センスの哲学_付録:芸術と生活をつなぐワーク
目的
センスの哲学のワークを通して、生活と芸術をつなぐ
背景
方法
code:txt
【手順1】
自分にとって大事な作品を一つだけピックアップする。どんな影響を受けたかという意味の重要性よりも、なぜか自分の体に残っていて、そういえばあれがあったという類のものが良い。
【手順2】
作品について思いつくことを自動筆記のように箇条書きする。このとき、精神分析的な意味も込めて無意識から浮上してくるかどうかに任せる。これらもメモは当日まで残しておく。google docsなどを使って共有できるように。
【手順3】
リズムに注目して再度鑑賞する。おおざっぱにリズムを分析する。どういうふうに場面が切り替わるか。人物の動きや、物の配置がどうなっているか。色や音の組み合わせはどうなっているか。その後、作者の詳細について、また物語についてどのように構成を進めていくか調べる。また同時代の作品がどうだったのか、などを調べてみる。さらに、そこからどのような作品に関連があるのか、どのような影響関係があるのか、について歴史を遡って調べてみる。これらもメモに残して当日共有する。
==========結果==========
センスの哲学_手順1:自分にとって大事な作品
https://scrapbox.io/files/665bb81b00a319001cf3bf1e.png
選んだ作品:空の境界(からのきょうかい)
小説「空の境界(著者:奈須きのこ)」上下巻,2004年
特殊な目(魔眼)vs特殊能力者のバトルのを繰り返す、現代ファンタジーノベル。
メモ_手順1
自分にとって大事な作品ってなんだろう。漫画、小説、音楽、演劇、童話いろいろあるが
涼宮ハルヒの憂鬱はライトノベルにはまるきっかけ。ねむいねむいのねずみは童話、かいけつぞろり童話と漫画、ガロ系の童話で育つ、自分で買ったやつホイッスル(漫画)やおおきく振りかぶって(漫画)、アンダーグラウンド(映画)は大事な作品。空の境界は親父以外から紹介された。従兄弟のY太君が教えてくれた。涼宮ハルヒも空の境界の後。それきっかけで高校から編入してきたヤンキーみたいなI島君ともなかよくなった。ネガティブハッピーチェーンソーエッジも文学少女、レンタルマギカ、それの少し前が乙一。ちゃんと楽しんで読書するようになったきっかけは乙一。少し背伸びしていた。漫画でもいいのでは?うる星やつらやらんま1/2は漫画文化を楽しむきっかけかもしれない。音楽は?最初はJポップだけど、アースウインドファイアーとかも聞いてたけど。ムーンライダースとかカーネーションとかもかな。高校生のときはひぐらしの鳴く頃にとか。アニメは?らんま。九月病(シギサワカヤ)も自分で見つけた。演劇は?鈍獣かな?DVDで見たのだけど、作品見て鳥肌がたったのは初めてかも。
そもそも大事な作品ってなんだ?ご飯を食べるように、作品を享受してきたので、お米を大事に思うか?というと思わない。アクトオブキリング。長靴を履いた猫
漫才でもいいならごっつええ感じ(ダウンタウン・お笑い番組)
センスの哲学_手順2:作品について思いつくことを自動筆記のように箇条書き
高校生のときにはまった
年の離れた従兄弟(親戚で唯一の男子・ゲームオタク)
サッカー部やめることになって時間ができた
暇と退屈と倫理学
このときから、わかりやすく自由人になった気がする
2段組で字がびっしりと書いてある。でもイラストはアニメ風、難しいのかアニメな感じで軽いのかよくわからん
両儀式とコクトー幹也が主役。
乙一とかの作品でグロい表現には慣れていた
暇だったので、そういう難しい本に取り組む余裕があった。
本についてきた栞に、全7部作の映画にするという宣伝が書いてあって驚いた
サッカー部辞めて暇になったので、映画も見に行った。このとき一緒に見に行ったI島君(IWGPに出てきそうなヤンキーファッションなのに頭いい。今、医者やってる)が、何故か一緒についてきた。
サッカーを手放して、空虚になった
埋めきれないが、新しい友達が少しづつ現れた
作品に哲学的要素がちりばめられているが、当時はそこに注目して鑑賞していない。
キャラクターに荒耶宗蓮や両義式とか出てくるのは思想用語の「阿頼耶識」を意識しているし、根源とかよくでてくる。
今考えると当時のニューアカデミアブームとかが関係しいているのか?
空(から)も「対象a」みたいな感じなのかな?
ライトノベルや小説にはまるようになったきっかけかも
少し年上だけど同時代の人に面白い作品をすすめてもらったのがうれしかったのかもしれない。
とにかく難しいことは考えず、貪るように読んだ。
今もそうだけどアニメ化するとアニラジもある。それもめっちゃ聞いていた。
映画は最初の3部作しか映画館でみれなかった。
映画は毎回池袋の地下に降りていく映画館で毎回見た。エロもグロもある映画だったので、高校生ながらドキドキした覚えがある。
アニメ映画に合わせて音楽ユニット「kalafina」というの結成されていて驚いた。映画のために音楽グループ作るんだー。
センスの哲学_手順3:リズムに注目して再度鑑賞・歴史を遡って調べてみる
手順3は長くだらだらと文章を書いたので、
と
パートだけ読むのを推奨します。
===================以下・手順3===================
どういうふうに場面が切り替わるか
長い1人称の地の文の後の会話分
1人称が多く、1文が短く、ダッシュを多用
そもそも1人称が多い
p.48・俯瞰風景より引用
code:奈須きのこ. 空の境界 全3冊合本版 (Japanese Edition) (p.49). Kindle 版
ガチャリ、とドアを開く音がした。午後。閉ざされた窓からは、お日さまの光が差し込んでいる気配がする。診察の時間ではないから面会人だろうか。わたしの病室は個室で、他に人はいない。あるのは溢れんばかりに差し込む陽光と、風に揺れた事のないクリーム色のカーテン、そしてこのベッドだけ
1人称の地の文の後に、1人称の人間以外の人が入ってきて、他人が侵入してくるような印象がある。そういう会話分の始まり方をする?
1文が短い。1人称なので説明になりづらい?描写が少ないから?
ダッシュで終わることが多い。ノベルゲームの人だから?
code:txt
おそらく、わたしは永久にこの悪寒からは逃れられはしないだろう。さかしまに、わたし自身がこの感覚に恋をしてしまった以上は───。
奈須きのこ. 空の境界 全3冊合本版 (Japanese Edition) (p.49). Kindle 版.
kindleで検索してもダッシュを多用していることがわかる
https://scrapbox.io/files/665ad65dabfec5001d12ffe6.png
ダイアローグが多い。精神分析と言うには2者ともよく話すけど。
若者向け?エンタメだから?エログロがガッツリ入ってくる
漢字が多くて難しそうに見える
実際の学術に立脚しているっぽく見えてそうでない。ジャーゴン(専門用語)を使ってそれっぽくみせている
表層だけ。言葉だけ
エンタメやストーリー部分は、特殊な目vs特殊能力の話を繰り返す。
古畑任三郎ではないけど、全7話で毎回新たな登場人物が出てくる。
そのゲストキャラを、倒したり、捕まえたり、そのゲストキャラに関わる謎を解いたり、トラウマを解決したりしている
そのゲストキャラ(犯人・敵)の1人称も描く。
どの話にも登場するのは「両義式」
「死」という単語がよく出てくる。厨二っぽい。
1人称なので、物事を移す視点(カメラ)として引きが少なくなりそう。なのを「彼女」や「彼」という言葉を用いて「カメラを引いている」
色や音の組み合わせはどうなっているか
登場人物のダイアローグが終始続くので、音はない感じ。終始無音のような、雪の降る日の深夜のような静けさがずっと続く
1人称中心で飽きないの?
各話ごとにゲストキャラに関するミステリーと
全7話通して存在する、「主人公の式は殺人鬼なのか?殺人をするのか?」というミステリーがある
のでそれで興味を引いているというか、ストーリーラインになっている
物語についてどのように構成を進めていくか
全7章構成。おまけで、「終章 空の境界」と「未来福音 recalled out summer」
code:txt
第一章 俯瞰風景 Thanatos.
第二章 殺人考察(前) ……and nothing heart.
第三章 痛覚残留 ever cry, never life.
第四章 伽藍の洞 garan-no-dou.
第五章 矛盾螺旋 Paradox Paradigm.
第六章 忘却録音 fairy Tale.
第七章 殺人考察(後) ……not nothing heart.
終章 空の境界
未来福音 recalled out summer
小説で発表された。後に全てアニメ映画になった。
章順と時系列順はバラバラ
code:時系列順.sh
# 1995年
9月 2/殺人考察(前)
# 1998年
6月 4/伽藍の洞
7月 3/痛覚残留
9月 1/俯瞰風景
11月 5/矛盾螺旋
# 1999年
1月 6/忘却録音
2月 7/殺人考察(後)
3月 終章 空の境界
発行年
同人誌 :1998年-2001年
商業出版(講談社ノベルス):2004年6月8日
アニメ映画版 :2007年12月1日〜2013年9月28日
メモ
商業出版(講談社ノベルス)のを2007年8月頃に読んだ
アニメ映画版1章を2007年12月に見に行った
なんではまったか
2003-2005年あたりで、乙一の小説にはまっていたので、エログロ系、緩いホラー、緩いミステリーを読む土台ができていた
時系列通りに全7章が進まず、読みにくいなぁと思う反面、時系列順に物語が進まなくてもいいんだ。という小さな衝撃を受けた。
あと暇だった
同時代の1998年前後の作品がどうだったか
新世紀エヴァンゲリオン(1995年)より後
ノストラダムスの予言の1999年の前
森博嗣とかが小説を発表し始めた後
1998年のミステリー
code:bash
国内編
9位『封印再度』森博嗣
9位『朱色の研究』有栖川有栖
8位『三月は深き紅の淵を』恩田陸
7位『硝子の家』鮎川哲也
6位『冤罪者』折原一
5位『メルカトルと美袋のための殺人』麻耶雄嵩
4位『續・日本殺人事件』山口雅也
3位『未明の悪夢』谺健二
2位『ガラスの麒麟』加納朋子
1位『鴉』麻耶雄嵩
1998年のゲーム業界
code:bash
セガ,Dreamcast発売
Windows 98登場
1998年
作者・奈須きのこ
ミステリー
「影響を受けた作家」として、菊地秀行、綾辻行人、笠井潔、島田荘司、竹本健治、上遠野浩平、京極夏彦、永野護、森博嗣らの名前
綾辻行人の『十角館の殺人』に影響
ゲーム
アダルトゲームである『ONE 〜輝く季節へ〜』に影響
wikipediaの整理しても楽しくないので、自分の手元の資料で調べられる、空の境界を読んだ年「2007年」の作品について調べる
↓
2007年の作品(読書体験をした年)
こっちの資料は調べやすい
メモ
1997年-2007年って、戦争を描くより、事件を描くほうが興味を引く時代なのでは?
池袋エストゲートパーク(小説原作・ドラマ)も、カラーギャング(戦争)と各話の事件解決、2つのビート(センスの哲学参照)があり、その多様性がうねり(センスの哲学参照)だった。でもここでは「大衆」と「個人」という楽器を使って、ビートとうねりを作り上げ、リズム(センスの哲学参照)ができていた。あと他にもいろいろなビートが重なっているが。
一方「空の境界」は主に、「式は殺人鬼なのか」と「各話ゲストのテーマ」で、「個人」と「事件(≒個人)」という楽器でリズムが作られた作品
好きなジャンルがミステリーとSFだと言っているので、大衆の要素は少なくて当たり前か。
時効警察
選者
文化デリック(川勝正幸・下井草秀) セレクト
内容
三木聡監督のTVドラマ
時効となった事件をあくまで趣味として捜査する
2006年1月13日 - 3月10日(全9回)
code:引用_ポップ・カルチャー年鑑 2007_p.81
川勝:毎回きれいな女優さんが犯人というのは決まっていて、その辺は「刑事コロンボ」に通じる流れですね
どうで死ぬ身の人踊り
選者
文化デリック(川勝正幸・下井草秀) セレクト
内容
西村 賢太の小説
code:引用_ポップ・カルチャー年鑑 2007_p.84
下井草: あとは、現代を私小説作家として生きようとして生まれる齟齬がおもしろい
刑事コロンボ的
空の境界もゲストキャラが犯人だったり、黒幕にするという意味では、刑事コロンボ的ミステリー・サスペンス
空の境界は全7章を通して「謎の多い主人公の式について暴いていく」をやっている。各話のゲストキャラは、その式のアスペクトをいろんな面から炙りだす役割もある
刑事コロンボ的作品にすることで、正統派ミステリー、正統派ホラーから脱線せずに外れたレールが引けるのではないか。
乙一の「夏と花火と私の死体」(発行:1996年)も1人称が死体であり、最初から殺人の犯人がわかっていると意味で「刑事コロンボ的」である
空の境界は1998年発行。
1990年代以降はの刑事コロンボ的作品は、「(結論が決まった上での)過程を、ダイアローグを、演出を楽しむという側面もある」
過程を楽しむ
乙一の「夏と花火と私の死体(発行:1996年)」は、殺されてしまった「私」の1人称で死体が処理されていく「過程を楽しむ」
ダイアローグを楽しむ
空の境界(発行:1998年)は、式と他者との対話を楽しむ。精神分析の医者のような立場の蒼崎橙子(主人公の雇い主のような立場)と式(主人公)とのダイアローグ
演出を楽しむ
ドラマ版:池袋ウエストゲートパーク(2000年)は、劇団「大人計画」で脚本をしていた宮藤官九郎がやっていたのもあり、演劇畑の役者(荒川良々、阿部サダヲなど)が多く、演出的に面白かった。構造的面白さ(センスの哲学参照)に近い?
(結論が決まっていない上での)過程を、ダイアローグを、演出を楽しむ作品
ぱっと思い浮かぶのは、十二人の怒れる男
結論のようなもの
2024年度にとある創作系の講座に通い小説を書いていた。ただ意識的に、リズムを構成する「ビート」と「うねり」を考えた創作はできていなかった。特に「うねり」ができていなかった。無意識的にできていい小説がかけたときもあると思うが。
バンドというと、ギターとボーカルとベースとドラムがいるのに、同時に4人が弾かずに変わりばんこに演奏しているような感じ、それでは「ビート」はあっても「うねり」はない
じゃあ何を意識して書いていたというと、技術やそのジャンルの掟っぽいもの(そう言う身ではヘタウマを目指すというよりか)、「線をなぞる」的なことを頑張っていた。無駄ではないが。
自分の線を引くこと、技術的的には「うねり」を意識して創作をすることを、意識していく。
そしてなによりも先に、生活にうねりがない、のをどうにかする。わかりやすいうねりである、バンド演奏でもしたらいい
おまけ
空の境界を選んだのは、同世代の友人(のような存在)である従兄弟(5~10歳上・男)から、面白い世界教えてもらった感から来るのだろう。父に由来しない血統の面白いコンテンツを教えてもらった感。背景をどこか共有している人からしか面白いものを面白いとは思えない。