「かな」
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一作だけ漢字の題名じゃない
円城塔がなにも仕込まないわけがないよね
「ようやくこどものこえとすがたをてにいれることのできたわたしはつぎこそは、じぶんのことばにそだとうとおもう。」
この一文で、まさかの落涙
円城塔に泣かされることになるとは思わなかった
『土佐日記』の語り手は娘を土佐で失った女
「この家にて生まれし女児のもろともに帰らねば、いかがは悲しき。」
幼くして死んだ娘はふたたび肉体を得て、語るべき言葉を見つけた
「仮名序」と「真名序」が『古今和歌集』で並置されたことによって、国文学は漢文学に並んだ
紀貫之こそが、国文学の創始者
かなSF
漢字、漢漢字、漢漢漢字、平仮名、片仮名、平片仮名、片平仮名、片片仮名……
“Near Side”「Tome」で消失した文字群が“Far Side”「Japanese」に出現している?
さらに厳密には、「誤字」で生き延びた“をむなもじ”であり、本文という“こえ”と“すがた”を手に入れた 「わたしはようやくこれまで自分がなにをかこうとしてきたのかがわかりつつある。」
紀貫之から数えて千年あまり、ついに円城塔は自分の書くべきことを知った
円城塔の書くものは、国文学千年の歴史の上に立つ新しいもの
しかしながら、千年も放っておかれた“をむなもじ”の行うことが現代の日本語にいい影響を及ぼすとは思えない