手順3_刑事コロンボ的
空の境界もゲストキャラが犯人だったり、黒幕にするという意味では、刑事コロンボ的ミステリー・サスペンス
空の境界は全7章を通して「謎の多い主人公の式について暴いていく」をやっている。各話のゲストキャラは、その式のアスペクトをいろんな面から炙りだす役割もある
刑事コロンボ的作品にすることで、正統派ミステリー、正統派ホラーから脱線せずに外れたレールが引けるのではないか。
乙一の「夏と花火と私の死体」(発行:1996年)も1人称が死体であり、最初から殺人の犯人がわかっていると意味で「刑事コロンボ的」である
空の境界は1998年発行。
1990年代以降はの刑事コロンボ的作品は、「(結論が決まった上での)過程を、ダイアローグを、演出を楽しむという側面もある」
過程を楽しむ
乙一の「夏と花火と私の死体(発行:1996年)」は、殺されてしまった「私」の1人称で死体が処理されていく「過程を楽しむ」
ダイアローグを楽しむ
空の境界(発行:1998年)は、式と他者との対話を楽しむ。精神分析の医者のような立場の蒼崎橙子(主人公の雇い主のような立場)と式(主人公)とのダイアローグ
演出を楽しむ
ドラマ版:池袋ウエストゲートパーク(2000年)は、劇団「大人計画」で脚本をしていた宮藤官九郎がやっていたのもあり、演劇畑の役者(荒川良々、阿部サダヲなど)が多く、演出的に面白かった。構造的面白さ(センスの哲学参照)に近い?
(結論が決まっていない上での)過程を、ダイアローグを、演出を楽しむ作品
ぱっと思い浮かぶのは、十二人の怒れる男