コイン精米所を巡る考察
土居浩&日常意匠研究室(2016)「コイン精米所を巡る考察―そこへ足を運ぶわけ―」
2016年03月26日に開催された、第2回 三学会(日本民具学会・道具学会・日本生活学会)共同シンポジウムの、当日配布要旨。
茨城県の公式サイト上には「日本の米事情を一変させたコイン精米機/食卓を彩る精米システムは茨城が発祥の地」なるコンテンツがあり、コイン精米機が茨城県で考案・開発されたこと、最初に設置されたのが鹿島郡大野村(現・鹿嶋市)であること、第一号機は1978年(昭和53)に登場したこと、等々が紹介されている。このように、一般に「コイン精米機」で通用する路上の施設は、実際のところは機械が露呈されたまま設置されているわけではなく、主にプレハブの小屋に据えられた施設を丸ごと指示することが多いと判断される。そのため本発表では「コイン精米所」と呼び、まずはその概説と、成立経緯および背景を中心に考察する。たとえば、「コイン精米所」と一括しているが、当然ながらメーカにより違いがあり、中でも一番目につきやすいのは、看板の色合いを含めた外観であること。看板の印象が青色ならばイセキ製、明るい緑色ならばクボタ製、木造山小屋風であればオオモリ製、という具合にメーカそれぞれの特徴が顕著であること。しかしこの状況は、管見の限りでは、イセキ=井関農機が1983年(昭和58)に機械とプレハブ小屋との一体型コイン精米機を完成させ、その翌年からコイン精米機業界へ進出した以降の展開であること。等々のコイン精米所小史を紹介する予定である。
なお、仮に人間の身体を楽にする方向へと機械が変化することを「進化」と呼ぶとすれば、コイン精米所そのものの成立は、明らかに「進化」とは逆方向への変化である。なにしろコイン精米所とは、わざわざ足を運び、玄米あるいは籾を自ら精米する手間をかけて、白米(および糠)を持ち帰るための施設なのである。同時代には、米穀店による消費者宅への配達がありえたにもかかわらず。この疑問については、もう少し大きな歴史的文脈を検討することで、解決すると思われる。今回は、日本生活学会により編集された「二〇世紀の日本の暮らし」シリーズのひとつである『食の一〇〇年』(ドメス出版、2001年)に照らしつつ、その巻末「食の100年年表」には言及がないコイン精米所について、その位置付けを模索する試みでもある。
上掲要旨にある「茨城県の公式サイト上」のコンテンツへのリンクは、以下のとおり。
(上掲リンク先が消滅していたので、WaybackMachineでのアーカイブページへリンク)
https://gyazo.com/90a2a29a442ae92ddaf55ef6f3e37805
初期型コイン精米所の外観と注目ポイント(写真撮影:嶺征汰)
https://gyazo.com/936b6c77a727cbc5e2845fb391a917b0
埼玉県内における初期型コイン精米所一覧(図表作成:嶺征汰)
関連する卒業研究は、以下のとおり。
中澤宏希.コイン精米機の成立と普及についての基礎的研究.2015年3月卒業
嶺征汰.初期型コイン精米所についての基礎的研究.2016年3月卒業
山内裕介.東京都心部におけるコイン精米所の立地状況.2017年3月卒業
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