所有権には限界がある
上記の言葉は所有権について語られるときによく使用される言葉。自分的にこの言葉だけだからこそ誤解が生まれているように感じる。
この誤解というのは労働によって所有権を得たものは恣意的に実体をなんでもできる権利のように使用されていると思ったから。少なくとも僕自身は所有権に対してそのように受け取っている人がいると感じている。 統治二論は前編と後編が分かれており正直言って前編は絶望的に読みづらい。
いつまでやるんだと思ったら前編すべて使ってた
つまり後編からしか所有権について語られていない。ある意味では後編から読めばいいとも正直思うYudai.icon ただ一つ重要だと思うのが前編全てを使って国王権力や父親の権力を批判しているロックが所有権について語っていることだと思う。 ロックは所有権について、
「人間に世界を共有物として与えた神は、また、彼らに、世界を生活の最大の利益と便宜となるように利用するための理性も与えた。」 と言っている。
これは労働により所有権が生じる前に語られている一文。
確かにサー・ロバート・フィルマーが語っている「君主以外は所有権を持つことができない」ってことに対しての批判でもあるんだけど、ロックは共有物って言葉を必ず使っている。 この共有物から私的な所有権になるって考えている
この前提が抜けて語られることが一つ問題なのではないかと思うYudai.icon
共有物ではなく、モノだけの場合は労働によって恣意的に使っていいように感じるがロックは共有物と語っている
余談だけど恣意的って言葉をなぜか所有権について語っているパートで使用していないってのが僕的には卑怯な気がしてしまうYudai.icon 他のパートでは結構出てきていたんよね
土地が専有される以前には、できるだけ多くの野生の果実を採集し、可能な限り多くの獣を殺し、捕獲し、飼いならした人間、つまり、そのようにして自然の自生的な産物のどれかに対して労苦を払い、それらに何らかの労働を投下することによって、自然がそれらを置いた状態にいずれかの方法によって変更を加えた人は、それを通して、その産物に対する所有権を獲得した。しかし、それらが、彼が所有している間に適切に使用されることなく朽ち果ててしまったとすれば、つまり、彼が消費する前に果実が腐ったり、鹿の肉が腐敗してしまったりした場合には、彼は、万人に共通の自然法に背いたことになり、処罰を免れなかった。すなわち、彼は、隣人の分け前を侵害したのである。というのは、彼は、自分が使用するために必要であったもの以上には、そして、それらが彼の生活の便益に役立ちえた以上には、何の権利をももっていなかったからである。
神によって共有物と一緒に私たちに与えた理性に繋がるのだと思う。 もし彼が、自分が所有している間に無駄に朽ち果てないように、その一部を他人に譲ったならば、彼はその分をも利用したことになる。また、もしも彼が、一週間もすれば腐ってしまうプラムを、優に一年間は食べられる木の実と交換したならば、彼は何の権利侵害も犯さなかったことになる。
僕はこの文章を読んで前提は共有物として考えているからこそ出てきたと思うYudai.icon
ロックは自由についても述べている。自然状態についても述べている。
それらについて語るときにも必ず個人にのみ焦点を当てて語っているのではなく社会、統治、他者が必ず出てくる
統治の下における人間の自由とは、その社会におけるすべての人間に共通で、そこにおいて樹立された立法権力が制定した恒常的な規則に従って生きることであり、その規則が何も定めていない場合には、あらゆることがらにおいて自分自身の意志に従い、恒常性を欠き、不確かで、測り難い他人の恣意的な意志には従属しない自由のことである。 僕的にこういう場合後者のみが切り取られて使用されているんじゃないかと思うYudai.icon
ロックは確かに自由平等について語っているけど、共同体、社会は前提として語っている これってかなり重要なことだと僕は思う
少し話が脱線したが所有権がなぜ必要以上持てるようになったのかも語られていた
自分が必要とするもの以上のものをもちたいという人間の欲望が、人間生活にとっての有用性ということだけにもとづいていたもの本来の価値を変え、また、消耗したり腐敗したりせずに永続する小さな黄色の金属片が、大きな肉の塊や山のような穀物と同じ価値があると人々が合意する以前の...(省略)
人間の欲望
つまりロックが提唱している所有権とは異なる使われ方がしているって考えているってことYudai.icon
僕たちは所有権を正しく使えていない
そして思い浮かんだのがクリプトって言葉だった
僕は公共財に興味を持ち僕自身も作っているYudai.icon 公共財に対して語られるときは利益の分配についても表裏一体として語られている というよりは持続可能な仕組みが求められていると言った方が正しいのかもしれない
僕たちは暗号技術により再分配が可能になってきた
というより今までの仕組みでは理性を使うことが難しかったのではないかと思う 労働を貨幣と交換し貯蓄してきたが、正しく使用することは出来なかった
正しい場所に届いているのか、正しく使われるのかなど
しかし分散型技術、暗号技術は検証することが可能であり、それは誰でも行うことができる これにより腐敗しない価値を正しい場所に移転することが可能になった
暗号って偉大だYudai.icon
僕たちはある意味ではロックが提唱した所有権を目指しているともいえるのかもしれないねYudai.icon
そういう意味ではブロックチェーンの文脈で所有権やOwnershipって言葉を使っているのは間違ってはいないか
それと個人的に興味があるのは人間は理性を使う事が出来るようになった世界で正しく理性を使えるのかどうか
NPO法人に属していたから現在の仕組みに対して疑問を持って寄付などをしないって言葉をよく聞いていたからこそ気になるねYudai.icon
以前より思考放棄が出来てきたYudai.icon