📖『すべての見えない光』アンソニー・ドーア/藤井光 訳(ハヤカワepi文庫)
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Netflixのドラマは盲目の少女に関する描写が多めだったように感じたが原作は少年についての描写もそれと同じくらいある。戦争の中で自分の命(というよりも自分が感じている使命なのかもしれない)や妹を守るためにナチスに加担せざるを得なくなった過程やその心情が描かれる。
脳は頭蓋骨の内部で透明な液体のなかに浮いていて、光が当たることはない。それでも、脳が作り上げる世界は光に満ちている。色や動きにあふれている。それでは、ひとつたりとも光のきらめきを見ることなく生きている脳が、どうやって光に満ちた世界を私たちに見せてくれるのかな?
(少女)
ほどなくして、ヴェルナーの頭のなかに、自分の住む地区にあるほぼすべてのラジオの位置を記した地図ができあがる。
(少年は町中のラジオを直して回ったので)
この話の中では弟が原稿を書き、兄が話していた。その兄が亡くなったあとは誰かが聞いてくれたらというその「誰か」はむしろ、もういない兄であったかもしれないと弟は話す。
私はまた再び、誰かが誰かに届くかもしれないと考えて発した声を、そのチャンネルに合わせなければ聞くことのできないラジオみたいな、そんな発信の仕方はできないものかと思いを馳せる。日常の何気ないことを書くのが日記でもあってそれを好きなのだけれど、こんなふうにロマンと夢のあること、特別な世界を届けたいという気持ちもある。
大した前に進むことのできない現状にお互いを引き止めているのでは夢がない。何かを届けようとする行為はもっと密やかで切実なものであってもいい。
57%まで。賢くて美しいものをたくさん見たかった友達が軍隊生活のなかで潰されてしまう部分が辛くて、ちょっと今日はここまで。戦争のようなひどく大きく歪んだものの中でどうやって自分を貫いたらいいんだろう。
サン・マロとディナンは訪れたことがあるのであの城壁の町のイメージを頭で再現することができる。戦争ですっかり崩れた市街が今のように賑わいを取り戻すには何年もかかっただろうな。今度は海に入れる季節にいきたい。
73%まで。父やエティエンヌおじさん、おばさんに守られているマリー=ロールと、通信兵としての才能を買われてまだ幼いのに軍隊に招集され前線に駆り出されたヴェルナー。目が見えず、父は帰ってこず、町を爆撃されてしかも家のなかにどうやらドイツ兵が忍び込んでいそうだと怯えるマリー=ロールと、自分が発見した無線を手がかりに敵兵やときには罪のない人までの命を奪っているという自覚がありつつも感覚を麻痺させてゆくヴェルナー。Netflixのドラマはどちらかといえばマリー=ロールに焦点を当てて幾分ファンタジックに描かれていた。もっとヴェルナーの、ナチス・ドイツの兵として組み込まれた人間側からの歪みや閉塞感も描いてほしかったな。あれはあれで美しくはあったけれど。
読了。Netflixのドラマはどちらかといえば盲目の少女を中心にいくぶんロマンティックな感じに描かれていた。小説のほうではむしろドイツ軍に招聘された少年の物語の方に視線が向いた。人生が思わぬところで断ち切られたり、または断ち切る立場となったり、普段なら繋がらない人生がつながったり断ち切られるべきでない縁が永遠に分断されたり……。戦争の物語はいつでも胸が裂かれる思いがする。(同時にやはり今まさに行われている虐殺について考えてしまう)
ラジオや手紙で繋がっていた時代はすれ違いのもどかしさや悲しみとだからこそ生まれる物語がある。
以下ネタバレありです。
少年があのまま生きて少女ともう少しだけでも交流してくれる未来があったらいいのにと願いながら読んだが、あっさりと年月が流れ、その途端に読者の中でも少年が過去のことになる。過去の戦争で死んだ人のひとりとしては決して描かれていないのに、急に一歩引いたところから見ることになる。時間が経つことで介入できないことがあると知っているからなのか、現実にもこれはもう終わったことであって、歴史であって、いままさに目の前で起きている痛みではないことに立ち返るからなのか。数年後の遺族は、その数年間をその痛みとともに過ごしたわけで、読者のわたしはそこを簡単に飛び越えてしまった。飛び越えさせられてしまった。だからすっと、同じ痛みを共有しているなんていう幻想から離れるのかもしれない。
最後、結局家の模型の中に鍵が入っていたが、一瞬どういうことかわからなかった。でも読み返してみて、少年は宝石よりも少女にもらった鍵の方を大事にとっておいたのだということがわかった。そしてその後の、あの巻き貝の洞窟に沈んでいる宝石の描写。
フレデリックのことといい、出来過ぎだ。ロマンティックすぎる。そのあたりでちょっと私のなかで評価を高くはつけづらいけれど、それでもこういうおとぎ話も嫌いではない。この作者の他の作品も読みたい。