ティン・パン・アレー 
ティンパン・アレー
from Jazzの歴史
ティン・パン・アレー
19世紀末~20世紀初頭
劇場音楽では、興行が終われば楽曲のみが残る、という考え方だった時代
ニューヨークのブロードウェイにおいて発展途上であった
楽曲が残されるメディア・ツールは、クラシック音楽と同じく「楽譜」でした。
蓄音機の発明によって録音メディアが産声を上げていました
1877年のエジソンの円筒形「フォノグラフ」
1887年のベルリナーの円盤型「グラモフォン」など
音質はまだまだ劣悪で、一般的に普及段階になるのはもう少し先
当時はまだ電気を使わないアコースティック録音の段階だったため
19世紀後半、ブルジョワ階級の一般家庭にピアノがだんだんと普及していっており、憧れ・ステータスとなっていました。
上演曲や民衆のヒットソングは家庭で気軽に演奏できる形での「シート・ミュージック」として出版されていました
ミンストレルショウの段階から
が、宣伝にはあまり力を入れてはいませんでした。
ヨーロッパ的な教養のもとの「文化」としてとらえられており
他のクラシックの楽譜や讃美歌集と同じように
世紀転換期
シートミュージックに特化した音楽出版社が数多く誕生
楽曲を「商品」として管理する新しい形態は、まったく新しい産業
都市の音楽的需要にあわせて勃興した
次第に「ティン・パン・アレー」に場所が集中するようになります。
ニューヨーク・ブロードウェイの一つの地区
日本語訳すると「ドンチャン横丁」「どんがらがっしゃん通り」など
まるで鍋釜でも叩いているような賑やかな状態を揶揄
各出版社の激しい宣伝合戦は音の洪水を呼ぶ
各出版社はドアを開け放ち、アップライトピアノの蓋も取っ払い、朝から晩までプレゼンテーションをし続けていました
自社の楽譜を売り込むため
はじめは各所に乱立していた
「作曲家と演者」の分業システム
「音楽出版社」は、「曲を作って楽曲を買い取らせる」という音楽ビジネス
楽譜をただ出版するだけでなく
各出版社が専属の作曲家を雇い、曲を作らせる
宣伝のために劇場のスターやシンガーにも売り込み、歌ってもらう
人々に親しまれた楽曲が楽譜として売れる
アメリカ流のビジネスとして成り立ち
アメリカン・ポップスの伝統となっていく
いつしか、この地域で誕生するポピュラー音楽そのもののことが「ティン・パン・アレー」と呼ばれるように
著作権
ヨーロッパ音楽の輸入商売であった時代には著作権に無関心だった
著作権法が制定
自国のポップソング産業の発達に伴って、
1914年にASCAPという著作権管理団体が設立されます。
American Society of Composers, Authors and Publishers
権利的に保護されたビジネスとしてティンパンアレーはますます発達し、ブロードウェイの劇場やハリウッドの映画へとたくさんの音楽が供給されていきました
第一次世界大戦の終結後、疲弊したヨーロッパを尻目に漁夫の利を占めた形でアメリカは一気に地位を向上させ、政治的にも経済的にも大発展し、世界の強国と変貌を遂げます。
1920年代、社会、芸術、ファッション、花開いた文化の力強さを強調する言葉として「ローリングトゥエンティーズ(狂騒の20年代)」と呼ばれるようになりました。
1910年代~1920年代にかけて、ティンパンアレーの五大作曲家が出揃います。
のちに初期ミュージカル界も牽引することとなる
アーヴィング・バーリン(1888~1989)
ジェローム・カーン(1885~1945)
ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937)
リチャード・ロジャース(1902~1979)
コール・ポーター(1891~1964)