2025-05-19
昨日は疲れていたみたいでどうも夕ご飯を作る元気がなく、ご飯作りたくない…と弱々しく訴えたらSがご飯を作ってくれて、疲れてるのは向こうも同じなのに私は…と自己嫌悪とたまにはご飯作りをさぼってもいいじゃないかという気持ちが混ざり合ってそのままぐずぐすベッドに転がっていたらいつの間にかぐーぐー寝てしまった。どういうこった。
夜中に胃が気持ち悪くて起きたので、ああ、体調が悪かったのか…とすこしほっとした。Sは私がむぐむぐいっているのに気づいて背中をごしごししてくれたら、ぐずぐずしてた気持ちも体も元気になった。赤ん坊か。
朝起きたらおかずが3品、味噌汁と炊き立てご飯ができてた。
今日は久しぶりの休みなので本を読めそう。
『すべての見えない光』を読み始めてしまったので他の本は少し休憩。Netflixでドラマの方を見ていたけど、今のところ盲目の少女よりむしろラジオの少年の物語に惹かれてもいる。ドラマでも少年の方にももう少し光が当たっていてもよかった。
📖『すべての見えない光』アンソニー・ドーア/藤井光 訳(ハヤカワepi文庫)#682b18c70000000000a6d3ee
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Tak.さんのnoteを改めて読んだ。
https://note.com/takwordpiece/n/n175b903b25f1?sub_rt=share_pw
情熱が続かない/戻ってくることもあるのは当たり前のことだ、と書かれていて、自分ではそのように思っていたけれど改めて人から、ましてや長いこと有機的なタスクについて考えている方から聞くとなんだか少しほっともする。
そう、私は継続は得意ではないけれど、好きになったものを簡単には忘れないので、また情熱は波のように戻ってくる。もちろんある特定のことについてはこれでは話にならないこともあるけれど(日々の稽古とか、途切らせると人に迷惑がかかる仕事とか)、できなくなっても必要以上にがっかりしなくていい。必要なことならまた浮上してくる。
…いや、当たり前か。問題にしているのはやってもやらなくても良いこと(私の場合で言えば読書とか日記を書くとか)ではなくてもう少し継続できないと困ることについてなのだろうから…
でも継続できない時があってもそのことを受け入れてもいいかと思えるのは、私自身が少なくとも踊りのことについてだけは情熱に任せるのではないかたちで継続してこれているからなのかもしれない。
#05-19