性別もゆらぎも表された物語なのだと思い込んでいたところ、実はひとつの物語の章だと思っていたものがそれぞれの主人公のいる短編だったということが判明し…ここまでくるともう誤読というよりはパラレルワールドを見てしまったような気がして、それはそれで得難い読書体験だった。
文法が難しくない代わりに一文がとても長い、「〜で、〜で、それで〜で、そしたら〜で、〜のところを〜で、」というような思い出しながら区切りなく話しているかんじ。
物語を見失うのは
誰が主語の話なのか見失ったまま読み進めてしまう時
物語の中の時間の前後がわからなくなる(半過去と大過去などを無視して「だいたい昔っぽい」と読んでいるから)
本当に起きたことなのか、そうじゃないことなのかがぱっと判別できない(条件法に馴染んでないから)
#04-18