仮説と提案(文章産出)
書く活動が書けばいいだけの活動になってしまっているという問題をこのように捉えると、問題の原因は「指導者の不足」ということになるが、 “指導者を増やす”ことは非現実的であるし、問題の本質はそこにはない。(それを言い出せば、1対1の作文指導塾に行き着いてしまう)そうではなく、「書く活動における指導の目標」をズラせばこの問題を解決しうるのではないか。具体的には、「良い文章を書かせること」を目指すのではなく、「自分で文章をよくしていくことができるようになること」を目指せばいいのではないかと考える。「なにができたか」ではなく、「なにができるようになったか」を評価基準として指導をするという指導観の転換である。こうすると実際の指導場面では、有効な論理展開や表現技法を“教えてあげる”のではなく“自分で考えられる”ように指導することになる。その結果として子どもたちが自分の文章を自分で読み、論理構造を確かめ、展開を工夫し、表現技法を検索し…ということができれば、子どもたちが書く多様な文章を教師が一手に引き受ける必要はなくなり、個別指導に割かれる時間は大幅に削減できる。さらに一人ひとりがこのような事ができるということは、児童同士で作文を見合い、指導しあうということもできるようになる。このように「なにができたか」ではなく、「なにができるようになったか」を評価基準として指導をするという指導観の転換がなされれば最低限の字数を満たすことが目的になるような「書けばいいだけ」の活動はなくなるのではないか。書くことは「書けるようになるため」の過程に過ぎないからである。そして「書けるようになる」という技術的な目標を目指した結果として、いい文章が産出される。こういう構造を実現すれば、〇〇が調査で明らかにした『書くこと』への苦手意識を解決し、現在の学校教育で多く設定されている「書く活動」の中身を充実させられるのではないか。
ではそういった指導の転換を目指す時何が必要か。書く技術に限らず、何かができるようになるためには①その行為を成立させるための基本となる知識を得、②実際にそれを使ってみて、③その活動を振り返り自己評価するというステップを指導者からフィードバックを受けながら進行させることが必要となる。こう見た時今の学校教育では、①が薄いままに、②ばかりを求めている印象がある。つまり「文を書くこと」とは、はじめに何をして、次に何をして…といった、書くことのプロセスを明示的に子どもたちに紹介できていないのではないかと思える。(読書感想文の教材として埋めることで段階的に文章化できるような構成のワークシートはよく見るが、それを与えら得た子どもたちはワークシートの指示通りに情報を埋めて行くことにしか意識が向かず、その方略的なプロセスを学習することにはならない。)
そこで筆者は「①その行為を成立させるための基本となる知識」を補うために、「書くことを成立させるためのプロセス」を、「問いを設定し、その問いに関係する情報をいろいろな媒体から抜き出し、集まった情報同士をつなぎ合わせながら論理的に組み立て、他者に伝わるように展開や表現を工夫しながら整理する」という4過程とし、その頭文字を撮ってQNKSと命名した。下図。
本稿では書く活動において、書くことのプロセスとして定義したQNKSという概念を用いることで、書くための方略的知識を体験的、統合的に獲得させるような指導のあり方を提案する。