日常生活を〈現場〉にするために
日本生活学会フィールドワークシリーズ003『さまざまな方法』(日本生活学会 http://lifology.jp/ 、2017年)へ寄稿した原稿に基づき、図版位置修正およびリンク加筆してアップ。 1.少し長めの前口上
_今回の依頼を受けて、正直なところ、私は悩みました。近年、学生に一読を勧めたくなるような、フィールドワークの入門書めいた本は、枚挙に暇がありません。それらの本から私自身も、数多くのことを学んでいます。翻って、さて私は授業やゼミでフィールドワークを教えてきただろうか? と急に不安になりました。フィールドワーク入門書を執筆される先生方は、そのほとんどが、大学で「フィールドワーク」などの科目名を含む、体系的カリキュラムに沿った専門教育を担われておられる方々です。それに引き換え私自身は、専門教育としてフィールドワークを教えたことは、ありません。そもそも、私は自らの専門領域である(と自負している)民俗学/地理学を、専門教育として体系的には教えていないのです。
_その一方で、2016年3月にはコイン精米所について(第2回三学会共同シンポジウム)コイン精米所を巡る考察、2016年5月には家型墓石について(第43回研究発表大会)家型墓石へのアプローチの再検討、私が主宰する日常意匠研究室(ものつくり大学・建設学科)で取り組んだ研究成果の一端を、日本生活学会で紹介してきました。遡ると2007年3月から、日本民俗学会あるいは京都民俗学会の卒論発表会で、指導した学生に発表させてきました(浩坊拾遺参照。2016年3月は欠席しましたが)。学外の先生方からお褒めの言葉として「地道なフィールドワークに基づいてますね」を頂戴するのですが、たいてい学生当人はキョトンとしています。それもそのはずで、 今回の趣旨である「生活現象を観測するフィールドワークの現在形を、生活学の基礎としてまとめる」を踏まえると、私のゼミ指導では「生活現象を観測する」手法を、極力「フィールドワーク」と呼ばないことが、特徴であるかと思います。あくまで日常生活の延長上として、フィールドワークのような成果を上げることを目指した指導を、ここしばらく研究室で重ねてきました。体系的専門教育カリキュラムとしてはフィールドワークを教えていないにも関わらず、研究室配属された学生を相手に、締切までにそれ相応の水準で卒業研究を仕上げさせることが、私自身に与えられた現在進行形の課題なのです。ですので、これから書くことは、大学で専門的に学ぶ立場よりもむしろ、これまで興味関心がなかったけれども、ひとまずフィールドワークもどきをしてみようかな、と思う人にとってこそヒントになるかもしれません。その意味では、一般市民に広く開かれた「フィールドワーク」の裾野(の端っこ)として、この小稿も「生活学の基礎」(の一部)と呼んで構わないだろうと判断しています。以下では、研究室に配属された学生にどのような指導を試みているか紹介し、依頼に応えたいと思います。 2.日常生活を〈現場〉にするために
_ものつくり大学は技能工芸学部のみの単科大学で、私が所属する建設学科では、3年次の夏休み直前に研究室配属が決まる学年暦です(この稿執筆の2017年現在)。私が主宰する日常意匠研究室には、ここしばらく毎年5名足らずが配属されます。この人数だと、学年別に集めれば、毎回全員の発言をうながすことができます。3年次の秋冬には、毎週あるいは隔週でゼミ室に集め、卒業したいのであればアルバイトよりもゼミなど大学関連を優先する、教員への報告は怠らない、などの基本的生活習慣を調律することに費やします。
_3年次のゼミでは、まず〈日常の報告化〉から始めます。学生からの報告に対し私が要求しているのは、〈現場〉で見聞してきたことを、その場に居合わせなかった者(たとえば教員である土居)にも分かるように説明してくれ、という極めて単純なことです。ちなみに、ものつくり大学で「現場」といえば無条件に「建設工事現場」を意味しますので、学生へ説明もせずに「現場を観察して来なさい」と指示したら、「道路工事でもよいですか?」と、かなり先回りされた応答を返されたことがありました。なのでゼミでは「現場」という単語に限らず、学生が蓄積してきた固定観念を、一つ一つ解きほぐすことから始める必要があります。
_ともあれ、学生自身が遭遇する日常的な〈現場〉について報告を受けるのですが、その際に根掘り葉掘り質問を重ねますと、すぐさま答えに窮します。そこで学生は、その場に居合わせているはずなのに何も分かっていない、という当たり前の大前提を学ぶことになります。きちんと〈現場〉の記録をとること、とはいえ〈現場〉によって状況は千差万別なのでそれぞれの〈現場〉に即した記録のとり方を工夫すべきこと、とった記録は早急に整理すること、その上で(単にググるだけでなく)信頼できる別の情報源でウラをとること等々、〈現場〉から学ぶ基礎と呼ぶべき諸々が骨身にしみたところで、たいていは「もう一度行ってきます」となります。ですので教員としては、〈現場〉を設定する前提として、何度でも尋ねる/訪ねることができる相手先をみつけるとよいよ、と誘導することが重要となります。そのうち〈日常の報告化〉から〈報告の日常化〉へと繋がれば、しめたものです。報告する前提で日常生活を暮らしたならば、日常生活そのものが〈現場〉として立ち上がることになります。とはいえ、日常生活の何を〈現場〉として立ち上がらせるべきかを、学生自身にのみ担わせるのは酷というものです。ですから教員として、3年次の秋冬段階で把握すべきは、それぞれの学生の癖をつかむことになるでしょうか。
_たとえば教員への報告後に、「もう一度行ってきます」と宣言して、次回にきちんと行ってきた報告ができる学生に対しては、少々無茶振りをしてでも、研究テーマとしてまとまりそうなネタへと、徐々にアプローチさせます。最初にコイン精米所をテーマにした学生などは、ゼミで最初に報告したのは、自身の趣味であるメタル・フェスの様子でした。メタル・フェスには、黒っぽい服(Tシャツ)を着た人だらけで、物販の看板なども黒に赤や黄色(金色)に偏っており、他の色彩がほぼ確認できない……の報告は、それはそれとして面白かったのですが、たまたまそのときにデス・メタルなどほぼ知らない学生もいたので、デス・メタルとハードロックの違いなどを報告者に説明させているうちに、そういえば、IKEAの商品名なのかそれともメタルバンド名なのかを当てるネタサイトがあったぞ、と「IKEA or Death」http://ikeaordeath.com を紹介したのです。そうしたら翌週には「IKEAに行って、その商品を実際に確認してきました」との報告がありました。ちょっとだけしか寄れませんでしたけど自動車で移動できたので、との報告を受けて、こいつはイケる! と内心ほくそ笑んだことを今でも思い出します。IKEAの次はニトリ、そしてジョイフル本田と、とりあえず行って来て報告する。そして可能な場所については撮ってくる。その写真を話題にして次に調べるべきネタを考える……この流れで、ジョイフル本田の駐車場を撮った写真を眺めつつ、そこに写り込んでいたコイン精米所に気付き、改めて(北関東には当たり前にそこにある)コイン精米所をきちんと調べようと、テーマ設定したのでした。 https://gyazo.com/3a8c13c332151af525f469c96b5f0ac4
図1.ジョイフル本田千代田店の駐車場(撮影・中澤宏希)。コイン精米所への注目はこの写真から始まった。
_あるいは、趣味などの世界にドップリはまっている筋金入りの学生に対しては、君がはまっているその世界こそ研究対象とすべき〈現場〉なのだ、と説得することから始めます。直近ですと、ローカルヒーロー団体の一員として、大学でもサークルを立ち上げ、FRPでヒーローのオリジナル・マスクを製作し、他団体のスーツアクターとして客演することもある、そんな学生がおりました。とはいえ、その学生自身の活動を紹介するだけでは、下手な自己紹介よりも質が悪いので、その世界で親しい他者を取材するよう誘導しました。具体的には、長年活動している他団体が保存していた30個以上になるマスクを調べさせてもらいました。いうなれば〈現場〉の一員に対し、その周辺の様子について、学術的な言語への翻訳を試みたわけです。この点、一般のフィールドワーク入門書では言及されないようなベクトルかと思います。いかに〈現場〉へ参入するかに腐心するのが、一般的なフィールドワーク教育の第一歩だと思われますが、しばしば私の教育現場では逆転現象が生じます。過去には、建築解体業・ライブハウス経営・山小屋経営・阿波おどりサークルなど、様々な〈現場〉ドップリの学生がおりました。このような学生たちは、根掘り葉掘り尋ねたら尋ねた分だけ答えるのですが、案外と、その学生当人にとっては当たり前すぎて言語化できないことも、よくあります。そのようなトレーニングを受けていないから当然なのですが、その場合は「君の役目は、君の業界とこちらの業界(=学界)とを通訳することだ」と指導します。こうなると、もう「指導」ではなく、あちら側のゲートキーパーに協力依頼する態度になります。
https://gyazo.com/23b0d03b3e896d5d420936f0ea75e82a
図2.TMCワイルドのマスク一覧(スケッチ・大川内麟太郎)。マスク製作者ならではの理解を踏まえたスケッチ。
3.むすびに
_以上、紹介してきた段取りは、微調整を繰り返しています。たとえば2016年度夏に研究室配属された学生とは、冬学期のゼミ課題図書として柳原望(2016)『かりん歩 1』KADOKAWAを指定し、この漫画経由で「フィールドワーク」を学んでいます。受信するアンテナさえ磨いておけば漫画からでも学べることを知るのは、日常生活そのものが〈現場〉として立ち上がる第一歩にも通じるかと考えています。翻って私にとっては、ゼミを含めた大学での活動そのものが、フィールドワークもどきで立ち向かわなければならなかった対象だったのでしょう。この「大学という〈現場〉のフィールドワーク」の成果を、いつかどこかできちんと報告したいものです。
/icons/hr.icon