ティン・パン・アレー
劇場音楽では、興行が終われば楽曲のみが残る、という考え方だった時代 蓄音機の発明によって録音メディアが産声を上げていました 音質はまだまだ劣悪で、一般的に普及段階になるのはもう少し先
19世紀後半、ブルジョワ階級の一般家庭にピアノがだんだんと普及していっており、憧れ・ステータスとなっていました。 上演曲や民衆のヒットソングは家庭で気軽に演奏できる形での「シート・ミュージック」として出版されていました
が、宣伝にはあまり力を入れてはいませんでした。
ヨーロッパ的な教養のもとの「文化」としてとらえられており
他のクラシックの楽譜や讃美歌集と同じように
世紀転換期
楽曲を「商品」として管理する新しい形態は、まったく新しい産業
都市の音楽的需要にあわせて勃興した
日本語訳すると「ドンチャン横丁」「どんがらがっしゃん通り」など
まるで鍋釜でも叩いているような賑やかな状態を揶揄
各出版社の激しい宣伝合戦は音の洪水を呼ぶ
各出版社はドアを開け放ち、アップライトピアノの蓋も取っ払い、朝から晩までプレゼンテーションをし続けていました
自社の楽譜を売り込むため
はじめは各所に乱立していた
「作曲家と演者」の分業システム
「音楽出版社」は、「曲を作って楽曲を買い取らせる」という音楽ビジネス
楽譜をただ出版するだけでなく
各出版社が専属の作曲家を雇い、曲を作らせる
宣伝のために劇場のスターやシンガーにも売り込み、歌ってもらう
人々に親しまれた楽曲が楽譜として売れる
アメリカ流のビジネスとして成り立ち
アメリカン・ポップスの伝統となっていく
著作権
ヨーロッパ音楽の輸入商売であった時代には著作権に無関心だった
著作権法が制定
自国のポップソング産業の発達に伴って、
権利的に保護されたビジネスとしてティンパンアレーはますます発達し、ブロードウェイの劇場やハリウッドの映画へとたくさんの音楽が供給されていきました 第一次世界大戦の終結後、疲弊したヨーロッパを尻目に漁夫の利を占めた形でアメリカは一気に地位を向上させ、政治的にも経済的にも大発展し、世界の強国と変貌を遂げます。